エドワード・モースは大森貝塚の発見で有名ですが、それ以上に日本の陶磁器の収集と民具や風景写真の収集でも偉大な功績を上げました。ボストンの近くのセイラムという港町に終生住んでいて、その町にあるピーボディー博物館に収集品を保存し、展示しました。
彼の収集品には約130年前の日本の風景写真が数多く含まれています。
その数多くの写真が散逸しなかったのは実業家として成功したジョージ・ピーボディーが多額の寄付をしてピーボディー博物館を存続させたからです。
その多数の風景写真から重要なものを選び、編集して出版したのが小学館です。それは、「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という大判の写真集です。
このブログではその本に収録されている300枚の写真から数枚ずつ5回の連載としてご紹介いたします。
1890年(明治23年)頃から1900年(明治33年)頃の写真が多いです。
その写真を見ると明治時代は江戸時代とあまり変わっていない事に吃驚します。
今日は、笊・箒の行商、花売り、蕎麦屋の写真を4枚お送りします。撮影時期は1980年(明治13年)から1990年(明治23年)頃と考えられています。
エドワード・モース氏とジョージ・ピーボディー氏、そして小学館へ深い感謝と敬意を表します。
カゴや箒を山のように積んだ様子が行商に命をかけた男の気持ちが伝わってきます。
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当時はカラー写真は無かったので、後で彩色した写真です。花を美しく並べて売ろうという気で行商したのでしょう。この写真には少し演出があるようですね。
担いでソバを売り歩く商売です。職人風の男が出来上がるのを待っています。
ソバ屋が右手を入れている所にお湯が沸いている鍋とコンロがあるようです。右にはソバ玉、つゆ、丼を洗う水、かき揚げなどがしまってあるのでしょう。
天秤棒を肩に夜の町々を流して商売をしていたと言います。
辛そうな行商の写真をみると何故か胸にせまるものがあります。
現在も行商はありますが小型トラックに商品を積んでいます。
行商が成功して店を開けるようになることを祈りたくなります。(続く)
いろいろな弱さや至らなさから、いっとき途切れてしまったかと思うような人とのつながりを、もう一度紡ぎなおしてくださるのは何の力によるものなのか、ふと手を止めて考えてしまいました。どうもありがとうございました。・・・以下省略・・・」
上に書いてあることは何か奇跡のようです。私は不思議な感動を覚えています。亡くなった少女の霊魂がつないでくれたとも思っています。
ブログを書き続けているとこのような不思議なことが起きます。
もう一つの奇跡のような話は、途切れた人間の絆がこのブログで繋がる・・・その心暖まるエピソード(1) です。数十年途切れていた絆が取り戻せたという話です。
自分にもいくつか同じ様なことが起きました。このブログを見た幼馴染の友から投稿を頂いたのです。中学校や高校の友人からコメントを貰ったのです。途切れていた友情がまた復活するのです。そんな事が起きるのでこのブログを続けています。
次の記事のコメント欄にもそのような例があります。(キリスト教と仏教の楽しい交流と融和・・・対立より愛を)
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)