後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本の渡来植物一覧表

2013年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

現在、わたしたちが食べているいろいろな野菜はいつごろ日本へ渡来して来たのでしょうか?そんな事に興味があり調べて書いた記事が、野菜を食べ健康になろう!美人になろう!・・・西洋野菜と日本の野菜です。

それを見ると実に多くの野菜が海外から日本へやってきた渡来野菜なのです。大変吃驚しました。

それでは現在日本で咲いている花々が何処から来たのでしょう?

きっと日本原種のものは大変少ないと思いつつ調べてみました。

そうしたら本格的な文献を発見しました。

慶応大学、磯野直秀名誉教授の発表している「明治前園芸植物渡来年表」です。http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=13125

これは完璧な研究論文です。信用出来る内容です。

下のにその一部をご紹介いたしますが、是非原文をご覧下さい。植物学の素人にも簡単に理解出来る素晴らしい文章で書いてあります。

(1)奈良、平安期

梅、菊、ボタン、シャクヤク、アサガオ、シモクレン、ケイトウ、ジュズダマだどなど。

(2)鎌倉期

ナンテン、フヨウ、ムクゲなど。

(3)室町期から安土桃山期

スイセン、ホーセンカ、ジンチョウゲ、ヒガンバナ、ローバイ、ソテツなどなど。

(4)江戸時代(17世紀)

シュウカイドウ、サルスベリ、レンギョウ、ハクモクレン、オシロイバナ、エニシダ、ヒマワリ、などなそ。

(5)江戸時代(18世紀)

キョーチクトウ、ハボタン、ニチニチソウ、など。

(6)江戸時代(19世紀)

ノボタン、ダリア、オジギソウ、コスモス、カンナ、キンギョソウ、スイートピー、パンジー、ラベンダーチューリップ、ゼラニュームなどなど。

この研究論文の圧巻は30ページから39ページにわたる数百種の渡来園芸植物の年号別の一覧表にあります。

慶雲2年(705年)から始まって、明治1年(1968年)のそれぞれの年号に渡来した園芸植物の名前が明記してあるのです。それはこの研究者のライフワークと言っても過言ではありません。

驚くことにわれわれが普通日本古来の植物と思っていた梅も柿もナスもキューリも皆渡来植物なのです。

是非ご覧下さい。そして植物がこの地球上を移動して繁茂する不思議をお考え下さい。


中国が日本を憎む3つの理由(2)満州占領と清朝の復活

2013年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

1931年(昭和6年)満州の瀋陽市郊外で起きた鉄道爆破事件すなわち柳条湖(溝)事件が満州事変の発端になりました。関東軍は短期間で満州全土を占領します。しかし一般には1933年の停戦条約までを満州事変としています。

この柳条湖事件を中国人は九一八事変と呼んで学校の教科書で現在でも教えています。

この柳条湖事件の詳細は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E6%9D%A1%E6%B9%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6 をご参照下さい。そして満州事変については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89 をご覧ください。

何故、中国人が日本人を憎んでいるのでしょうか?

中国の明白な領土を武力占領したから怒っています。

しかしそれだけではありません。日本軍が自分の手で鉄道を爆破しておきながら中国軍が爆破したと主張して戦争開始の口実にしたのです。その汚いやり方を憎んでいるのです。日本の軍隊は中国人を蔑視し、つねに騙し、謀略によって武力占領を続けていたのです。

そして日本の意のままになる傀儡国家の満州帝国を作ってしまったのです。

その満州国の皇帝に清朝の最後の皇帝だった溥儀を利用したのです。

この行為は辛亥革命でやっと清朝を倒した中国人の感情を逆なでするものでした。

これほど中国人を愚弄するものはありません。日本人に対する憎しみは骨の髄まで沁み込んでしまったのです。

日本人が中国を蔑視し、謀略で満州を、上海を、南京を、そして桂林まで武力占領をしたのです。

戦前生まれの私は現在は絶対に書けない酷い蔑称で中国人を呼んでいました。昔の日本人は皆そうでした。本当に中国人を軽蔑していたのです。

中国人がそのことを恨みに思い、教科書で子子孫孫へ伝えているのは当然でないでしょうか?

その結果、中国共産党は日本の悪辣さを教科書で教え、記念日には反日デモなどのイベントを律義に行っています。

これでは日中関係は永久に良くなる筈はありません。

日本人はこの実態を常に忘れないで中国と交渉しないと損害を受けます実態は実態として受け入れる覚悟が必要だと思います。

毎年9月18日になると満州事変の発端になった柳条湖事件を九一八事変記念日として瀋陽市では反日デモが行われます。

北京でも政府統制の反日デモが行われます。インターネットを使用した反日運動が続いているようです。

日本の人々は戦後68年、平和な生活に慣れ親しんできました。

しかし中国では戦後は共産党と国民党の凄惨な内戦があり、1966年から1976年まで文化大革命という国内戦争が続いたのです。1981年に北京に行った時、その街々の荒廃と、すさんだ人心に暗澹たる思いをしました。犯罪が横行し、家々の全ての窓には強盗よけの鉄格子が厳重に取り付けてあります。大学構内のトイレは糞尿の山でした。

丁度、1945年の敗戦後の日本の雰囲気でした。文化大革命の悲劇を日本人は忘れがちです。中国人は心の中で絶対に内戦は防ごうと堅く決心しています。その内戦を防止するためにも日本への憎しみを掻きたてるのが有効なのです。

悲しいかなこれが中国の実態です。実態を無視して理想論で中国と外交交渉をしては日本が大損をします。

中国人へ日本人を憎むなと説教しても無駄です。

憎んでも良いが、こういう協定を作ると中国側がこれだけ得をするという具合に外交交渉を進めるべきなのです。それは決して容易なことではありません。そかしそれ以外に中国との戦争を避ける方法はありません。下に関連の写真を示します。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。後藤和弘(藤山杜人)

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上は柳条湖事件で爆破された鉄道現場の直後の写真です。

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上は爆破は中国兵によると証明するために意図的に並べられた中国兵の軍帽や小銃です。

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上は瀋陽市を武力占領する日本軍の様子です。