夫婦は何事も一緒に行動するという鉄則を守ろうとしてきました。1961年にオハイオ州で新婚生活を始めたので、アメリカ流の夫婦の掟に染まった結果です。しかしこの掟はなかなか過酷な掟です。
しかし、夫婦の間の掟と諦めて相手の趣味になるべく付き合います。 妻の趣味はいろいろありますが、フィギュアスケートもその一つです。中学1年から後楽園、新宿コマ、軽井沢、白樺湖などのスケート場で滑ったというのです。結婚後も毎冬、4,5回は滑りたいと言います。
ところが、が私は運動音痴で、全てのスポーツが嫌いなのです。
しかし夫婦の掟がある以上、逃げるわけにもいきません。スケート靴を買って、冬の間車に積んで35年間もスケートをしました。それは過酷なものでした。
奥多摩、諏訪湖、富士山、白樺・蓼科、西武園、読売ランドなどの屋外スケート場へも滑りに行きました。強風や吹雪がふきつけてくる零下10度や15度の中で妻が娘と息子を従えて滑っています。結局、妻がスケート靴を脱いだのは60才の時でした。結婚したのが25才の時でしたから、私は35年も夫婦の掟に従ってお付き合いしたのです。
昨日、奥多摩街道をドライブしているとき、足しげくスケートに通った小作の屋内スケート場と沢井のスケート場の傍を通りました。よく通ったところなので懐かしく思い車を停めて回りを見て、写真を撮って来ました。
下の写真の一番上は小作の屋内スケート場の駐車場と切符売り場のあった高台の上から見た多摩川の流れです。振りかえって屋内スケート場のあった所はすっかり変わっています。2枚目の写真にあるように、瀟洒な建売住宅が並んでいるだけです。そこにスケート場があったなどと誰も想像が出来ません。幻のように消えてしまったのです。
そこで多摩川をもっと遡って御岳の手前の沢井の野外スケート場に行ってみました。そこは道路工事の資材置き場になっていました。その事務所の人に聞くと、もう15年くらい前にスケート場は廃業したと言います。その後で鯉の養殖をしていたが鯉は売れないのでそれも止めたそうです。そして鯉が勝手に生きているから見て行きなさいと言います。成程、数匹の鯉が岸に立った私の足元に寄ってきます。
下の2枚の写真は、野外スケート場のあった池です。これは完全に消えてしまったわけではありません。しかし若い男女や子供達が楽しそうに滑っていたあの光景は永久に消えてしまったのです。陳腐な言い方ですが、夢まぼろしのようです。
皆様はそのようなご経験が御座いますでしょうか?まあ、それだけのお話です。
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人