山林の中の夜は本当に暗いのです。漆黒の闇です。
昨日は、この週末にある別荘管理組合の集まりの準備のため小屋へ行きました。大きなテーブルと椅子12脚をそろえ12名のお客を歓迎するしたくをしました。
夕方から小川のほとりで独りでビールを飲みました。次第にあたりに夕闇が迫ります。木々が黒々と空に広がります。西の空の明るさが消えると周りは真っ暗になります。周りに家々もなく、勿論街灯もありません。小川の向こう岸に立てたガーデン灯だてが弱い光を放っています。その光も闇に吸われています。急に小川の水音だけが大きくなり、林にこだまします。そんな様子を写真に撮ったつもりです。山林の中の暗さをご想像して頂ければ嬉しく思います。
(写真の出典は、和田義明氏、「和田フォトギャラリー」:http://wadaphoto.jp/index.htm です。撮影者は松本浩文さん:http://wadaphoto.jp/kikou/hogei3.htm です。)
アメリカは幕末ころ太平洋で散々鯨を捕獲し、油を灯油として販売し、莫大な利益を上げていました。日本へ開国を迫った一つの理由も捕鯨船の燃料や食料を補給する港が日本に必要だったからです。しかしその後、石油が出るようになって鯨油は売れなくなったのです。そのアメリカは昔の事をすっかり忘れて捕鯨反対をしています。
私は老人です。昭和21年に再開された南氷洋の母船式捕鯨船の活躍に勇気づけられ、捕ってきたクジラ肉を食べて育ったのです。当時は牛肉や豚肉は貴重品でした。それをシーシェパードという団体が妨害行動をとっているのです。身勝手を絵に描いたような行動です。
日本が南氷洋で母船式の捕鯨を始めたのは1934年といいます。戦争で中断しますが、1946年に再開されます。その捕鯨船の活躍が度々新聞に出て、国民的声援を受けていたのは1964年のオリンピックの頃までです。
ですから私のような戦前生まれの老人にとっては鯨を捕って、食べるのは一つの重要な食文化でした。
その捕鯨が禁止になれば、何か重要な日本の文化が消滅するようで寂しくなります。しかしよく考えると、食文化は時代と共に変わって行くのが普通です。食料の生産、供給、消費の様相が変われば人々の味の好みも自然に変わります。
最近の日本人は鯨を食べません。ホエール・ウオッチングやダイビングで鯨が悠然と泳ぐ姿を見て楽しんでいるのです。大海原に棲んで、回遊するクジラへ愛着を持っているのです。その愛すべき鯨をキャッチャーボートが追い回し、巨大な銛で打ち、そのまま母船へ引っ張ってくるのを残酷な行為と思っています。その上、母船の上ではその鯨を解体し切り刻んで、冷凍にしています。
若い年代の日本人の鯨との接し方が変わってしまったのです。おおむね捕鯨反対の人が多いようです。
このような時代に無理して鯨を食べなくとも日本には他に美味しい食べ物が豊富にあります。アメリカなどが捕鯨に反対するから止めると言うのは不愉快千万です。しかし自分の国の食生活が変わるのに従って自然に捕鯨を止めるのが良いと思います。食べたい人は食べられるように少し捕れば良いのです。捕鯨禁止を他国から強制される前に捕獲量を自主的に少なくする提案をすべきと思います。
捕鯨が民族の死活へ繋がっているエスキモーや少数民族の捕鯨は一切邪魔をしてはいけません。しかし日本やノルウエイのような先進国はそろそろ捕鯨を考え直した方が良い時期が来ていると思います。皆様のご意見は如何でしょうか?ご意見をお待ちしています。
==================================
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人