後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

原子力発電装置の設計思想に根本的な間違いがありました

2011年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム
外部電源が止まる、緊急ジーゼルエンジン発電機が始動しない事態は津波以外の原因で必ず起きる自然現象と思います。冷却機能が止まればアッという間に水素爆発をして全ての配管や配線を傷つけます。
全ての電源が止まっても水が炉心に流れる単純な装置さえ作って置けば今回の危機的状況は防止できた筈です。
例えば高い所に大きな貯水池を作って置き、停電になったら、貯水池の水が重力差で炉心に流れ下るようにして置けば良いのです。炉心から流れ出た放射能に汚染された水は炉心より低い貯水池に貯めておき、満杯になったら海へ流し出せばよいのです。このように水の重力だけで炉心を24時間、あるいは48時間冷却する原始的な装置を付けて置けば、その間に正常な循環型冷却系統を修理し、作動させる時間が稼げるのです。全てを電気で動かそうという考えが間違っているのです。そんな素人考えをして居ましたところ、もと日産の技師をしていた友人から以下のようなメールを頂きました。私信ですのでその抜粋を以下にしめします。
=======もと日産の技師だった友人からのメールの抜粋======
藤山さん
前文は省略します。
原発の安全性は驚くことばかりでした。特に、
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110404-OYT1T00076.htm をご覧下さい。(下に転載)
この報道によると、冷却系が停止すれば、崩壊熱で3時間半で圧力容器破損の危険があるとは驚きです。
要するに、「冷却系が健全であれば」と言う前提で全て成り立っていたわけですね。
その冷却系がまた、電源とポンプを多重系統備えていても、同じ場所にあるので地震や津波で同時に壊れると言うお粗末な設計でした。
圧力容器が破損すればチェルノブイリです。
チェルノブイリは確か、100km圏に高濃度の放射性物質を撒き散らしたのでした。
私の家の100km圏内には関西電力の高浜原発がありますが、この原発の想定する津波の高さ、なんと78cmです。(藤山の感想ーー78cmとは津波対策ゼロと言うべきでしょう!ーー)
そもそも、原発は、津波の高さや震度を想定して確率論的に設計するような手法には馴染まないと思います。冷却系などの重要な部分には何があっても大丈夫なバックアップがないととても安全とは言えない気がします。
例えば、発電機とポンプを搭載した船を準備しておくとか。
今回の事件で、国民はかなり原子力の勉強をしましたので、今後、原子力発電所を新規に作ると言うのは相当困難になると思います。
僕自身は、現存の原子炉はバックアップを完全にする運用面で寿命まで使い続けるとして、新規に原子炉を建造したり、原子炉の安全性を向上する技術開発よりも、自然エネルギープラントの研究開発に税金を投じた方がよいと思っています。20年後はどんなブレイクスルーがあるか、想像もつかないのですから。
あ、これは、ずいぶん生意気なことを申しました。こちらでは今、桜が満開です。
季節の変わり目で体調など崩されませんよう。SY記
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以上の指摘は大変鋭いところを突いています。
「冷却系等が健全であるかぎり・・・・」という前提があまりにも安易過ぎたことを今回の事故は明らかにしてくれたのです。それこそ設計思想の大間違いでした。
私は設計した技術者を責めたり、非難したりする気持ちは一切ありません。人間の知恵とはその程度なのだと再度確認して頂きたいのです。絶対に完璧な技術は存在しないのです。それが技術というものの宿命なのです。全ての技術を信じ過ぎないようにしたいと思います。(終わり)
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参考資料:
東京電力福島第一原子力発電所2、3号機で使われている型の原発は、電源が全て失われて原子炉を冷却できない状態が約3時間半続くと、原子炉圧力容器が破損するという研究報告を、原子力安全基盤機構が昨年10月にまとめていたことがわかった。東電は報告書の内容を知りながら、電源喪失対策を検討していなかったことを認めている。 国は2006年に「原発耐震設計審査指針」を改定し、地震の想定規模を引き上げた。これを受け、国の委託で原発の安全研究に取り組む基盤機構が、09年度から様々な地震被害を想定した研究を始めた。 1970年前後に開発された、2、3号機の型の沸騰水型原発(出力80万キロ・ワット)については、地震で電源喪失した場合、原子炉内の温度や水位、圧力などがどう変化するかを計算した。 その結果、3時間40分後には圧力容器内の圧力が上がって容器が破損し、炉心の核燃料棒も損傷。格納容器も高圧に耐えきれず、6時間50分後に破損して、燃料棒から溶け出した放射性物質が外部へ漏れるとした。(2011年4月4日03時08分  読売新聞)

原発推進者の深慮と責任感(2)世論に従い原発放棄を決定したドイツの政治家達

2011年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム

私が誇りに思う友人の一人に原子力発電を推進をしてきた人がいます。実名を近藤達男君といいます。日本が初めて東海村へ軽水型原子炉をアメリカから輸入した頃に日本原子力研究所に入り、その後一貫して原子力利用技術の為の基礎研究をして来ました。一方では総理大臣の諮問機関である原子力安全委員会に参加し、原発の安全へ技術的な貢献をして来ました。当然ながら、原子力利用技術の積極的な推進派でした。その彼に私はかなり執拗に何故原発を推進して来たかブログに書いてくれと頼みました。

実名で書くという条件でメールと論評を送ってくれましたので、4回の連載記事として掲載します。近藤君が実名を使うので、彼への礼儀上私も実名を第一回の記事で使いました。

なお、近藤さんからのメールは、以前このブログへある原子力研究者の真摯な反省 と題して掲載しました。あわせてお読み頂ければ幸いです。

今回は第二回目の連載で、原発を推進しているフランスと原発を放棄する決定をしたドイツの事情を解説してくれました。

「原発反対!」と叫ぶ事は簡単です。しかしそれでは問題の解決にはならないのです。その深い理由をお考え頂くキッカケになってくれれば私自身も嬉しく思います。

ドイツ人が愚かであるか、フランス人が愚かであるか歴史が証明する時がやがて来るでしょう。日本の原発の将来はこの2国のような鮮やかな方針決定無しに、現実的な妥協案でずるずる動いて行くと思います。欧米文化と日本文化の違いがここでも鮮明になると思います。所詮は日本はその文化的基盤の上で原発の将来を模索しながら進んで行くしか無いのです。

========原発推進者の深慮と責任感(2)========

ドイツとフランスの原子力

さて、貴方の論旨に1点だけ具体的に「いちゃもん」をつけます。先進国といわれる国々の原子力政策の記事です。貴見は表層的に過ぎ、実態はもっときびしい要因に支配されていると思ったからです。たとえば、ドイツとフランスの原子力事情や政策をあのように安易に比べるのは間違いのもとをつくりかねません。私自身それほど精しい知識があるわけではありませんが、これまで以下のような理解をしていました。

かつてドイツは高い原子力技術をもち、連邦政府も産業も原子力の利用推進の方向にあったが、あのチェルノブイリ事故のトバッチリで、市民の原子力技術への不信が芽を吹いてしまった。本来あのような事故は西側諸国では起こりえない、共産主義社会の問題を凝縮したような「人災」だったのは周知のこと。災害規模はアメリカのTMIや福島の事故と比べて数桁も大きく、地続きの大陸の国々に住む人々の反応として仕方のないことだったかと思います。

問題のフランスとの比較についての私の見方はこうです。ドイツは中央集権のフランスと対照的に「地方分権」が確立、あの事故で高まった原子力反対運動、路線変更(国内の褐炭、太陽熱活用など)によるエネルギー自給論などに州政府も政治家も「おもねる」かのように急速に流れを変えていった。あの時点での脱原子力政策は、地方政府の選択が連邦としての大局判断を支配してしまったというのが、ドイツの友人たちから聞いた話です。石炭、(特に国内に潤沢に埋蔵されている褐炭)による発電などは環境問題を引き合いに出すまでもなく、世界の環境保全トレンドに逆行するもの。ドイツのような工業国で原子力利用が必要なことは産業政策としてもむしろ自明ではないだろうか。原子力でドイツが往年の技術水準を早晩とり返す力はあるだろうが、隣国のフランスに電気の一部を分けてもらっているのが実情です。ところで、ドイツとフランスの「国境に近い」フランスの原発の話。専門の国際会議などでの雑談ですが、そのような原発について「ドイツ人が作ってドイツ側で運転するのと、そのフランスの原発から電気をゆずってもらう現実とどちらがドイツ市民にとって安全・安心か? という冗談とも付かない話を聞きました。(第三回記事へ続く)