どのように感じるか?それは人それぞれ自由で良いことです。しかし最近のマスコミの論調は住民票を管理している役所が悪いとか近所の人々が冷たい、人情が無いという非難を声高に報道しています。しかし何故そのようになるか原因を深く考えません。通り一遍に家族愛の消滅ということだけで済ませています。
しかし、間もなく旅立つ一個の老人として、少し違う視点から感想を書いて見たいと思います。左の白樺の林の中の一軒家に年老いた共産主義者が独り住んでいます。たまに会って少しだけ話をします。彼は主義者として共産党本部で働き通し、その信じた思想を今でも捨てていません。しかし官憲の厳しさは言語に絶します。彼の両親、親類は皆ひどいことになってしまいました。自分も結婚しますがその家庭も官憲の厳しさで破綻します。
共産主義は捨てていませんが、家族や親類に迷惑をかけたことを非常に残念に思っています。もうこれ以上家族や親族へ迷惑をかけたくない。その一心で白樺の林の中に住みついて、孤独に旅立って行く決心をしているようです。私の山の中の粗末な小屋の周りにはそのようにソッと旅立って行くのを願っているような人が2、3人住みついています。
行方不明になる老人は、これ以上家族へ迷惑をかけたくないという気持ちが強いのかも知れません。しかし人間の心は揺れ動くものです。決心はしていても淋しいのです。独りで死んで行くのが怖いのです。苦しむかも知れません。そのような老人を助けて上げることは重要なことと信じています。助けて上げますという言葉は禁句です。たまに訪ねて行って、少しだけ話を聞きます。あまり深く立ち入ることは失礼です。その仕事は役所の人でも近所の人でも良いのです。しかし役所の人はとかく年金や住民税の話をします。訪問の目的が、揺れ動く心を持った老人を勇気づけるということを忘れます。近所の人といっても都会では常日頃挨拶も交わしていません。いきなりアメリカの話を持ち出して恐縮ですが、こういう独り暮らしの老人を支えるプロがいるそうです。老人専門のソーシャルワーカーが活躍しているそうです。
上の白樺林の中の老いた共産主義者を先週訪ねました。もう姿が有りませんでした。近所の人に聞きます。昔育てた娘さんが時々遊びに来ていたそうです。病気になったので都会の病院へ連れて行ったそうです。軽い病気のようなので又帰ってくるでしょう。近所の人が言います。聞くと彼は穏健な性格で地元の農家の評判が良かったそうです。
孤独死が増えることをどの様に考えるか?解答を書くつもりはありません。私の個人的な感想を書いてみました。ご一読して頂ければ嬉しく思います。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人