後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

福島第一原発から北西方向30kmの飯館村が要注意地域

2011年04月01日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発事故以来、客観的な放射線強さの測定をして、継続的に新聞発表をしている文部科学省には感心しています。今日の発表は今朝の読売新聞の29ページに出ています。

その測定値を毎日みていると以下の様な傾向が明確に分かります。

(1)東北地方全域の放射能強さは初めの頃の水素爆発以来、じょじょに低下傾向にあります。昨日の31日の測定値は多くの地域で前日以下となっています。特に福島市では10日前の三分の一近くまで減少しています。

この事は福島第一原発での多量の海水汚染にもかかわらず空中へ放散される放射性物質が次第に減少している事を示しています。この事実は福島県民にとって大きな安心情報です。

(2)所が以前から福島第一原発の北西30km地域だけは不思議に放射線が強いのです。以前から140マイクロ・シーベルト/hourという測定値が続いていたので私も心配していました。文部科学省も注意していたらしくてこの地点の3月23日正午から連続して7日間の積算放射能強さを測定して昨日発表がありました。

北西約30km付近の浪江町:7490マイクロ・シーベルト/7日間

北西約30km付近の飯館村:4449マイクロ・シーベルト/7日間

西北西約30km付近の浪江町:3428マイクロ・シーベルト/7日間

これら3地点での測定値を365日へ換算するといずれも年間許容量の1000マイクロ・シーベルト以上になります。

そこで、測定値の最大の7480マイクロ・シーベルト/7日間を50倍して年間に換算すると、374000マイクロ・シーベルト、すなわち374ミリ・シーベルトになります。この値は健康に害のある200ミリ・シーベルトを越えるので、このままの放射線強さが今後1年間続けば危険信号と考えられる。

浪江町はすでに避難していますが、避難地域でない飯館村はこれからの放射線強さの測定値を注意深く見守る必要があります。

そして何故、福島第一原発の北西方向だけが危険なのか?その原因を文部科学省が気候データの解析とともに明らかにして欲しいと思います。

どうぞ皆様もお考え頂き、何かご意見がありましたなら是非コメントとしてご投稿下さいます様にお願いいたします。


宮城県、一迫ゆり園の花々を見て元気になろう!・・・東北、頑張れ!

2011年04月01日 | 写真

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宮城県、一迫(いちはさま)ゆり園には花々の大群落が初夏の丘陵に広がっていました。2008年の夏に訪れました。その時の見事な花々の写真をお送りします。

大地震・大津波にあった方々が一刻も早く元気になるように祈りを込めて花々の写真をお送り致します。

一迫(いちはさま)ゆり園には、オランダから輸入した200品種、15万株が一斉に開花し、強い芳香を漂わせていました。品種の名前、マルコポーロ、リオネグロ、ドットコム、カプチーノなどとメモをとりながら写真を撮っていましたが、あまりにも多いので止めました。純粋に花々の美しさだけを写し撮ることすることにしました。

働いている男性から話聞きました。一番注意することは秋の終わりに球根を全て掘り越し、種類毎に丁寧に殺菌することだそうです。そして土壌を深く掘り返し、肥料を入れ、よく混ぜて、土が落ち着いてから球根を種類毎に植えつけるそうです。すると6月中旬から素晴らしい花の絵画が丘の上一面に開くそうです。オランダで品種が次々新しく作り出されます。新しい品種の球根を輸入して植えるのです。そのような努力は平成3年の開園以来続けてきたといいます。

場所は宮城県の北西端の栗駒高原の栗原市、一迫町。アクセスなど詳しくは下記のURLをご参照下さい。http://www15.plala.or.jp/ichihasama_yuri/ 

撮影日時:2008年7月4日午後3時頃、


あなたは米軍の献身的な救援活動に胸が熱くなりませんか?

2011年04月01日 | インポート

大津波に襲われた仙台空港の滑走路の瓦礫を取り除き、たった5日間で、再び輸送機が着陸出来るようにしたのはアメリカ軍と自衛隊の共同作業でした。特に沖縄から来た海兵隊は大活躍したようです。

そして横田基地から救援物資を満載した輸送機が着陸したのです。これにより東北地方の救援物資の輸送が迅速に流れだしたのです。

まだ空港の外には瓦礫がある中を、米軍輸送機が土煙を上げて着陸する姿を見て、仙台出身の私の胸が熱くなりました。下の写真は全く別の写真ですが、土煙をあげて着陸している様子が仙台空港の滑走路と似ていましたのでWikipedeaからお借りしました。

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アメリカ軍の大規模で、多岐にわたる救援活動は毎日のように新聞で報道されています。

今朝の読売新聞一面には、「日米、不明者を一斉捜索」と題した記事では米海軍と海上自衛隊と海上保安庁の艦艇が一斉に三陸沖、仙台湾、福島沖に展開し海上に流れ出た生存者や遺体の発見に従事するのです。

特に三陸沖にある空母・ロナルド・レーガンからはヘリ20機を飛ばして海上の捜索に当たるのです。艦艇は15隻ていどが展開し、捜索にあたります。

その他に今朝の読売新聞の28ページ全面を使って、「日本の力に」眠らぬ艦船、と題した記事では米軍の救援活動の全てを紹介しています。特に普天間基地の海兵隊の港の瓦礫撤去や水・食料の輸送が感動的に書いてあります。強襲揚陸艦エセックスやトーテュガの活躍が報告されています。

3月28日までの米軍の活動は出動艦艇19隻、航空機133機、人員18000人、輸送した救援物資240トンとなっています。

私はこのような在日米軍の献身的な救援活動に深い感動を覚えます。胸が熱くなります。日米が戦後65年間、えいえいと培って来た友情の温かみが感じられます。嬉しい事です。救援活動にあたっている全ての米軍将兵へ深い敬意と感謝の意を表します。

下の写真はWikipedeaの「アメリカ第七艦隊」の項目からお借りしました。

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現在も暴れている福島原発の完全解決までの手順と期間

2011年04月01日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発の現状は、1号炉から3号炉の原子炉格納容器の下半分に付いている多くの配管から、「炉心で汚染された海水や真水」が流れ出ている状態です。そして更にその汚染水が発電機建屋や屋外へ流れ出て、海まで流れて行っている状態が続いています。この状態は3月12日に起きた水素爆発から続いています。特に特殊消防車による大量の海水注入以来、海へ流れ出る汚染水も増加したと思います。勿論、4号炉の核燃料貯蔵タンクから溢れた海水も建物の外へ、さらに海まで流れています。流れを止めるには注水を止めれば良いのですが、それをすると炉心が再加熱し爆発します。

この状態で、放射能を飛散しないように樹脂を散布したり吸着材のゼオライト粒を撒いたりすることが検討されています。また原子炉を巨大なビニールの布で覆うという事も検討されています。しかしこれら全ては末梢的な対策で、原子炉の完全鎮静化とはほど遠い対策です。

福島原発の完全解決とは、「暴れている原子炉の炉心」から全ての燃料棒を取り出し、遠方の建屋内の貯蔵プールへ移動させなければなりません。その後で強く汚染を受けた炉心圧力容器と原子炉格納容器の内部と外部をぶ厚いコンクリートで固めてしまいます。ここまで出来れば、「ほぼ完全解決」です。

この「ほぼ完全解決」にいたるまでの手順を以下に順序だてて描いています。

(1)まず原発工場内の敷地の整理整頓をし、敷地内を放射能対策をほどこした車両が自由に動けるようにします。次に原子炉の入っている建屋の中の床の上の瓦礫も完全に徹去します。そうして遠隔操縦の溶接機などが原子炉建屋内に入れるようにします。

この作業では原爆実験を繰り返したアメリカ軍のロボット清掃車や遠隔操縦のブルドーザーなどの活躍が期待できます。

この撤去、清掃作業は数ケ月位かかると思います。特に原子炉建屋の中の整理には技術的に困難な事態が多いと想像できます。

(2)原子炉建屋の中へ遠隔操縦の水中溶接機を入れて、原子炉格納容器の全ての割れや穴を溶接で埋めます。海水が漏れている穴を溶接するのですから、海中で溶接が出来る水中溶接機が必要です。この水中自働溶接機は日本の港湾工事会社が多数持っています。

この作業は技術的に一番難しく、紆余曲折をしながらゆっくり進みます。多分一年以上かかるかも知れません・

(3)遠隔操縦の水中自働溶接機ですべての割れや穴が塞がれば、後は本来の循環式冷却系が動かせるのです。これが動き出して炉心温度が冷温になって安定するまで1年位かかるかも知れません。しかしここまで来れば安心です。

(4)炉心が冷温になり安定化したら核燃料棒を慎重に取り出します。燃料棒が損傷してますから簡単には抜き出せません。しかしこれは技術的に解決可能な問題です。時間はかかるでしょう。10年位かかるかも知れません。

(5)抜き取った燃料棒は少し離れた所に仮設の貯蔵プールに移し、安全に保管します。

(6)燃料棒を抜き取ったら原子炉格納容器と炉心圧力容器に、水中自働溶接機で大きな穴を開け、多量のコンクリートが流しこめられるようにします。大きな穴が開いたら生コンクリートを流し込みます。

ぶ厚いコンクリートで福島原発を固めればほぼ完全解決です。

以上、(1)から(6)まで10年、あるいは20年位の期間が必要になると思います。

今日は福島原発の復旧作業をしている全ての人々が放射能を浴びないようにお祈り致します。必ず個人個人が線量計を胸に付け、無理をしないようにお願いいたします。藤山杜人