後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

気持ちの高揚する本を見つけました!・・・縞馬は何故家畜に出来なかった?

2010年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日の夜に剣岳に測量のために登った人に関する映画をテレビで見ました。翌日、新田次郎の原作を手にとって見ました。原作の緻密で圧倒的な文章に目を見張りました。テレビばかり見て本を読まなくなった自分の怠惰に気がつき、今日は大型書店へ行っていろいろな本を眺めて、考えてきました。そして1冊買って来ました。

ジャレド・ダイアモンド著、倉骨 彰 訳の「銃・病原菌・鉄」の上巻(1980円)です。読み出したら引き込まれました。まだ一部しか読んでいませんが、この本はブログで広くご紹介すべき本と思いました。比較文化人類学的な視点で、専門の進化生物学や生物地理学という分野から人類の13000年の文化発達を描こうという壮大な本です。

簡単に言えば、「何故、欧米がアフリカやアジアを植民地にし、人類の富の大部分を手に入れることになったのか?」を分かり易く書いた本なのです。その原因を従来のように白人の遺伝子的優秀さに求めず、あくまでも地理と自然環境の相違に求めているのです。

1972年、若い時に研究のために行ったニューギニアで会ったヤリという原住民は、「あなた方白人はニューギニアへいろいろな物を持ち込んだが、我々ニューギニア人が作った物で白人へ与えている物は殆ど無い。これは何故でしょうか?」と問ったのです。

その解答を試みたのがこの本です。どの章も興味津々な内容ですが、以下に第9章、何故シマウマは家畜にならなかったのかーーーのほんの一部をご紹介します。

人類が野生の大型哺乳動物で家畜に出来そうな動物は148種あるそうです。実際家畜にすることが成功したのはこのうちたったの14種だけなのです。このうちの5種、すなはちヒツジ、ヤギ、牛、豚、馬は特に重要です。あとの9種はヒトコブラクダ、フタコブラクダ、ラマおよびアルパカ、ロバ、トナカイ、水牛、ヤク、バリ牛です。

これらの家畜はもともとの野生の状態で6つの性格を持っています。一つでも欠けていれば家畜になりません。この説明が面白いのです。例えばシマウマは気性が荒くて鞍を付けさせません。荷車へ繋げません。無理にすると人に噛みつきます。一旦噛みつくと離さないのです。そういう性格なので家畜に出来なかったのです。現在世界中の動物園ではシマウマに噛みつかれて怪我をする飼育係が非常に多く、猛々しい肉食獣に噛まれる事故は微々たる数になっているそうです。

そしてカバも気性が荒くて家畜になたないとも書いています。

さてこの14種の家畜になった動物は皆がアフリカ北部からヨーロッパやアジアに住んで居たのです。これが南北アメリカをヨーロッパ人が征服した一つの原因になったと即断はしていません。しかしその暗示には意味慎重なものが感じられます。

日本人がアイヌ民族を飲み込み、琉球王朝を合併し、同化した歴史も世界的には似たような現象が幾らでも見られるのです。論理的な善悪は論じていません。民族の優劣も論じていません。ただ地球上で13000年前から人間とその環境に、どのような事が起きたかを客観的に分析し、描いています。久しぶりに高揚する本を見つけましたので、その一端をご紹介いたしました。   (終り)

下にある縞馬の写真はWikipedeaの「シマウマ」の項目から転載させて頂きました。記して謝意を表します。

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5月23日掲載記事の大きな間違いの訂正です

2010年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム

今年の5月23日掲載の、教養としてのキリスト教・・・聖霊とは何ですか? という記事に大変大きな間違いを書いてしまいました。海猫さんという方からご指導を頂きましたので記事を書き直しました。

従ってそれに続く関連記事も訂正しました。お読み頂ければ嬉しく思います。

こんな間違いを犯す自分です。イエス様へお許しをお祈り致します。           シルベスター藤山杜人

(終り)


キリスト教の自由さ、大らかさを示す実例

2010年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム

はじめに:

宗教はよく宗派同士の対立田や争いがあります。酷い時には殺し合いの戦争も起きます。しかし宗教の本質は自由にあります。大らかな優しさにあります。その実例としてカトリックから日本正教会へ移ったある聖職者の手記をお送りします。

この金田さんとは昨年の11月にお茶ノ水のニコライ堂で2、3度お会いしました。

そして何故カトリックから日本正教会へ転宗されたのかをお聞きしました。

初対面の金田一豊さんへ、このような重い質問をするのは流石に気が引けましたが勇気を出して質問しました。その時の約束通り、キチンとした文章でお答え下さいました。そして以下のような文章を含むメールも頂きました。お忙しい金田さんが寄稿して下さったことへ感謝しつつ、ご紹介致します。

------金田さんからのメールの抜粋ーーーーーーーーー

、、、、、もし僕の話を聞いたり読んだりして僕がローマカトリックを否定したり批判をしているように感じる方がいらしたら、それは僕の説明が良くなかったのでお詫びしたいと思います。僕はローマカトリックは大好きですし、今でもお世話になった神父さんやシスターとは親しくさせてもらっているので批判の気持ちや悪感情というものはありません。何しろローマカトリックのことが嫌いになったり問題があったのではないのですから!

もちろん経緯はありますが、ただ、神に導かれて正教会に来たということです。

===========金田さんからの寄稿文です==============

宗教や宗派を変える人にはさまざまな理由があると思います。僕の場合は原点、歴史性、神学や教義というのがポイントになりました。

もともと同じ教会であったのは間違いのない事実です。しかし、ローマカトリック教会での勉強のときにやはり正教会の話が出てくるのですが、プロテスタント教会と比べると話題や情報が少なくさらっと流れてしまいました。その時に別れてしまったには理由があると思ったのがきっかけです。ローマ教会にいたときに神父さんやシスターに伺っても「教義はともにカトリックだから同じです」と言われました。が、同じなら分かれないだろう!と単純に思いいろいろ調べ始めました。

もともと聖書が好きだったため、原文のギリシャ語やヘブライ語ではどのような意味だろうと思っていましたし、初代教会や原始教会の原点の教えも気になっていたので、そういうタイミングだったのではないでしょうか。

思ったら吉日ではないですがニコライ堂の名前があがってきたので、ある主日の御ミサのあとに見学に訪れました。当時の神学生(現在は神父)を捕まえて質問をいくつかさせてもらったら、まったく思いもよらない返事が返ってきました。それは「ローマカトリックと正教会の教えは大きく違いますよ」というものでした。

思わず目が点になりました。

そこでまたまた興味が湧き出版物をさがしたら・・・、当時なんと四谷のイグナチオ教会で今月のお勧め本として正教会の神父が書いた「知られていなかったキリスト教」が置かれていました。この本をきっかけに正教会の基本や歴史性、教義というのを少しずつ垣間見ていきました。

ともかく、新約聖書のもとの言葉であるギリシャ語と当時の教えというものを知ることができたり、その当時の教えを今も変えずに持っていて、聖書を書いたのは誰かという投げかけに「正教徒のルカ!」という風に答えるのを目の当たりにしたりと驚きの連発でした。

僕はどの宗派が良いとか悪いとかは(こちらの厳しい聖職者には怒られるかもしれませんが)一切思っていません。ただ、違いがあることは認識しています。その中で今も尚4世紀までに出来上がった礼拝形式を変わらずに守っている。つまり初代教会のエッセンスを今も色濃く残し継承しているというのがキーポイントとなりました。それと同時にローマに教会ができる前からイスラエル、アンティオキヤ、コンスタンティノプール、アテネには教会が存在していたというのも僕を惹き付けた要素のひとつです。

聖フランシスコザビエルは日本に来たときにはマタイによる福音書のみ持参で、その中の一部は欠けていましたが伝道をし素晴らしい功績を残しています。もちろんそのときはイイスス・ハリストスの教えを伝えています。一方亜使徒聖ニコライは何よりもまず創世記の天地創造から語りました。このような点も僕の興味をそそり、勉強に拍車をかけていきました。そして再び見学に行った際の復活祭の時の儀式や全員で行う大声での掛け合い。まさに初代教会からの変わらない伝統というのものが僕を迎えてくれたような感じがしました。

そのような体験と学んでいく知識からローマカトリックから正教会へと導かれていきました。(終り)

下に金田さんのお写真とニコライ堂の写真をお送り致します。

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今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

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