このブログでは2年前に原子力発電に反対なある方のご意見を掲載しています。お読み頂ければ幸いです。「事故が起きたときの影響度、致命度が重要です」という文章の内容が今、現実に起きているのです。
原子力発電反対の一つの意見を紹介します
原子力発電を推進して来た経済産業省の役人はエリートです。原発を建設した東芝や日立の技師は一流大学を卒業したエリートです。そして原発を支援していた原子力利用の研究者も一流大学を卒業したエリートです。自由民主党の国会議員もエリートです。このような日本社会のエリート集団が皆、1960年代から原子力発電所の建設へ尽力して来たのです。
それに対して原発施設の構造や作動原理も理解出来ない一般大衆は原発へ感情的な反対をして来たのです。原子炉は決して安全ではなく何時かは壊れて放射性物質が空中へばら撒かれると直感的に感じて反対していたのです。素人の意見や直感が間違いだった場合もあります。エリート専門家は素人を馬鹿にして意見を真面目に聴こうとしません。明治維新以来の日本の社会的風土がそうだったのです。大衆は何時も無視されて来たのです。素人は黙れと怒鳴られて来たのです。
今回の福島原発の事故が、チェリノブイリ原発事故と同じレベル7の大事故になってしまったのです。
この事実は日本の社会文化に大きな影響を与えずにはおきません。素人大衆の意見をエリート専門家よりも重要視するような社会へ変わると信じています。大衆が感情的に嫌いな原発の安全対策を急ぎながら、老朽化した原発は廃止する方向へ動いて行くと思います。
日米安保は日本という国の存続を賭けた重要な二国間条約です。従って感情的に日米安保体制に反対する人が多くても、日本の安全を考えると破棄する訳にはいきません。この事は誰でも理解しています。
しかし原発は日米安保ほど重要な事ではないのです。原発を次第に止めて、順次、火力発電へ替えて行けば良い事なのです。火力発電は環境問題を起こします。しかし、原発事故が多量の空気と海を放射能で汚染するよりは火力発電のほうが損害が少ないのです。このようは現実的に考える事が重要ではないでしょうか?
原発を廃止する、しないという問題は広く国民投票によって決めるべきと信じています。しかしこの国民投票を提案する人は少ないのに私は驚いています。
皆様のご意見を是非お聞かせ下さい。
それはそれとして、今日も福島原発の現場で復旧作業をしている人々のご健康をお祈りいたします。放射線被爆など無いようにとお祈りいたしています。藤山杜人
簡潔にして明快な反対意見を頂きましたので、ご紹介いたします。
=======annanさんから投稿されたコメントです======
私は原子力発電は否定します。
どのようなシステムも必ず事故は起こします。事故の発生は多くの場合
システム固有の問題よりもそれを扱う人間の問題の方が大きいでしょう。
いずれにせよ全てのシステムは事故が起こることを前提とすべきです。
だからこそ、事故の起こる確率ばかりが問題なのではなく、
事故が起きたときの影響度、致命度が重要です。これを以て安全度と言うのだと思います。この安全度を一定基準に確実に担保できないシステムは、より低い性能でも他の安全度の高い代替システムに置き換えるべきです。まして原子力発電は廃棄物の経時的な問題や自然界への影響の検証もできていません。
便利さのためだけに原子力発電を推進することは、地球を人類のためだけの環境と錯覚している我々の傲慢です。我々は自身の生活の都合に自然や環境を付き合わせている訳ですが、それでも超えてはいけない線があります。それを超える可能性が否定できない時には、我々が変わっていく、時には引き返していく謙虚さが必要です。
・・・と思っております。
投稿 annan | 2009/02/09 21:12
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藤山杜人の感想:
これをご紹介する目的は、次に取り上げる高速増殖炉「もんじゅ」の建設中止訴訟の説明への導入に良いと思ったからです。
ここでは一市民としての感想だけを述べて見たいと思います。人間が進歩させた科学は自然現象のごく一部しか解明していません。科学には大きな限界があると思います。したがって理屈や論理で予測したことも間違うことが多いものです。上の文書を読むと、この直観的な感じ方が案外正しいのではないかと感じます。
それではどうすれば日本から既に存在している原子力発電所を徐去することが出来るのでしょうか?
もんじゅ訴訟は原子力発電へ反対する民間人が国を相手に起こした、「もんじゅ建設許可取り消し」の訴訟です。主に2つの理由があります。従来の水・蒸気冷却材の発電でなく危険な液体ナトリウームの循環技術を用いていて事故の可能性が大きい。更に原告側の主張によると、プルトニューム燃料を増殖する炉なので原子爆弾製造へ道を開く恐れがあります。
裁判は一審原告敗訴、二審原告勝訴、最高栽判決では原告敗訴で「もんじゅ」の運転再開の道が決まりました。しかし最高裁の最終決定が2005年にあったのにも関わらず、もんじゅの運転は再開されていません。
次回の「原子力発電が好きですか?嫌いですか?(4)では「もんじゅ訴訟」の色々な影響を考えtみようと思います。(終わり)