私には分かります。東北地方には、熱心にお釈迦さまを崇拝し、毎日お経をあげて仏教へ帰依していた人々が沢山居た事を。そしてイエス様の愛を信じ、朝・昼・晩と日常のお祈りをしていた人々が沢山居た事を。しかしそのような人々も津波にさらわれてしまったと想像出来ます。ですから私は3月11日の大津波以来、宗教の事をこのブログで書くことを控えていました。なぜか書くことが不謹慎なことのように思えたのです。
しかし今日は4月21日です。大災害の日から40日が経過しました。その時間の流れが少しずつ私の心を変えて行きます。そうして信じられるようになって来ました。お釈迦様が大津波で亡くなった全ての人々へ慈悲を心で、温かく浄土へお迎えしてくれた事を。そしてイエス様が全ての亡くなった人々を愛し、天国へ迎えてくれた事を。そう私は信じられるようになりました。
信じられるようになったので、私は自由に宗教の話が書けるようになりました。
書きたい事があるのです。今年の復活祭は今度の日曜日の4月24日です。その復活の意味を書きたいのです。イエス様はユダヤ教徒でしたが、愛を中心にした新しい教えを説いたのです。後にその教えは記録され、新約聖書になり「キリスト教」という新しい宗教になりました。
そのイエス様はユダヤ教の保守派である律法学者やパリサイ派の人々の嫉妬によって、当時ユダヤを占領していたローマ帝国の総督ピラトによって死刑の判決を受けました。ピラトは死刑の判決などしたくなかったのです。しかしパリサイ派の群衆が死刑にしろと叫ぶので仕方なく死刑にしたのです。ピラトにとってはそんな事はどうでも良かったのです。ただ自分の占領地で騒ぎが起きて、自分の出世の邪魔になるのを恐れただけだったのです。
十字架の上で絶命し、洞穴に葬られたイエス様は3日目に生き返って墓を出て行くのです。そして12人の弟子たちの前に現れて話をします。それがイエス様の復活です。そして12人の弟子たちと話をした後で天に登って神の右の座に着きます。
そしてこの世の全ての終末の日にイエス様はもう一度地上に降り立って、全ての死者を生き返えさせるのです。全ての死者がもう一度生き返るのです。全ての家族がもう一度生き返って地上で会えるのです。生身の肉体へ復活するのです。イエス様は深く全ての人々を愛し続けているが故に全ての人を復活させるのです。神の愛がそれを保障しているのです。これがキリスト教の信仰です。私はイエス様の復活を信じます。終末の日にイエス様の再臨があって全ての死者が生き返る事を信じています。
ですから今回の大津波で死んだ全ての人々がイエス様の再臨と共に生き返える事を信じています。家族同士の天国での再会を信じます。終末の日の肉体の活き返りを信じています。
それを信じるのがキリスト教なのです。如何でしょうか?
大津波で亡くなった全ての人々の鎮魂の為に神様とイエス様へ強く、強く、お祈りいたします。