後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

福島原発で、炉心への注水が小さな余震で50分も止まる事故が起きるとは!

2011年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

先程の17時17分ころ震度5程度の余震があり福島原発が停電し、津波警報が出ました。

この余震発生の前は、原子炉建屋外部に仮設したポンプへ外部電源を供給し、1号炉、2号炉、3号炉の炉心へ真水を注水をしていました。

ところが、17時17分の地震発生と同時に停電し、炉心への注水が止まりました。

そして停電の原因が修理されるまでの50分程も、炉心への注水が止まったのです。もともと燃料棒が半分以上水に漬かっていなくて損傷したり熔融していると考えられています。注水が止まればもっと熔融して危機的な状況になる可能性があるのです。

外部電源が停電した時、予備のジーゼルエンジン発電機が自動的に始動しません。消防用のポンプ車も間髪を入れずに炉心へ注水をしませんでした。緊急対策が出来ていなかったのです。

作業員が数人貼りついてジーゼルエンジンを始動してケーブルを伸ばして仮設ポンプへ繋ぐ作業が必要なのです。消防車を動かして消防ポンプを炉心へ繋がっている配管へ接続する作業が必要なのです。

ところが余震と同時に津波警報がでたので、福島原発では全ての作業員を退避させたのです。その結果、予備のジーゼル発電機も消防ポンプも動かせなかったのです。

これは津波対策を全然していなかった事を意味します。とんでもない怠慢です。

停電したら人間が居なくてもジーゼル発電機が自動的に始動できるように何故セットできないのでしょうか?何故消防ポンプが自動的に動くように出来ないのでしょうか?

全く東京電力の危機感の無さと、技術レベルの低さには唖然とします。

東京電力を直接監督している経済産業省の原子力・安全保安院の監督の甘さもあるのでしょうか?こんな状態ではとても心配です。


元原子力安全委員長、松浦祥次郎氏の謝罪と原子力族の3つの部落の対立

2011年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

元日本原子力研究所長で内閣府所管の元原子力安全委員会長の松浦祥次郎氏が4月1日に文部科学省での記者会見で、福島原発の道義的責任を認め謝罪しました。

謝罪する必要は無いという後ろ向きの意見が原子力族内部から出たという報道もありました。4月11日の読売新聞の13ページに大塚記者が報告しています。

原子力の安全を監視し、指導する立場の委員会の長として今回の大事故の道義的責任をとって謝罪するのは当然であり、その率直な謝罪は歓迎すべきと信じています。少なくとも松浦祥次郎氏は人格的に立派な人と分かりました。

しかし原子力族内部に存在する3つの同士の確執や競争関係を考えると謝罪する必要がないという意見も理解できます。

その背景は、原発推進者の深慮と責任感(4)「素人の目線」は失敗する の著者の近藤達男さんから電話で聞きました。電話なので間違いもあるでしょうが、私の過去の知見も含めて3つのが何故出来たかを説明してみます。

(1)まず原子力関係者を大きく分けると、文部科学省所管の国立大学の原子力関連学科や研究所と、日本原子力開発機構が一つのを形成しています。

(2)第二のは経済産業省の原子力安全・保安院を中心とした原発関連の諸部門の行政官のです。

(3)最後のは各電力会社や原発開発会社、そして東芝、日立などの原発建設会社などの利潤追求団体の原子力部門の人の属するです。

上の(1)、(2)、(3)のの体質の特徴は文部科学省的、経済産業省的、利潤追求優先的といえばある程度お分かり頂けると存じます。

松浦さんが委員長をしていた原子力安全委員会は本来は科学技術庁に深く関連していて、どちらかと言うと学者的な性格が強く、世間知らずのロマンチストが原子力の夢に生涯を捧げるというタイプの人が委員になっています。

そのの下に(2)の原子力安全・保安院があり、これが電力会社を直接指導、監督しているのです。ですから(1)は利潤追求の業界を監督する権限も実力もありません。

従って、(1)のに属する人々から、「謝罪する必要無し!!!」という大声が上がるのです。何せ福島原発の事ではとかく蚊帳の外的扱いを受けています。

(3)のは利潤追求を優先しますから環境への配慮や付近の住民の被害よりもどうしても自分の会社の損失を少なくしようとします。それが悪いと言っても資本主義の世の中では仕方の無いことです。その上、電力業界という業界団体が後ろについていて東京電力をバックアップしています。

この様に縦割り行政に従った3つの独立組織の上に、急に菅総理大臣が乗り、福島原発を収拾しようとしても無理があるのです。長い間続いていた縦割り行政の壁を破り、学者、行政官、原発会社の社員が一丸となって努力すべき緊急の時にそれが出来ないのです。この事情が分からない外国の人々は菅総理大臣にリーダーシップが無いと批判します。しかし誰が総理大臣になっても同じことです。

日本では危機管理が出来ないとよく言います。その原因は幾つかありますが、この縦割り行政の伝統が一番大きな原因と私は信じています。

これから福島原発はどうなるのでしょうか?皆さまもさぞご心配の事と存じます。

復旧作業をしている人々の放射能からの安全をいつもお祈りしています。

時事通信社 - 「解決法突き詰めず、申し訳ない」=原発推進めぐり元安全委員長より転載
原子力安全委員会の松浦祥次郎元委員長は2011年4月1日、福島第1原発の事故を受け文部科学省で記者会見し、「原子力の利益は大きく、科学技術を結集すれば、地震や津波にも立ち向かえると考えて利用を進めてきたが、考えの一部をたたきつぶされた」と述べ、「問題の解決法を突き詰めて考えられていなかったことを申し訳なく思う」と謝罪した。
 松浦元委員長らは会見で、冷却装置が復旧できなければ、大量の放射性物質が外部に流出する恐れを否定できないとして、一刻も早い装置復旧を提言。東京電力や経済産業省原子力安全・保安院の態勢の不備が一因となり、復旧が遅れていると指摘し、日本原子力研究開発機構など関係機関を総動員した態勢の構築を求めた。(2011/04/01-22:21)


とにかく桜の花をたくさん見て元気になりましょう!

2011年04月11日 | インポート

3月11日の東日本大震災以来元気が出ません。そこで今日は高幡不動の裏山の桜を見に行きました。桜を見て元気になったので、裏山の尾根づたいに4kmほど散歩して来ました。新緑が出始めていて山は元気そうでした。025 028 031026 032


終戦後の事をしきりに思い出す今日、この頃

2011年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

今回の東日本大震災は町々を壊滅し、3万人近い尊い命を奪いました。残された家族の悲しみは深く、その心の傷は何時までも癒されません。

経済の高度成長の豊かさに慣れた人々へ衝撃を与えました。衝撃はやがて深い悲しみへと変わりました。

何故か理由は分かりませんが、私は少年の頃経験した終戦後のことを思い出しています。そして、いつもそれと比較して考えています。

当時は全国の都市がB29の編隊爆撃で一面、焼け野原になっていたのです。焼け残った白壁の土蔵以外は一面瓦礫が広がっていたのです。今回大津波に襲われた後の町の風景に似ていました。その焼け野原を歩きまわった記憶を思い出しています。

日本の船も飛行機もアメリカ軍にやられてしまい、復員船も米軍のLSTという上陸用舟艇を借りていたのです。シベリアからの復員船の興安丸は日本の船でしたが、それは数少ない日本の船の一つでした。帆船日本丸もすべてのセールやマストを取り外して復員船として使われていました。

東日本大震災の復興は1、2年では済みません。少なくとも5年、いや10年は必要でしょう。しかし日本に残った無傷の財産は必ずや復興の足がかりになります。

緑の山並みを見ていますと、終戦の時、外地から引き揚げて来た人々が緑豊かな日本を見た時の気持ちを想像していました。

理由も無く、「国破れて山河あり 城春にして草木深し・・・・」という詩を思い出していました。日本が戦争に負けた訳ではありませんが、東日本大震災のせいでそんな思いをするのです。

日本は必ず復興します。そんな確信も沸いてきます。その復興を祈って写真をお送り致します。

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原発推進者の深慮と責任感(4)「素人の目線」は失敗する

2011年04月11日 | インポート

今回は第四回目の連載で、原発問題は背景が複雑で、素人の意見は危険な結果を招きかねいないと警告しています。

そして日本は軽々しく原発廃止を決定してはいけないという意見を発表しています。

「原発反対!」と叫ぶ事は簡単です。しかしそれでは問題の解決にはならないのです。その深い理由をお考え頂くキッカケになってくれれば私自身も嬉しく思います。

=======原発推進者の深慮と責任感(4)==========

●ふたたび、氾濫情報/ 匿名談義 とテーマの重さについて

ここでまた最初の話に戻ります。とにかくエネルギー問題や環境問題は趣味や食べ歩きなどの話題と異なり、概して重く、根深く、複雑です。論議をする者、素人・玄人の関係についても、時には「軽慮」をあたかも正論として声高に主張する人々(これは誤解を招き易い言い方ですが)の言い分の方が一見歯切れがよければそれに振り回され、かえって問題を難しくするか、判断を誤らせてしまう場面もあります。たとえば、かつて地方行政で「素人の目線」といった観点が強調されたことがあります。それを意識しすぎた人材構成の諮問委員会が大切な公益事業を失敗に導くといった地方自治体の笑えない経験も少なくありません。人々はともすれば言葉に酔うことがあります。重大な問題の進路を決めるにはそうした愚を警戒しつつ、選択の功罪をしたたかに考え続けねばなりません。昨今の企業活動の国際化と国内産業空洞化、外国人労働者受け入れと新卒の就職難、農産物輸出入自由化と食料自給率など、一筋縄でない現実的な問題が山積しているのはご承知の通りです。

繰り返して言います。言論の自由、天真爛漫な意見表明などが民主主義社会の誇るべき特徴であることは間違いありません。しかし、主題となる問題の根の深さによっては、「当事者感覚」をまったく離れた意見表明、中途半端な聞きかじりや耳学問をもとにした安易な評論などが引き起こす副作用にも注意が必用と思います。原子力談義は原子力談義、就職談義は就職談義、産業競争力は・・・という風な単発の議論はとかくその場限りのもので、社会全体では無力・無益どころか有害なことさえもありえます。無責任なネット情報の氾濫とか、昨今しばしば起こる「風評被害」などがその典型でしょう。

えらそうに言う私自身、それならどうしたらよいか?といわれても直ぐにはわからないのですが、「今は思いつきでガヤガヤ言っても何の足しにもならない」ということと、「これからしなければならないのは確かな分析、次はそれを踏まえた知恵の出し合い」ということぐらいしかいえません。

調子に乗って勝手な熱を吹きました。無礼をお許しください。「ゴメンナサイ」。

近藤達男<別名:T. K. (原子力研究第1世代の一老人)>記

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これで4回続いた「原発推進者の深慮と責任感」と題する連載記事を終了いたします。

原子力利用の研究者、原発推進派の第一世代の日本人がどのような使命感で働いて来たか明快に書きつくして御座います。

お読みになった方々からの率直なコメントを頂ければ嬉しく存じます。

それはそれとして、今日も皆さまのご健康をお祈り致します。藤山杜人

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近藤達男さん、ご寄稿にたいして深く感謝申し上げます。