今年も間もなく8月15日、敗戦記念日がやって来ます。毎年、天皇皇后、首相らが臨席して終戦記念日の追悼会が開催されます。テレビや新聞がその記事を大きく出しています。
筆者は隠れキリシタンも尊敬しているカトリック教徒です。しかし神社にはよく立ち寄ります。其処には地域のいろいろな歴史を刻んだ石碑が幾つか立っています。
それらを読むのが何故か習慣になっています。
先日、偶然立ち寄った、立川市の旧砂川村の鎮守様の境内で、さきの大戦で戦死した兵士や、空襲で亡くなった戦没者者の慰霊碑を見ました。穏やかな農村から元気に出征し、帰って来なかった若者、200人以上の姓名が刻みこんであります。その下には空襲で亡くなった村人、数十人の名前も刻み込んであります。巨大な石碑です。
元気に出征した若者が何故帰らなかったのかと残された家族が嘆いています。そのせつせつたる気持ちの文章が涙を誘います。
東京都下には昔は北多摩郡、西多摩郡、南多摩郡という農村地帯があり、草深い村々がありました。現在も、当時の村の鎮守の森へ寄ると必ずこのような戦死者や戦没者を悼む石碑があります。砂川村だけはありません。あちこちで見ました。
石碑だけではありません。山林の中の小屋へ行く度にある村落を通る抜けます。その村落の入り口に巨大な御影石の角柱が道を挟んで2本立っています。外から入ってくると石柱の表には何も刻んでありません。しかし2本とも裏には大きく、「武運長久」と刻んであります。出征して出て行く若者をここまで家族が送って来て、「武運長久」を祈ったのでしょう。左右2本に同じ文が彫ってあるのです。「必ず生きて帰って来てください!!!」という強い願いを表しているようです。
この石柱の間を通って戦場へ行った若者のうち何人が生きながらえて再び帰って来たのでしょう?2本の石柱の間を車で通る度に悲しい気持ちになります。
どんな理由があっても戦争はすべきでないと思い直します。皆様の家の近所に戦争被害者の追悼碑がありますでしょうか?農村地帯へ行くと神社にはあります。ご覧になさって下さい。あれから65年になります。しかし石碑はそのまま立っています。静かに立っています。8月になると毎年思い出します。
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今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人