私が誇りに思う友人の一人に原子力発電を推進をしてきた人がいます。実名を近藤達男君といいます。日本が初めて東海村へ軽水型原子炉をアメリカから輸入した頃に日本原子力研究所に入り、その後一貫して原子力利用技術の為の基礎研究をして来ました。一方では総理大臣の諮問機関である原子力安全委員会に参加し、原発の安全へ技術的な貢献をして来ました。当然ながら、原子力利用技術の積極的な推進派でした。その彼に私はかなり執拗に何故原発を推進して来たかブログに書いてくれと頼みました。 実名で書くという条件でメールと論評を送ってくれましたので、4回の連載記事として掲載します。近藤君が実名を使うので、彼への礼儀上私も実名を第一回の記事で使いました。 なお、近藤さんからのメールは、以前このブログへある原子力研究者の真摯な反省 と題して掲載しました。あわせてお読み頂ければ幸いです。 今回は第二回目の連載で、原発を推進しているフランスと原発を放棄する決定をしたドイツの事情を解説してくれました。 「原発反対!」と叫ぶ事は簡単です。しかしそれでは問題の解決にはならないのです。その深い理由をお考え頂くキッカケになってくれれば私自身も嬉しく思います。 ドイツ人が愚かであるか、フランス人が愚かであるか歴史が証明する時がやがて来るでしょう。日本の原発の将来はこの2国のような鮮やかな方針決定無しに、現実的な妥協案でずるずる動いて行くと思います。欧米文化と日本文化の違いがここでも鮮明になると思います。所詮は日本はその文化的基盤の上で原発の将来を模索しながら進んで行くしか無いのです。
========原発推進者の深慮と責任感(2)========
●ドイツとフランスの原子力
さて、貴方の論旨に1点だけ具体的に「いちゃもん」をつけます。先進国といわれる国々の原子力政策の記事です。貴見は表層的に過ぎ、実態はもっときびしい要因に支配されていると思ったからです。たとえば、ドイツとフランスの原子力事情や政策をあのように安易に比べるのは間違いのもとをつくりかねません。私自身それほど精しい知識があるわけではありませんが、これまで以下のような理解をしていました。
かつてドイツは高い原子力技術をもち、連邦政府も産業も原子力の利用推進の方向にあったが、あのチェルノブイリ事故のトバッチリで、市民の原子力技術への不信が芽を吹いてしまった。本来あのような事故は西側諸国では起こりえない、共産主義社会の問題を凝縮したような「人災」だったのは周知のこと。災害規模はアメリカのTMIや福島の事故と比べて数桁も大きく、地続きの大陸の国々に住む人々の反応として仕方のないことだったかと思います。
問題のフランスとの比較についての私の見方はこうです。ドイツは中央集権のフランスと対照的に「地方分権」が確立、あの事故で高まった原子力反対運動、路線変更(国内の褐炭、太陽熱活用など)によるエネルギー自給論などに州政府も政治家も「おもねる」かのように急速に流れを変えていった。あの時点での脱原子力政策は、地方政府の選択が連邦としての大局判断を支配してしまったというのが、ドイツの友人たちから聞いた話です。石炭、(特に国内に潤沢に埋蔵されている褐炭)による発電などは環境問題を引き合いに出すまでもなく、世界の環境保全トレンドに逆行するもの。ドイツのような工業国で原子力利用が必要なことは産業政策としてもむしろ自明ではないだろうか。原子力でドイツが往年の技術水準を早晩とり返す力はあるだろうが、隣国のフランスに電気の一部を分けてもらっているのが実情です。ところで、ドイツとフランスの「国境に近い」フランスの原発の話。専門の国際会議などでの雑談ですが、そのような原発について「ドイツ人が作ってドイツ側で運転するのと、そのフランスの原発から電気をゆずってもらう現実とどちらがドイツ市民にとって安全・安心か?」 という冗談とも付かない話を聞きました。(第三回記事へ続く)