後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

福島原発の今日の状況・・・陸上はますます改善、海上は汚染

2011年04月04日 | インポート

文部科学省は東北地方や関東・甲信越地方の各地の空気の放射能強さの測定値を発表しています。

その測定値の4月1日と2日と昨日3日の測定値を比較してみます。放射線の強さの単位はマイクロ・シーベルト/hour です。4月1日の測定値に対して比べた2日と3日の測定値を示します。なおカッコ内の数値は4月2日の午後4時の測定値です。そして最後の数値は4月3日午後4時から5時にかけての測定値です。

青森市0.026:0.027(0.027):0.027  

盛岡市0.028:0.025(0.025):0.025 

仙台市0.093:0.088(0.085):0.080 

福島市2.80:2.71(2.53):2.34(3月18日は5.7でした) 

いわき市0.62:0・62(0.60):0.55

山形市0.063:0.062(0.061):0.061 

宇都宮市0.092:0.089(0.086):0.084 

水戸市0.195:0.188(0.180):0.175 

さいたま市0.080:0.078(0.075):0.073

東京・新宿0.101:0.097(0.094):0.091 

千葉・市原市0.075:0.068(0.067):0.065 

長野市0.049:0.045(0.044):0.044

静岡市0.042:0.041(0.045):0.039 などとなっています。

以上の13箇所の3日間の測定値は間違いなく減少しています。ですから陸上はもうこれ以上悪い方向にはならない可能性が大きいのです。これは大変喜ばしい現象です。なお青森市の差の0.001は測定誤差の範囲です。

さて福島原発の現場では今日、重要な決定がなされました。それは全ての建屋の床や配管用トンネルや竪穴(ピット)に溜まっている汚染水を全て汲み上げるため、低濃度の汚染水を海へ捨てるという作業をする決定したのです。これは今後の復旧作業の為の現実的な第一歩なのです。海の汚染を恐れていては復旧作業は一歩も進みません。

福島原発の現場がやっと復旧作業を現実的に始めたという印象です。大変喜ばしいニュースです。

それと先程の枝野官房長官の記者会見で汚染野菜の出荷停止を解除するため、きめ細かい地域ごとの放射能強さの測定をすることになったと発表していました。

実際の出荷停止の解除は各種野菜の放射線測定を毎週3回行い、3回とも暫定規定値以下であればその地域の出荷停止を解除するという考えのようです。まだ先の事になるでしょうが、出荷停止の解除を議論出来る位、東北地方の空中放射線強さが減少して来た事を暗示しています。これも嬉しいニュースです。

原発自身の本来の循環式冷却系統が正常に動き出すのはまだまだ先の事、数ケ月先の事でしょうが原発事故の解決はすこしづつ着実に進んでいるようです。

現場で苦しい作業を続けている全ての人々のご健康をお祈りしています。


気仙沼市、大島へ強行上陸したアメリカ海兵隊の活躍

2011年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

もう随分昔の話ですが、1960年からオハイオ州立大学へ留学したとき海兵隊あがりの学生を見たことがあります。よく遊びに行った友人の隣の部屋に3人位で下宿していました。廊下ですれ違った時に少しだけ立ち話をしました。

勇猛で怖い顔をしていましたが意外に礼儀正しく、陽気です。ところが英語が分かりにくいのです。海兵隊独特の俗語まじりの特殊な発音なのです。

第二次大戦でサイパン島、硫黄島などへ上陸してきて、激しく抵抗する日本軍を下し、島を制圧したのが彼等の先輩たちなのです。その勇敢な戦いぶりに敵ながら感心していました。第二次大戦前に生まれた老人たちはアメリカ軍の海兵隊には特別な思いを持っていると思います。憎んでも居ましたがその勇気には一目置いていたのです。

その勇猛果敢な海兵隊が気仙沼市の離れ島の大島へ上陸し、津波にやられ、孤立していた島民へ救援物資を届けたのです。そして瓦礫整理のために240名位の海兵隊兵士が大島に展開し、1週間の野営生活を始めたのです。

下の写真は大島沖20kmに展開している強襲揚陸艦エセックスの演習中の写真です。左の小型航空母艦のように見える艦艇がエセックスで、その胴体の中には、下の写真にあるような上陸用舟艇を積んでいるのです。この上陸用舟艇に救援物資やブルドーザーなどの重機を満載し、沖合のエセックスから発進し、1時間かけて大島の浅瀬から兵員や救援物資と重機類を陸揚げしたのです。

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大島への強行上陸したときの様子と、瓦礫撤去の仕事ぶりを、一緒に上陸した読売新聞の中島健太郎記者が詳しく書いています。今朝の読売新聞の1ページと3ページ目です。記事の文章は従軍記風に臨場感あふれる名文です。読む人の胸を熱くさせます。

このエセックス強襲揚陸艦は3月11日の大津波の時、沖縄の基地を離れ、演習でマレーシアに居たのです。津波発生と同時に非常呼集をかけ三陸沖へ向かったのです。

アメリカ海兵隊と言えば太平洋戦争でさんざん日本軍がやられた一番憎い敵部隊でした。それがこうして日本人を助けているのです。太平洋戦争ははるか恩怨の彼方になったのです。有難い事です。感謝です。

アメリカ海兵隊は現在東北地方の被災地全域に展開して野営を続けながら、瓦礫整理をしてくれています。気仙沼市、大島だけではありません。海兵隊は上陸作戦の橋頭保確保という一番つらい仕事をします。津波の被災地でも瓦礫整理という汚れ役を引き受けています。

東北地方の津波被災地で活躍しているのは海兵隊だけではありません。多くの自衛隊、海上保安庁、消防隊、そして感動的なボランティアの人々が働いています。皆等しく献身的な働きをしています。この記事で海兵隊の事だけを取り上げたのは、それらの一つの実例として書いたのです。どうぞご了承下さい。

今日は東北地方の津波被災地で活躍している海兵隊、多くの自衛隊、海上保安庁、消防隊、そして感動的なボランティアの全ての人々へ深い敬意を表します。どうぞ健康でご活躍下さるようにお祈り申し上げます。

藤山杜人