後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

きめ細かい山々の写真のあるwhitesocksさんのブログのご紹介

2010年08月21日 | インポート

whitesocksさんは横濱在住の方で、引退後はミニバンを駆って関東地方や東北の山々を奥様と一緒に登っています。ブログの文章がキメ細かで、写実的です。誠実なお人柄のようで、読んでいて気分の良いブログです。掲載されている数多くの写真も丁寧に撮った写真ばかりです。読んで楽しい・見て楽しいブログです。

ブログの名前は、「シンプル&スローライフ」です。その2007年8月27日掲載の「東北山紀行~秋田駒ケ岳・森吉・鳥海」という記事から小さな花々の写真を転載して、ご紹介いたします。転載許可を下さいましたwhitesocksさん、有難う御座いました。

写真の花々の名前は、http://whitesocks.blog78.fc2.com/blog-date-200708.html に御座います。ついでに他の多くの写真もお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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流浪の民、ロマのフランス国内からの強制追放はヒットラーの悪夢とつながる

2010年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム

017_2 ドイツ、ロマン派のシューマンの作曲による「流浪の民」という歌曲を通うして我々はロマの人々を知っています。昔はジプシーと言い、差別用語になったので1971年の世界ロマ会議以後はロマと呼びます。随分と昔の話ですが、私は1969年に3ケ月程、ドイツのローテンブルグ・オプ・デア・タウバーという中世の町に住んでいました。街をグルリと取り囲んでいる部厚い石組の城壁の外側の広場にロマ人のサーカスのテントがありました。時々、夜になると焚火をたいて周りで宴会をしています。その光景はシューマンの「流浪の民」の歌詞のようです。ロマンチックな雰囲気が焚火の周りに漂っています。

あのロマンチックな人々を最近、フランス政府は逮捕してルーマニアへ強制送還しているそうです。

インド北部のロマニの地から流浪の旅にでた人々はエジプト経由でヨーロッパに入ったものとルーマニアなどの東欧経由で西へ移動した一団とがあったそうです。フランスに現在居る多くのロマ人はルーマニア経由とフランス政府は勝手に想像しているのでしょう。

このニュースを見て私はヒットラーのユダヤ人殺戮の悪夢を思い出します。

ユダヤ人は400万人殺されたのですが、ロマ人も50万人も絶滅収容所で殺されたのです。ドイツ国内はもとより、ポーランド、ルーマニア、ブルガリアなど東欧に住んでいたロマ人がホロコーストの悲劇に見舞われたのです。

それだけではありません。ナチス親衛隊のアインザッツ・グルッペが東欧へ派遣され、収容所へ送る手間暇を省略して、その場で多数のロマ人を銃殺したのです。

今回のフランス政府の強権発動はヨーロッパに根強く棲みついている人種差別思想がまた頭をもたげて来たのです。少数民族やユダヤ人のように弱い立場の民族を迫害するのはヨーロッパの伝統的悪弊です。

ロマ人の犯罪率は確かに高いと思います。昔、パリの路上でロマ人の少女の一群に囲まれて小銭を取られた経験がありました。しかしフランス政府は犯罪を徹底的に取り締まれば良いことでです。何もしない真面目なロマ人の居住地を襲い、全員を逮捕し、ルーマニアへ強制送還する必要はありません。

皆様はどのようにお考えでしょうか?

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今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

=====下記はWikipedeaのロマの項目からの抜粋です======

第二次世界大戦によりドイツの占領地域が広がると、ナチスは再び多数のロマを抱えこむことになった。ナチスが「最終解決策」と呼んだ政策で、ロマはユダヤ人ホロコーストと同様に虐殺の対象とされた。これはポライモスPorajmos)と呼ばれている。正確な数は不明であるが、戦争中に約50万人のロマが殺害されたとされる。強制収容所への移送を待たずに現地で殺害されたものも多かった。ナチス親衛隊特別行動部隊「アインザッツグルッペン」が東欧の占領地域に派遣され、ユダヤ人、共産党員、ソ連軍捕虜とともに、多数のロマが殺害された。ナチスの被害にともなう戦後補償について、現在もロマはユダヤ人より不利な扱いを受けている。