後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

マザーテレサと日本人の繋がり・・・神父になった片柳敏洋氏

2010年08月27日 | うんちく・小ネタ

マザーテレサがインドに、「神の愛の宣教者会」(Missionaries of Charity)を作り、現在は4800人の修道女が世界各国で貧しい人々へ奉仕しています。昨日はそのコルコタの本部で「マザーテレサ生誕100年記念式」が行われました。AFP報道を見ると数多くのインド人修道女が熱心に祈っています。「マザーテレサ生誕100年記念式」を検索するとその報道が出てきます。この修道会の本部メンバーは大部分がインド人女性のようです。

ところで日本人とこの修道会との繋がりはどのようになっているのでしょうか?日本人女性でこの修道会の会員になった方も居るようです。調べていましたら、この修道会に感動して神父になった片柳敏洋さんの「ブログ」を見つけました。以下にそのブログから片柳神父の書いた文章の一部を転載いたします。

=====http://d.hatena.ne.jp/hiroshisj/20081007/1223391205からの抜粋文=====

 ロザリオの聖母の記念日であり、「神の愛の宣教者会」(Missionaries of Charity,略称M.C.)の創立記念日でもある今日、「神の愛の宣教者会」名古屋修道院で初ミサを立てる恵みを頂きました。

 今から10年半ほど前、イエズス会での修練を始めるために埼玉の実家から広島のイエズス会修練院に向かう途中で、わたしはM.C.の名古屋修道院に立ち寄りました。そのときに、「いつかまた司祭になって戻って来たいと思います」とシスター方に話したことを今も鮮明に覚えていますが、今日ついにその約束を果たすことができたのです。

 マザー・テレサがM.C.を始めなければ、わたしはマザー・テレサに会いにカルカッタに行くこともなかったでしょうし、司祭への道を考えることも決してなかったでしょう。その意味で、今日の記念日はわたしの司祭召命にとっても大きな意味を持っています。司祭への道を歩み始めてからも、以前にご紹介したSr.マーガレット・メリーを初めとするたくさんのM.C.シスターたちがわたしの召命を祈りで支えてくれました。特に、ローマでは1人のM.C.シスターがわたしの霊的同伴者として祈ってくださっています。彼女たちの祈りがなければ、わたしが司祭召命の道をここまで歩いてくることはできなかったでしょう。

 マザー・テレサが始めたM.C.を通して、「神の国」がこの地上に根を張り、枝を伸ばしていっているのをひしひしと感じます。わたしも、その枝の一つとして司祭召命を最後まで全うしたいと今日のミサを立てながら改めて思いました。

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上の文中に、「神の愛の宣教者会」名古屋修道院という表現があります。すると名古屋以外のあちこちに、「神の愛の宣教者会」の女子修道院が存在していることが推察されます。マザー・テレサは、日本を初めて訪れた後、日本から帰ってまもなく4人のシスターを日本に派遣しました。東京から始まったシスターたちの活動は、今は、名古屋、別府に修道院をおいて、未婚の母親のため、またホームレスのおじさんたちのための支援活動を行っているようですがHPや公報情報が少なく詳細が分かりません。住所だけは分かりましたのでご報告します。

日本の「神の愛の宣教者会」の4か所の支部の住所は、(1)女子修道院、郵便番号123東京都足立区西新井本町3-5-24電話03-3898-3866、(2)女子修道院、郵便番号497愛知県海部郡七宝町大字安松1-21、電話052-441-5141、(3)女子修道院、郵便番号874大分県別府市大字浜脇3307-1、電話0977-21-7044、(4)男子修道院、郵便番号110東京都台東区日本堤2-2-14 電話03-3876-2864 です。

詳細は、これから調べて行くつもりです。今日はとりあえず片柳神父様のことだけをご紹介いたします。(続く)


マザーテレサのインドの国葬と、宗教を超えて追悼をする人々の事を考える

2010年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム

マザーテレサは1910年に生まれ、1997年に亡くなりました。日本にも2度来たことがあります。彼女は異なる宗教の壁を超えて、国境を超えて、全ての貧しい人々を慈くしみ、愛したのです。その崇高さは全ての人類に尊敬されています。

今日はマザーの偉さをくどくど書くのではなく、ヒンズー教のインドが国葬にしたことの重大な意味を強調したいと思います。カルカッタの路上で死んで行くインド人を死者の家へ連れて来て、大切に世話をして送ったのです。インド人が恩義に思い国葬にしたのです。インドでは国葬は前代未聞で、唯一回だけの国葬でした。葬儀の行列には路上生活者が何十万人と集まって見送ったと言います。

そして没後10年目の追悼式ではヒンズー教徒やイスラム教徒、そして路上生活者が同じようにマザーのお墓の周りに集まって心からの感謝の祈りを捧げました。

「マザー・テレサは忍耐の教えを説き、われわれに調和への道を示した」とイスラム教聖職者のMaulana Abdul Rahim師は述べたそうです。
 マザーの没後、マザー・テレサの「神の愛の宣教者会(Missionaries of Charity)」は、新たに14か国で支部を開設し、捨てられた子どもや、ハンセン病患者、エイズ(AIDS)患者の受け入れ施設の運営も行っているのです。
 現在は世界145か国に757の支部を持ち、修道女4800人が所属しています。

さて今年の8月26日、昨日はマザーテレサの生誕百年目です。日本のカトリック界ではマザーは有名ですが、一般の人々はどのように思っているのでしょう?

1997年のカルカッタでのインド政府主催によるマザーの国葬には日本政府は代表すら送りませんでした。欧米各国は元大統領や大統領の奥さんを参列させたのです。

どうも日本人はマザーテレサの偉さが分かっていないようで心配していました。ところが趣味人倶楽部の「ふーちゃんさん」が彼女のことを日記に書いてくれました。嬉しい日記です。そうです。マザーの偉さは日本政府の冷たい態度とは関係なく人々に理解されているのです。「ふーちゃんさん」はキリスト教の信者ではありません。普通の日本人です。その方の趣味人倶楽部で昨日公開した日記を本人の許可を得て下記の通り転載致します。一部省略した部分がある事をお許し下さい。

======マザー・テレサへの敬慕========

最も貧しい人に愛の手を差しのべた福者マザーテレサが2010年、8月26日の今日、生誕百年を迎えました。「あなたが箱の中にしまいこんでいるマントは裸の人のものです。
家に秘蔵している靴は、はだしの人のものです。埋めておいたお金は、貧しい人のものです。
あなたが、とってあるパンは、飢えている人のものです。健康な人たちの恐怖と、嫌悪のせいで、人々の間を追われた癩者ほど、着るものも、持ち物も、食物もない人があるでしょうか?
マザーテレサが、彼らを貧しい人の中でも、とりわけ貧しい人として特に心にかけるのは、そのせいであるのです。映画では、その難しい働きを克明に描いています。
常に祈り 貧しい人びと、苦しむ人々と共に生きたマザー・テレサの生涯に触れています。

http://www.motherteresa.co.jp/notice.html
http://www.youtube.com/watch?v=eH7lz9wcHHs&fea..

愛に満ちたマザーテレサの生前の活動の軌跡を知って、私は尊敬していました。最近、MFさんから、ご紹介頂きました「マザーテレサの体温」を読んでますます敬慕の情が強くなってきました。
弱って死に行く子供が、最後に感じたもの、それは、マザーの子供ヘの深い慈しみの心、温かい愛の温もりだったのです。
マザーテレサの神の愛の論理によりますと、個人こそが唯一の真に価値あるものなのです。
飢えている多くの人たち、死にかかっている沢山の人たちを前にして、マザーは衆を見るのではなく、死にかけている一人を見るのです。一人だけを・・・。
「一人は、一人とかかわり合うと、私は信じています。愛は旬の果実です。
最もひどい病は、ライではなく、人から受け入れられないと思うことです。最もひどい災いは、隣人を蔑ろにすることです。」と語っています。

自分自身は何ひとつ望まず、人に与えることに全生涯を捧げたマザー・テレサの存在は、いまも人々の心の中に生き続けています。
マザーテレサの愛の言葉は、今の私たちが直面する問題に大きな示唆を与えてくれるのではないでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=Y0WH5W1he_w&fea..
平和の祈りと感謝を込めて。

====これで「ふーちゃんさん」の日記が終わります======

なお、上のふーちゃんさんの日記にある「マザーテレサの体温」は、東京教区司祭、板倉恵二神父さまが「聖書と典礼」2010・8・22の7ページにお書きになった文章です。この文書はカトリック信者へ配布された公開文書なので、ご存知の方も多いと思います。転載許可を頂いていませんので、その要旨だけをお伝えします。簡単にご紹介いたしますと、インドの路上生活者の子供が死にそうになっているとき、マザーはいつまでも抱いて、声をかけ、自分の体温を死に行く子供へ伝えていたという感動的なお話です。
周りの大人が、そんなに抱いていると疲れますから、寝かせて下さいと言うと、マザーは「食事や薬がダメでも、私の体温を伝えたいのです。」と答えたそうです。

今日も皆様と「ふーちゃんさん」のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人

下は、マザーテレサが1982年に日本へ来て、長崎を訪問したときの写真です。

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