後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ひたちなか市のセシウム137降下量は3月20日が最大で、その後減少

2011年04月06日 | インポート

文部科学省は東北地方や関東・甲信越地方の各地の空気の放射能強さの測定値を発表しています。

その測定値の4月1日と2日と3日と4日と5日の測定値を比較してみます。放射線の強さの単位はマイクロ・シーベルト/hour です。数値は午後4時から5時にかけての測定値です。

青森市0.026:0.027:0.027:0.026:0.026  

盛岡市0.028:0.025:0.025:0.0250.025

仙台市0.093:0.085:0.080:0.077:0.081 

福島市2.80:2.53:2.34:2.32:2.34(3月18日は5.7でした) 

いわき市0.62:0.60:0.55:0.55:0.50

山形市0.063:0.0.061:0.061:0.060:0.060 

宇都宮市0.092:0.086:0.084:0.082:0.080 

水戸市0.195:0.0.180:0.175:0.169:0.163 

さいたま市0.080:0.075:0.073:0.071:0.070

東京・新宿0.101:0.094:0.091:0.089:0・089 

千葉・市原市0.075:0.067:0.065:0.063:0.061 

長野市0.049:0.044:0.044:0.043:0.043

静岡市0.042:0.045:0.039:0.038:0.036 などとなっています。

以上の13箇所の4日間の測定値は間違いなく減少しています。ですから陸上はもうこれ以上悪い方向にはならない可能性が大きいのです。これは大変喜ばしい現象です。

以上の空中放射線強さの減少を裏付けするように、ひたちなか市のセシウム137降下量は3月20日が最大で、その後減少している図面が発表されています。今朝の読売新聞29ページ目のひたちなか市と東京、新宿のセシウム137の降下量の毎日の変化を示す図面が出ています。新宿区の降下量は一日遅れの3月21日が最大になっています。降下量はその後急速に減少しています。しかし3月30日頃に小さな山が見られ、4月1日以後は両地点ともほぼゼロになっています。

福島原発は目下大きな海洋汚染を起こしています。炉心からの強い汚染水の海への流れ出しを急いで止める作業を進めなければいけません。しかし漏れている場所が判明していないので困難な戦いが長期間続く事になりそうです

強い放射線のある復旧現場で働いている全ての人々の安全をお祈りいたします。


桜は毎年同じでも、見る人々の気持ちは変わる

2011年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム

仕事に忙しい人々は通勤の途中で桜を見、ああ、今年も春が来たと一瞬思う。年老いて体力の無くなった老人は、ああ、あと何回桜花を見る事が出来るだろうと思う。決して淋しい思いではないがしみじみと眺める。かつて一緒に花見をして、今は死んでしまった祖父母、両親を偲びながら桜を見る人々も居る。

今年も桜が咲きました。大地震大津波と原子力発電所の大きな事故で桜を見ながら考える事が変わりました。何か大きな虚脱感が背中にかぶさっているようです。喪失感のような感じでもあります。

直接被害を受けた訳ではありません。しかし多くの命が奪われ、平穏な生活が根こそぎになりました。第二次大戦の後、営々と努力して復興し、豊かになった日本の富が一瞬の大津波で流されてしまったのです。高さ10mの津波対策の大堤防も何の役にも立たなかったのです。人間の無力さに心が萎えます。

その上、技術立国で国富を増やしてきた日本の技術への信頼が突然崩れてしまったのです。私は1959年に日本で初めて出来た原子炉の運転講習会へ参加した事があります。茨城県の東海村の日本原子力研究所にはじめてアメリカから輸入された実験用の原子炉でした。それは完璧に作動しました。それ以来、原子炉の安全性を堅く信じて来ました。事故を起こした「もんじゅ」の事故現場を何度も見て、その事故の軽微な事にむしろ安心していました。その信頼が一瞬にして消し飛んだのです。

キリスト教を信じ、毎日イエス様や神様へお祈りしていましたがその信仰も傷つきました。信仰を捨てようとは思いません。しかし、何故神様がこんなむごい事を東日本の人々へするのか訳が分かりません。一体、東日本の人々は何か悪い事でもしたというのでしょうか?答えはありません。神様は沈黙しています。

今回の東日本の大津波と福島の原発事故は3月11日に始まりました。それから次第に日々が流れて行き、次第に落ち着いて来ました。昨日は富士山の姿を見て来ました。今日からは桜の花々を見ようと思っています。東日本の被害者の方々が少しでも早く前向きの気持ちになるように祈りながら、桜の木の下を歩いて来るつもりです。下に近所の公園の桜花の写真をお送りします。

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一緒に歩いて、桜を見上げた家内は「今年ばかりは墨染めに咲け」と呟いておりました。