原発がどんなものか知ってほしい(全)平井憲夫
私は原発反対運動家ではありません
私は原発反対運動家ではありません。二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。
- 私は原発反対運動家ではありません
- 「安全」は机上の話
- 素人が造る原発
- 名ばかりの検査・検査官
- いいかげんな原発の耐震設計
- 定期点検工事も素人が
- 放射能垂れ流しの海
- 内部被爆が一番怖い
- 普通の職場環境とは全く違う
- 「絶対安全」だと5時間の洗脳教育
- だれが助けるのか
- びっくりした美浜原発細管破断事故!
- もんじゅの大事故
- 日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
- 日本には途中でやめる勇気がない
- 廃炉も解体も出来ない原発
- 「閉鎖」して、監視・管理
- どうしようもない放射性廃棄物
- 住民の被曝と恐ろしい差別
- 私、子供生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
- 原発がある限り、安心できない
私が誇りに思う友人の一人に原子力発電を推進をしてきた人がいます。実名を近藤達男君といいます。日本が初めて東海村へ軽水型原子炉をアメリカから輸入した頃に日本原子力研究所に入り、その後一貫して原子力利用技術の為の基礎研究をして来ました。一方では総理大臣の諮問機関である原子力安全委員会に参加し、原発の安全へ技術的な貢献をして来ました。当然ながら、原子力利用技術の積極的な推進派でした。その彼に私はかなり執拗に何故原発を推進して来たかブログに書いてくれと頼みました。
実名で書くという条件でメールと論評を送ってくれましたので、4回の連載記事として掲載します。
なお、近藤さんからのメールは、以前このブログへある原子力研究者の真摯な反省 と題して掲載しました。あわせてお読み頂ければ幸いです。
今回は第三回目の連載で、原発技術に真剣に取り組んで来た日本とフランスの努力を説明します。そして日本は軽々しく原発廃止を決定してはいけないという意見を発表しています。
「原発反対!」と叫ぶ事は簡単です。しかしそれでは問題の解決にはならないのです。その深い理由をお考え頂くキッカケになってくれれば私自身も嬉しく思います。
=======原発推進者の深慮と責任感(3)==========
●日本とフランスが果たしてきた役割 TMI(スリーマイル島原発事故)、チェルノブイルなどの経験をきっかけに世界を吹き荒れた原子力発電への逆風・推進・反対・中断・等々の嵐は何十年も続き、多かれ少なかれ今も続いています。 その間、日・仏両国が原子力開発・利用を積極的に推進し続けるのは政治・経済などの面で大きなリスク感覚無しには出来なかったことです。 反原子力・脱原子力が一時世界の流れになった裏には、産油国やいわゆるメジャーの石油戦略、各国の経済・産業上のエゴ、駆け引きなどが関係しているという話はよく聞きます。 一方、それぞれの国の中では、安全を真剣に求める市民の反対運動やグリーンパーティーなど政治勢力の攻撃、ときには妨害運動などもあり、日・仏も局部的にはその例外ではありません。 そうした逆風の中で終始開発を推進した努力は評価されるべきという見方もありえましょう。長い原子力モラトリアム状態から積極利用に政策転換したアメリカやスエーデンなど、いくつかの先進国、あるいは増大するエネルギー需要を何とかまかなって経済発展を支えようとする新興国にとって、日・仏の維持してきた知的資産はたしかな足がかりになると思います。 今の福島プラントの成り行きは多くの国々で反対運動再燃の懸念を生みつつあります。また、当事国の日本がこの危機をいかに乗り越えるかは、ことによると今後の世界史を大きく変えることにもなりましょう。 さらに現実的に足元を見れば、反対派の抵抗を気遣ってモタモタしていると、原子力技術においてもいつの間にか原子力後進国に逆転されてしまいかねません。 過去の経緯を振りかえるまでもなく、原子力推進・反対などの論議ではさまざまな観点が錯綜します。資源(化石資源依存、太陽等自然エネルギーないし再生エネルギーの定性的期待)、国家安全保障(権力独裁、核拡散、武力脅し、領土・権益争奪)、エネルギー・環境問題(地球温暖化理論の論争)、オイルパワーの陰謀(政治権力との結びつき、独裁権力の擁護)などの渦の中で揺れ動く各国の判断と挙動はそう単純であるわけはありません。すくなくも、近視眼的・短絡的な要・不用論議の蒸し返しは避けるべきであり、下手をすればあの無益なモラトリアムが繰り返されるリスクもあります。 震災の衝撃的な経験はわが国の今後の原子力政策にはなんらかの軌道修正をもたらさずにはおかないでしょう。 しかし、大局判断に誤れば、安定したエネルギー源の確保を前提とする工業国として日本が今後も経済・産業の活力を保てるか?という誰しも思いつく単純な疑問に答えられなくなるかもしれません。 ちなみに、石油、石炭、天然ガス、そしてウランまでも輸入に頼る日本では発電原価が高くなる宿命を負っています。実際、たとえばわが国の電力コストはアメリカ (ワシントン州など)に比べて圧倒的に高い。日本国内の製造産業はそのハンディキャップを背負って工業製品の輸出入で競っているという現実はしっかり見つめなおす必要があります。 1990年代、わが国のウラン濃縮研究として、革新的な独自技術(このときはレーザー分離法)を目指した研究戦略が作られたことを思い出します。原料の天然ウランは輸入であっても核燃料への濃縮が安価にできれば発電単価を実質的に抑えられるわけです。仮に規模、集中度とも原子力に代わるエネルギー源がありえたとして、それが日本の状況に適合するかどうかを十分吟味せずに脱原子力などを主張することは軽率です。(続く) それはそれとして、今日も皆さまのご健康をお祈り申し上げます。藤山杜人 (太陽はいつか輝きだすというイメージ写真をお送りします)
私はこの様なものネットで知りました。大変衝撃を受けました。
実在していた人の書いたものですから概ね本当と思われますが
藤山杜人さんはどのようにお感じになりますか。
平山憲夫著:http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
突飛なコメントで失礼いたします。投稿 玲 | 2011/04/10 09:06