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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

J182 さんからのコメントに従って、記事を書き直しました

2011年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

J182 さんから以下の記事に対してコメントを頂きました。

今回の地震・大津波は絶対に天罰ではないと考え・・・死者の鎮魂を強く祈れ!

私の言いたい事は2つだけでした。

(1)石原氏の天罰発言は震災直後で被災者が落ち込んでいる時には不必要な発言と思います。こういう発言は皆が落ち着いてから、慎重にするべき性質のものです。天罰と感じるのをいけないと主張しようとしていません。しかしその発言のタイミングを考えないと人々へ不快感を与える可能性があります。

2)震災で被害を受けた人々は震災を天罰と考えないで、元気を取り戻して元の生活を一日でも早く取り戻すのが良いと思います。そして不幸にして亡くなられた方々の鎮魂を祈るようにしましょう。

J182 さんのコメントは私の書き方が悪くて、上の2つの主張をご理解頂けなかったと思います。石原氏を悪者と決めつけるような表現が2、3ケ所にありました。その点でJ182 さんは失望されたものと思います。私の書き方は公平を欠いていて、その上、石原氏の人格を傷つけるような箇所があった事を深くお詫び申し上げます。J182 さんはこのブログの他の記事も丁寧にお読みになった上で、石原氏に関する記事だけを非難されています。ごもっともなコメントの内容なので、4月26日の記事を下記のように訂正いたします。

======訂正後の記事の文章=============

今回の大災害が起きてすぐの頃、東京都の知事の石原慎太郎氏がこの大きな天災は天罰だと言いました。日本人があまりにも驕っていたから天誅が下ったという意味でした。その感じ方には賛成出来ます。

しかし大津波で家族を失った直後の人々にとって誤解しやすい発言でないでしょうか?タイミングを考えて発言すべきだと感じたのは私だけだったでしょうか?

家族を失っただけでなく田畑や漁船などを津波に襲われ、生活のすべも無くなり、目の前が真っ暗になっている被災者へ「天罰がくだった」という言葉だけが伝わったとしたら、それは心穏やかではありません。

正しい事なら何時言っても良いというものではありません。心に大きな傷を負った人間が落ちついてから言っても良い事だったと残念に思います。

東日本の漁師や農民は真面目に毎日えいえいと働いていたのです。家族を愛し、少しずつ貯金をして車を買ったり、質素な家を作ってきたのです。決して驕り高ぶるような人々ではないのです。そのような人々が不運にも天災に襲われたのです。その不運、不幸に同情し、心を寄せるのが人間らしい態度です。そして全ての亡くなった人々の鎮魂を強く、強く祈るべきと思います。特に人生の途中だった人々や、亡くなった子供たちはさぞ残念だったことでしょう。心からの鎮魂の祈りを捧げます。

不幸な天災や事故がこれ以上起きないように神様に祈るのは正しい行為です。

神様へ亡くなった人への慈しみを願い、祈るのは正しい事です。被災者の健康と立ち上がる勇気を祈るのは正しい事です。神様を恨んではいけません。神は人間を大切に思い、愛しているのです。

今日は亡くなった全ての人々の鎮魂をお祈りいたします。そして被害者が一刻も早く将来の生活について前向きの気持ちになれますように神様へ強くお祈り申し上げます。福島原発の事故の故に故郷を離れた人々の為にも強くお祈り申し上げます。藤山杜人


孤独が好きな方々へヨット趣味をお薦めします

2011年04月30日 | 写真

ヨットに仲間と一緒に集まり、ワイワイ騒ぎながら帆走するのも楽しいものです。しかし一人で静かに帆走すると、何故か孤独感が大切に感じます。人間は時々孤独になることが良いのではないかと思います。

桟橋に係留して12年間も一緒遊んだヨットをしみじみと見て、楽しみます。相棒という感じです。買ったときはあんなに真っ白で美しかったのに、年老いてシミやシワが出て来たようです。

そして湖上で、微風を一枚の帆に受けて走っていると自分の人生のあれこれを思い出して楽しいものです。悲しい思い出も出てきます。静かな孤独な時間です。

そんな写真を2枚示します。孤独が好きな方々へヨット趣味をお薦めします。

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日本は原子力発電を止められるか否か(5)結論は  止められない!

2011年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

今までこのブログでは、「日本は原子力発電を止められるか否か」という4回の連載記事を掲載してきました。以下の通りです。

日本は原子力発電を止められるか否か(1)国民一人当たりのGDPと国別の原子力発電施設の数を比較してみる

日本は原子力発電を止められるか否か(2)科学技術覇権主義と原子力発電技術

日本は原子力発電を止められるか否か(3)日本の石炭火力発電所を見直そう!

日本は原子力発電を止められるか否か(4)原発のお陰で福島へ7000億円が流れた 

これらの記事をお読み頂けると原子力発電はいろいろな理由で日本の国策として1970年頃から40年間の長きにわたって推進されてきた事情がある程度理解できると存じます。

そして原発は過疎に悩む地方の経済活性化に大きな貢献もして来たのです。そのように重大な国策として推進してきた原子力発電を急に廃止する事は日本人の力では不可能な事と思います。ですから結論は明らかです。

大事故を起こさないで残った50基ほどの原子力発電所はそのまま数十年稼働を続行するでしょう。勿論安全対策は格段に向上するでしょう。寿命の来た部品の交換と、発電設備の改良は加速的に進むでしょう。

しかし原発の新設は世論に配慮して、これから5年位は止まるでしょう。その間の電力需要の増加は石炭火力発電所を2つ位作れば充分な筈です。

喉元すぎれば熱さ忘れるというコトワザ通り、5年も経過すると「格段に安全な原子力発電所」として、また2基ほどの原子力発電所が建設されるでしょう。

これが私の結論です。

現実はこのように進行しますが、私の信念は変わりません。

「これから10年位かけて原子力発電所を次第に石炭火力発電所や天然ガス火力発電所へ置き換えて行くべし」というのが私の変わらぬ意見です。そうすべきという信念を堅持しています。

その結果、日本の経済力が国際的に多少不利になっても、それを甘んじて受け入れる覚悟もすべきと信じています。放射能への恐怖を抱えた多くの人々が住んでいる国は絶対に幸せな国ではありません。

国民全員が多少貧乏になっても、放射能の不安や原発による経済的不平等を無くし、皆が幸せに暮らせる国を作った方が良いと信じています。こんな考えを持つ人が少しでも多くなりますようにと祈っています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人