後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

原子力発電の発電単価は非常に高くなる・・・やっぱり火力発電が安い!

2011年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

何故、日本で54基もの多数の原子力発電装置を作ったのでしょうか?

今までさんざん聞いた理由は発電単価が火力より安くて、その上炭酸ガスを放出しないので環境に優しいからという理由です。

しかし今回の福島原発の「レベル7の大事故」でこの2つの理由は一挙に覆ってしまったのです。大量の放射能の放出で東北地方の空気が長期にわたって汚染され、その上、汚染水が何万トンも太平洋へ捨てられているのです。現在もそれが止まったわけではありません。

その上、原発事故で避難したおかげで、家業が出来なくなったり、仕事へ通勤が出来なくなった人々への補償金の支払いも膨大になります。さらに汚染された農地や風評で出漁出来なくなった漁業への補償金も莫大な金額になります。

そして1号炉から4号炉までの4つの原発施設を10年以上の歳月をかけて廃炉にしなければなりません。その費用も大きいのです。

東京電力の将来の出費を想定して、もう一度原発の発電単価を計算し直して見る必要があります。

いずれ発電単価の計算の専門家がその試算を発表すると思います。

しかし素人でもその発電単価は火力発電の場合の10倍以上、いや100倍以上になると思います。原子力発電では決して儲からないのです。この事は誰の目にも明らかです。

資本主義の原理に従うと原子力発電は消えゆく運命にあるのです。この冷厳な事実を無視し原発を再建しようとする人が居たら、それは狂気の沙汰です。

残った50基の原発の発電単価を大きくしない為にも、今回の様な大事故を防がなければいけません。早急に予備電源装置を高台に設置し、通常電源が止まった場合、即刻、予備電源へ自動切り替えをする装置が必要です。その為の投資を惜しんではいけません。事故が起きた場合の被災者へ支払う莫大な補償金に比べれば安いものです。

火力発電は炭酸ガスを出して地球温暖化を加速するという仮説が信じられています。しかしそれはあくまでも仮説であって科学的に証明されたわけではありません。

放射能で汚染されるよりも炭酸ガスの方が絶対に安全ではありませんか?

それでも原子力発電を拡大しようとする人が居たら、是非その理由をお聞かせ下さい。

賢い人は原発が収束して全ての検証が終わるまでは原発廃止の意見を発表するのは間違いだと言います。

しかし事故が進行中でも、合理的な意見は早め早めに交換し、人類の英知を集める事が肝心だと信じています。皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。(終り)


いつの間にか木々は新緑になった・・・春がどんどん闌けて行く

2011年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

3月11日の東日本大震災以来落ち着かない日々が流れて行きます。春が足早に過ぎて行きます。いつの間にか芽生えの木々はこんなにも美しい新緑になりました。この萌え出る新緑のように私達の気持も元気になります様に!そんなことを祈りながら写真をお送りいたします。

001 006 008


原発安全神話は第二次大戦の時の神州不滅神話と同根です

2011年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

ある民族の思考パターンや信念の形成過程は何百年も不変なのです。不変だからこそ民族文化が特有なものとして長く続くのです。日本民族も例外ではありません。日本民族の文化というと幅が広くて、その特徴の全てを描き出す事は大変な仕事になります。しかし何か狭い心理的な特徴だけに注目して描く事は容易です。

例えば日本人は起きてはいけない事を客観的に、そして真剣に考えないで、絶対に起きないと安易に信じてしまいます。そして自ら神話を作り上げて、それを信じ込みます

第二次世界大戦の時、真珠湾攻撃をした時が良い例です。彼我の工業力を客観的に考えれば日本がアメリカに負ける事は誰の目にも明らかだったのです。しかし軍部は負けたくありません。日本の敗戦など考えたくもありません。そんな事などある筈がありません。勝つに決まっています。神州日本は不滅なのです。こうして神州不滅神話が出来あがったのです。

原子力発電を1970年頃に始めた日本人は放射能漏れなど考えたくありませんでした。考えたくない事は起きないのです。放射能漏れなどあってはならないのです。絶対に起きないのですから、原子力発電は安全なのです。こうして原発安全神話が出来あがりました。一旦、神話が出来あがると人々はそれを金科玉条のように振り回します。経済産業省や東京電力の人々が大声でふれまわるのです。すると人々は神話を客観的に考えないで信じてしまうのです。ですから神話を鵜呑みにする人々も悪いのです。結果的に神話の片棒を担ぐことになります。

原子力発電所は度々、放射能漏れ事故を起こして来ました。「もんじゅ」のナトリューム漏れによる建屋外への水蒸気と放射性物質の放出、柏崎刈羽原発の地震による建屋外への水蒸気と放射性物質の放出、そして東海村での民間会社における臨界核反応による被爆事故などなど数多くありました。幸い、これ等の事故は小規模でした。忘れられ易い規模とも言えました。

ですから、原発安全神話を信じている一般大衆がそれらの事故を見ないようにしました。忘れようとしました。そのような態度が今回の大事故の原因の一つと言ったら怒る人々が多いと思います。しかし経済産業省や東京電力を安易に信用したのが間違いだったのです。

今回の事故では、絶対に安全と言われていた炉心圧力容器に割れや穴が開いたのです。大砲の弾が炸裂しても穴が開かないと言われてきた原子炉格納容器に割れや穴が開いたのです。そこから多量の放射性物質が放出され、半径30km以内の住民が避難することになったのです。海の汚染は想像もつきません。現在でも、空中への放射能の飛散と、海水の汚染は続いているのです。

今回の大事故が起きるまでの40年間くらいの日本人の原発安全神話の形成の過程を考えてみました。そうするとそれは第二次世界大戦の時に信じられていた神州不滅神話の形成過程と非常に似ています。

このような思考パターンや情緒の動きこそが日本人の特徴なのです。日本文化の一つの側面なのです。私はそれを非難したり軽蔑したり出来ません。私自身の心の中に棲みついているのですから。世界中どの民族文化も優劣がありません。ですから自分自身を蔑む必要はありません。

しかしこの世に絶対に安全なものは無いのです。完璧な技術は無いのです。この事実を大切に考えて、残った50基程の原発の安全対策を早急にしなければいけません。原発反対!と叫ばないで、「原発の安全対策を急げ!」と叫ぶべきです。

それはそれとして、

今日も福島原発の現場で懸命に復旧工事をしている人々の安全をお祈り致します。藤山杜人

006