元日本原子力研究所長で内閣府所管の元原子力安全委員会長の松浦祥次郎氏が4月1日に文部科学省での記者会見で、福島原発の道義的責任を認め謝罪しました。
謝罪する必要は無いという後ろ向きの意見が原子力族内部から出たという報道もありました。4月11日の読売新聞の13ページに大塚記者が報告しています。
原子力の安全を監視し、指導する立場の委員会の長として今回の大事故の道義的責任をとって謝罪するのは当然であり、その率直な謝罪は歓迎すべきと信じています。少なくとも松浦祥次郎氏は人格的に立派な人と分かりました。
しかし原子力族内部に存在する3つの同士の確執や競争関係を考えると謝罪する必要がないという意見も理解できます。
その背景は、原発推進者の深慮と責任感(4)「素人の目線」は失敗する の著者の近藤達男さんから電話で聞きました。電話なので間違いもあるでしょうが、私の過去の知見も含めて3つのが何故出来たかを説明してみます。
(1)まず原子力関係者を大きく分けると、文部科学省所管の国立大学の原子力関連学科や研究所と、日本原子力開発機構が一つのを形成しています。
(2)第二のは経済産業省の原子力安全・保安院を中心とした原発関連の諸部門の行政官のです。
(3)最後のは各電力会社や原発開発会社、そして東芝、日立などの原発建設会社などの利潤追求団体の原子力部門の人の属するです。
上の(1)、(2)、(3)のの体質の特徴は文部科学省的、経済産業省的、利潤追求優先的といえばある程度お分かり頂けると存じます。
松浦さんが委員長をしていた原子力安全委員会は本来は科学技術庁に深く関連していて、どちらかと言うと学者的な性格が強く、世間知らずのロマンチストが原子力の夢に生涯を捧げるというタイプの人が委員になっています。
そのの下に(2)の原子力安全・保安院があり、これが電力会社を直接指導、監督しているのです。ですから(1)は利潤追求の業界を監督する権限も実力もありません。
従って、(1)のに属する人々から、「謝罪する必要無し!!!」という大声が上がるのです。何せ福島原発の事ではとかく蚊帳の外的扱いを受けています。
(3)のは利潤追求を優先しますから環境への配慮や付近の住民の被害よりもどうしても自分の会社の損失を少なくしようとします。それが悪いと言っても資本主義の世の中では仕方の無いことです。その上、電力業界という業界団体が後ろについていて東京電力をバックアップしています。
この様に縦割り行政に従った3つの独立組織の上に、急に菅総理大臣が乗り、福島原発を収拾しようとしても無理があるのです。長い間続いていた縦割り行政の壁を破り、学者、行政官、原発会社の社員が一丸となって努力すべき緊急の時にそれが出来ないのです。この事情が分からない外国の人々は菅総理大臣にリーダーシップが無いと批判します。しかし誰が総理大臣になっても同じことです。
日本では危機管理が出来ないとよく言います。その原因は幾つかありますが、この縦割り行政の伝統が一番大きな原因と私は信じています。
これから福島原発はどうなるのでしょうか?皆さまもさぞご心配の事と存じます。
復旧作業をしている人々の放射能からの安全をいつもお祈りしています。
時事通信社 - 「解決法突き詰めず、申し訳ない」=原発推進めぐり元安全委員長より転載
原子力安全委員会の松浦祥次郎元委員長は2011年4月1日、福島第1原発の事故を受け文部科学省で記者会見し、「原子力の利益は大きく、科学技術を結集すれば、地震や津波にも立ち向かえると考えて利用を進めてきたが、考えの一部をたたきつぶされた」と述べ、「問題の解決法を突き詰めて考えられていなかったことを申し訳なく思う」と謝罪した。
松浦元委員長らは会見で、冷却装置が復旧できなければ、大量の放射性物質が外部に流出する恐れを否定できないとして、一刻も早い装置復旧を提言。東京電力や経済産業省原子力安全・保安院の態勢の不備が一因となり、復旧が遅れていると指摘し、日本原子力研究開発機構など関係機関を総動員した態勢の構築を求めた。(2011/04/01-22:21)