後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

地震と大津波は絶対に予測できない・・・地質学の限界を正しく理解しよう!

2011年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム

地震は大陸の地殻(大陸プレート)の下に大洋の底の地殻(海底のプレート)がもぐりこんだために起きるという説が有力です。堅い海底の地殻が堅い大陸の地殻の下に滑り込むのですから界面はギザギザに割れ、ストレスがある部分に溜まります。それが大きくなり過ぎて突然破壊と断層滑りが地下深くで起きます。当然大きな揺れが起き、それが地表へ伝わって地震となります。

大きな海底の上下の揺れが起きれば大津波が起きます。

仮設とは言え、原因がこれほどはっきり分かっているのに地震の予知は殆ど不可能です。不可能な理由は2つあります。

第一の理由は、岩石が割れる現象は脆性破壊という種類の破壊で、その破壊を起こさせる力は何回測定しても再現性が無い事です。測定値は岩石の中に無数に存在している微細な割れの分布の仕方で変化します。この微細な割れを英語ではマイクロ・クラックと言います。このマイクロ・クラックの分布は複雑で科学的予測が不可能なのです。熔解した火山岩が冷えて固まる過程でマイクロクラックが出来ます。堆積岩が水底で出来る過程でマイクロクラックが岩石中に複雑に分布します。

余談ながら鋼鉄線を引っ張ると初めは弾性伸びをします。もっと力を加えて行くと塑性伸びをして終いには塑性破壊をして切れてしまいます。こういう種類の破壊をする金属材料の引っ張り実験をして見るとその切断力の測定値は何時も一定しています。

この実験的事実を考えると海底での岩石の脆性破壊による地殻変動は科学的な予測が不可能な事が理解出来ます。

第二の理由は、大陸プレートと海底のプレートの界面は地下数十キロ以上と深いので局部的なストレスの溜まった場所を探すことが不可能なのです。

下の写真の真ん中近辺に横長の四角を描いた所が3ケ所あります。そこが地震の発生源になり易い大陸プレートと海底プレートの境目です。素人の私が描き込んだので正確ではありませんが大体正しいと思います。

Subductionzonej1

この3ケ所の四角形の下に線が引いてあります。この場所が地震発生の可能性がある場所を示す線です。

海底の地殻(海底プレート)がゆっくり動くのは地球の内部で熔けているマントルが流れ動いているからです。太平洋プレートは毎年10cm位西へ動くそうです。

下の写真は太平洋海底プレートとフィリッピン海プレートが西方向へ動いてユーラシア大陸プレートの下に潜りこんでい様子を示しています。潜り込むとき、海底が削り取られ日本列島が出来あがっている様子をご理解下さい。019

今回の大地震と大津波は悲しい事態になりました。先日、つくば市のそばへ行きましたので地質標本館によって地質模型を見て来ました。海底が剥ぎ取られたり、隆起して出来た島々が日本列島です。暗い気持ちで地質標本館の専門家の説明を聞いて来ました。

地震と津波は現在の地質学や地震学では絶対に予測がつかないのです。太平洋岸だけで起こるのか、日本海でも起こるのか予測がつきません。兎に角海があれば何時かは津波が起きると考えた方が良いのです。

私は仙台に生まれ22歳まで育ちました。三陸地方には津波があるが、仙台平野には津波が無いと教わって育ちました。しかしそれは間違った教えだったのです。仙台平野へは弥生時代と950年ころの貞観時代に大津波がありました。今回のように海岸から5km以上も内陸まで津波の運んだ砂礫層が明快に残っているそうです。

したがって海岸に危険な工場を建設する人々は、もう一度地質学を勉強し直して、その限界を正しく理解した上で工場を建設すべきです。今回の福島原発の建設に関係した人々が「地震や大津波は絶対に予測出来ない性質の自然現象だ」という事実を理解していなかったのでしょう。実は私も理解していなかったのです。自戒を込めて地質学の重要性が分かった次第です。地質学に興味を持ったのは引退して暇になってからです。専門家は、現役の間はとかく専門バカになり地質学を無視しがちです。明治維新とほぼ同時に当時の政府が欧米の地質学者を招聘して地質調査所を作った賢さに頭が下がります。是非一度、つくば市にある「地質標本館」を訪問して見て下さい。(終り)

関連記事:(1)富士山は781年以降、9回も噴火しています (2)富士山は3つの火山が重なって出来ています (3)海底の堆積岩(水成岩)が湾曲して隆起して高い山々になる


水戸市内住宅地の大地震による惨状の写真

2011年04月08日 | 写真

今回の地震と大津波の被害は想像を越えるものです。大津波の被害が酷過ぎました。そのニュースが大きいので、地震による被害が見落とされがちです。しかし、常磐地方や房総半島の太平洋岸は地震の揺れが大きく、長く続き、大変な被害を出しました。その一例を写真で示します。水戸に住んでいる友人の近藤達男さんが送ってくれました。掲載許可を下さいました彼に感謝します。マスコミには取上げられないもう一つの災害の様相です。

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原発推進者の深慮と責任感(1)「わかりやすい話」の陥穽と無責任さ

2011年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム

私が誇りに思う友人の一人に原子力発電を推進をしてきた人がいます。実名を近藤達男君といいます。日本が初めて東海村へ軽水型原子炉をアメリカから輸入した頃に日本原子力研究所に入り、その後一貫して原子力利用技術の為の基礎研究をして来ました。一方では総理大臣の諮問機関である原子力安全委員会に参加し、原発の安全へ技術的な貢献をして来ました。当然ながら、原子力利用技術の積極的な推進派でした。その彼に私はかなり執拗に何故原発を推進して来たかブログに書いてくれと頼みました。

実名で書くという条件で以下のメールと論評を送ってくれましたので、4回の連載記事として掲載します。近藤君が実名を使うので、彼への礼儀上私も実名で掲載します。なお、近藤さんからのメールは、以前このブログへある原子力研究者の真摯な反省 と題して掲載しました。あわせてお読み頂ければ幸いです。

「原発反対!」と叫ぶ事は簡単です。しかしそれでは問題の解決にはならないのです。その深い理由をお考え頂くキッカケになってくれれば私自身も嬉しく思います。

=========近藤達男さんからのメールと論評========

後藤和弘さん

このたびの震災にかかわる精力的な調査や論評の貴重なご努力ご苦労様でした。

さて、先日の拙私信に関連して、貴方から論評するようご示唆のあった貴ブログの原子力についての記事(原発事故による人々の悲しみと憎しみの解消・・・前向きの精神の為に!)を読みました。論旨には共感しました。一方、「率直に批判も」とのご示唆ですので、やや疑問に感じた点や誤解を招きかねない部分があればそこをあえてホジクリ出して、生来?の毒舌を吐くことにします。

ただ、前にも(私信で)書いたつもりですが、私は、一般的なスタイルのインターネット・ブログというものに偏見があって、自身が積極的になにか書くことになじめないでいます。まず、たいがいのブログが筆名ないし匿名で出されているところがどうも性に合いません。もちろん、ブログはネット情報として、趣味、娯楽、観光、買い物、グルメなどの気楽な情報交換とか教養を高めるなどには誠に便利で有用なメディアと思いますし、匿名も実名も気になりません。しかし、こと、人々の生活や生き方に強く関わる社会問題などへの意見表明、調査データの提示、個人・団体の批判(時に中傷まで含め)、風説等の論評などには互いに実名による表明、できれば顔が見えて互いに相手の目を見ながらの真剣なやり取り、などを通じて発言に最後まで人格的責任が取れる状況でなければ時間とエネルギーを費やす意義が少ないと感じています。「確信犯的」な偏見ですみません。

しかし、あれが私信だったとはいえ、自分が書いたことが貴方のお考えや心情にしつっこくからんでしまったことから、今回はご示唆に従い、謹んでその始末をしなければならないと思う次第です。

そこで、お言葉に甘え、親しい友人を気取った率直な(我田引水の?)メッセージをお送りします。ただ、心ならずも挑戦的な表現が混じるかもしれません。その場合の「無礼」は予め謝っておきます。なるべく「心穏やかなとき」を選んで読んで下さいね。

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さて、そのブログ記事ですが、ある部分でやや即断的な(失礼)論説が気になりました。私の話はあえてそこに絞ります。本来はこのたびの震災で特に原子力問題について書くことをご希望と思いますが、私は所掌ヘソマガリな話題ばかりを並べ、まず意見、風説、批判、などの情報がネットやメールで氾濫していることについて一般的な印象、ないし感想を述べることから始めます。

長くなりそうなので、ぶつ切りが出来るよう話題を便宜的に次の四つに分けてみました。

1.震災と関連情報の氾濫の功罪について

2.ドイツとフランスの原子力

3.日本とフランスが果たしてきた役割

4.ふたたび、氾濫情報/ 匿名談義 とテーマの重さについて

震災と関連情報の氾濫の功罪について

今度の震災や原発トラブルに関していろいろの立場、考え方の意見交換が自由に行われていること自体は、まさにインターネット時代の画期的な情報環境と言えましょう。しかし、上記のような偏見を持つ私の目には、扱われる問題次第でその「自由さ」が「放埓さ」と裏腹なことに感じられます。ネットを媒介にした情報の洪水が、時には抗いがたい社会問題を引き起こし、国際紛争に飛び火することすらあるのは、近年しばしば経験されることです。震災という不幸な出来事がきっかけでいまにわかに論じられはじめた原子力の開発・利用の是非に関わる諸問題は、すでに半世紀に及ぶ論争の歴史を負っており、その軍事的側面、工学的安全性、エネルギー消費と環境汚染などの論議などのからみ方はどれも複雑にもつれた糸のようなもの、少なくも「わかりやすい話」とか「明快な文書表現」といったキレイゴトにはなりにくいところがそもそもの問題なのではないでしょうか。

もともと国家的なエネルギー戦略、公衆安全に関わる公益事業などの問題では、発言者の経験的背景、思考習慣、利害得失などの立場次第で、正論を気取るさまざまな論理がありえます。今度の福島プラントの津波被害では、問題の背景も起こりつつある現象もかつて経験されたことのない「未踏領域」のことです。拙速の議論は不毛ないし危険ですらあります。一方、従来の経緯を拝見して扱う内容の重さや、アクセスの数から言って貴殿ブログの発言は社会的な影響が少ないとはいえません。事態の変遷をもう少しじっくり見とどけてから判断するためにも、この辺で一服されて、エネルギーと判断素材を蓄えてから改めて仕切りなおしを考えるのもよいのではないでしょうか。

思うに、専門家であろうと、一般市民であろうと、こうした問題に対する意見表明を通じて社会的に幾分でも役に立つアウトプットを出すには、文章にする前にせめて異なる見解の人々の間で率直で厳しい議論(いわゆるBloody Talk)を何度も繰り返すなどして得た結果を踏まえないと(あるいは繰りかえしても!)なかなか簡単に割り切れるものではありません。それは、私自身が過去のいくつかの原発トラブルに際して、専門家として現地に派遣されて痛感したことです。いきりたつ反対派の人々に囲まれたことも何度かあり、そこであくまで冷静、客観的な気持ちで話し合いを続ける難しさは言葉では表現しがたいものです。感情論、明らかな誤解の渦巻く論争では冷静な「解」を見出すことが難しく、専門家としての責任感だけを支えに、ときには真っ赤になってやりあったこともあります。一方、内容自体よりもその真剣さが、やがて両者にある種の共感に発展した経験も少なからずあります。どうやら、一筋縄では解けない困難な問題で確かな理解や合意を得るには一種の「暗黙知」の形成が必要のようです。暗黙知というものは人と人の直接の接触を要し、そこに醸される信頼感や共感をベースに作られるものらしく、インスタント食品風のテレビ報道や発信者の顔の見えないネット記事など、お手軽な「言葉による解」とは異なる次元のものです。<この辺、どうもうまく書けませんが・・・>