後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

欧米のことはやたら詳しく知っているくせに隣の韓国のことを知らない日本人

2010年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの歴史から社会の裏事情までやたら詳しい人がいます。西洋の事はなんでも知っていると言います。博識ぶりを自慢します。それは良いことで尊敬すべきことです。しかし私は知識よりも大事なことは、人間として正しい考え方を求めつつ生きることの方がもっと大切なことと信じています。

欧米のことには詳しいが、隣国の韓国のことは知らない。それは人間として正しい姿勢でしょうか。そこで韓国のことを少し書くことにしました。

1910年から1945年までの35年間、朝鮮半島全域は日本の領土であったのです。武力による併呑です。この暗い歴史を忘れるためにも日本人は韓国のことを遠ざけて来たようです。しかし近年、映画やテレビ番組やタレントの交流が進み、また多くの観光客がお互いに訪問するようになりました。素晴らしいことですが、日本人は韓国を深く理解していないと思います。いや知らなすぎると私は思っています。それは人間としてどこかおかしい生き方です。

228493_image2_11 @秀吉が全ての寺を焼き尽くした。

985年に韓国金属学会の大会へ出席し浦項製鉄所を見学し、その前後に観光旅行もしました。同行してくれたのが製鉄所の技師のHさんです。この写真にある佛国寺をはじめ、慶州周辺の古寺を数ヶ所回りました。小山全体に僧堂が散在し、中心に大きな瓦屋根の本堂が建っています。そのような小山が数峰連なり、慶州の町を取り囲んでいるのです。本堂の瓦屋根の稜線は、中心が少し低くなった曲線を描いていて、なんとも言えない宗教的な雰囲気をかもし出していることに深い感銘を受けました。

しかし、全ての寺の山門の脇に、立派な真鍮製の看板があり、韓国文字でなにやら書いてあります。良く見ると、秀吉という漢字が何回も出ています。同行したH技師へ聞くと、「秀吉の朝鮮成敗の折に、この寺は完全に焼失されたと書いてあるのです」と言う。「でも今日見た全部の寺に看板がありましたよ?」、「そうです。秀吉は朝鮮全土の寺を全て焼いたのです」

そんなことは知らなかった。戦争中に国民学校で秀吉は朝鮮に行ったと習った。加藤清正の虎退治の話が記憶に残っている。全ての寺を焼き尽くしたとは聞いたことが無い。日本人の多くは、韓国で秀吉が、このように書かれているとは知らないと思う。韓国人だけが知っているのです。秀吉軍は朝鮮半島で暴虐をつくし、多くの人々を拉致し、日本へ連れ帰ったのです。その詳細を日本人は調べて知っている方が良いと思います。

@大邱市の天主堂のミサに出る

外国旅行では、お寺へ寄るような気軽さで、教会へも行くことにしていました。その土地の人々のお祈りしている姿を眺めるとなにか安心します。見知らぬ土地を旅する緊張感が消えます。韓国の金属学会の大会のある大邱市でも、中心街にある天主堂のミサに参加しました。韓国語なので何を言っているのか分かりませんが、カトリックのミサは万国共通で同じです。ミサ後、同行したH技師が主任司祭さんへ紹介してくれました。そして韓国の宗教の説明を、少しだけ聞きました。洗礼を受けたキリスト教徒は総人口の30%で、仏教徒が23%、儒教が0.2%と言うのです。聞き違いと思い何度か確かめました。30%のうちプロテスタントが19%でカトリック(天主教)が11%と教えてくれました。忙しそうな主任司祭には長話は失礼と、すぐに別れて帰ってきましたが、帰国後、韓国の宗教別の信者の数を調べなおしました。しかし、上記の数字は正しかったのです。

@韓国のキリスト教信者の数を日本と比較する

日本では洗礼を受けたキリスト教信者は総人口の1%を越えていない。100万人位で、プロテスタント諸派が50万人、カトリックが50万人、そして日本ハリスト正教会が1万人といわれ、特に数十年にわたって増加も減少もしていない。

韓国には、ローマ法王が認めた聖者が104人で日本の聖者は26聖人である。

また韓国人はキリスト教の宣教師が全世界へ10000人以上も派遣されて活躍している。この数は日本より圧倒的に多い。

日本人は韓国を儒教の国や仏教徒の国と信じているが、実はキリスト教が盛んな国なのです。このようなことは韓国の観光情報をインターネットで検索しても出て来ません。また日本の新聞やテレビにも報じられて居ません。しかし韓国人を深く理解するためには重要なことと私は信じています。

ここに書いたことは韓国の現在の文化のほんの一端です。韓国人のタレントの経歴や私生活だけを詳しくしっている日本人が多いようです。少し韓国全体のことも知っていた方が良いと思っています。(終わり)

佛国寺の写真のURL : http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=281510


燃える夏の日の公園

2010年08月05日 | 写真

連日の猛暑です。酷暑です。この暑い夏を写真で表現出来ないかと思案しながら武蔵野公園へ行きました。車から降りるとムッとする草いきれです。夏の青い空、白い雲。そして夏草茂る公園。樹木は黒々と影を作っています。構図が上手く作れません。下手な写真ですが、草いきれのする猛暑の公園ごご想像して頂ければ嬉しく思います。

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悲しい運命、しかし誰も恨まない、美しい日々を生きる

2010年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

原爆を落としたアメリカを恨み、シベリア抑留でロシアを呪い、悲惨な目にあわせた戦争指導者達を声高く非難する。戦後の日本の社会の風景です。

しかし恨みや呪いや非難を一切しないで、悲しい運命をあるがままに受け入れ、美しい日々を送る人も居るのです。昨日、このブログで全ての怨念を捨てて身軽になる方法を書きました。その記事の無意味さを教えているような生き方です。

このブログでたびたび写真を転載させて頂いている「ちひろ」さんです。彼女の父は戦争のせいで太平洋の千尋(ちひろ)の海に沈んでしまったのです。母の手一つで育ちました。戦後の貧しい社会で、それは悲しい、苦難の生活でした。悲しすぎて、その生活ぶりを此処に書くことが出来ません。彼女のブログの記事の下にある「道草」さんへの答えをご覧下さい。http://blog.goo.ne.jp/hanafubuki33/e/8da3bdf37111078e5f6cb876d15a4b7e#comment-list をクリックすると出てきます。

幸い良い家族に恵まれ、子供も成人し、やっと琵琶湖のほとりに安住の家を持つことができました。彼女は3才で父を亡くしました。彼女の夫も3才で母を亡くします。この運命の引き合わせて深く愛し合い、支えあって幸福な人生を終ろうとしていたのです。日本舞踊を長い間続けながら写真撮影の腕を磨いてきました。撮った写真は短い文章と共にブログに発表してきました。写真はのびのびとした豊かな感性に溢れる美しい作品ばかりです。それは幸多き老後になる筈でした。

ところが突然、運命が暗転します。不況の嵐で安住の家から出なければなりません。日本舞踊も写真もブログも続けられないような危機がきます。人生はいつまで経っても危険な事が襲ってきます。悲しい事が起きるものなのです。この事実を彼女が自分のブログに書きました。私は吃驚しました。人の世の儚さで息を飲む思いをしました。

幸いブログはそのまま続き、数か月たってその危機が無事解消したという記事が掲載されました。安堵しました。

他人を恨ない。戦争責任を声高く議論しない。原爆やシベリア抑留の原因を作った人を呪わない。静かに、そして深く静かに悲しい運命をそのままに受け入れる。日々を大切に生きる。

ちひろさんのブログは、そういう生き方こそ賢明な生き方と教えているようです。始めから怨念なんか持っていない人々こそ素晴らしいのです。

今日はちひろさんのブログから夏の風物詩の写真を4枚転載させて頂きます。

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今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

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