後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

山梨、北杜市の山の小屋が懐かしくなり行ってきました

2013年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム

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(上の写真は、南アルプス主峰の連山です。左から、農鳥岳、間の岳、北岳です。)

今年の冬は12月に北杜市に雪が降り、1月にも降りました。私の山林へ登る細い山道に根雪が凍って車が上げられません。車に冬用のタイヤがついていないのです。

12月2日に中央高速の笹子トンネルで天井板が落下しました。

12月末には夫婦で強烈なノロウイリスに襲われ、山林の中の小屋へ行けませんでした。

それやこれやで、山小屋へはご無沙汰が続きました。

昨日は気温が高くなり春のような天気でした。今日は西高東低の冬型に戻り、太平洋側は晴天です。

山小屋が懐かしくなり家内と一緒に朝、8時前に家を出ました。

笹子トンネルは、一車線の対面交通ながら通れました。やがて小屋への道の下に到着しました。

恐る恐る車を山林へ登る細い山道へ入れました。幸い雪が溶けていて車が小屋まで上がれました。

小屋で薪ストーブを焚き、昼ごはんを食べてから丘の上の牧草地を散歩しながら甲斐駒岳、八ヶ岳や地蔵岳の写真を撮りました。

木内正夫さんの山荘も訪れました。お元気でした。

下は今日、撮った山の小屋の周りの写真です。天気が良く鮮明に見えました。

甲府盆地の盆地の東側の勝沼、一宮、御坂、境川などからは、上の写真のように、高さ3000メートル級の南アルプス主峰連山が雄大に広がっているのが見えました。

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甲府盆地からよく見える近くの山並みは鳳凰三山の薬師岳、観音岳、地蔵岳です。この写真は韮崎市の山際から撮ったもので左が観音岳、右が地蔵岳で薬師岳は入っていません。

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小屋の前の丘にある牧草地から撮った今日の甲斐駒岳です。

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上は小屋の前の丘にある牧草地から撮った今日の八ヶ岳です。家内が牧草地を走ろうとしています。

甲府盆地の南半分からよく見える八ヶ岳も山梨県が誇りにしている山です。複雑な形をした火山で長い裾を引いています。麓には清里、甲斐大泉、小淵沢などの避暑地がひろがり、欧米の宣教師が開いたハイカラな避暑地です。

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上は今日の山林の中の小屋の風景です。暖かい陽さしが部屋に射しこんでいました。

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上は薪ストーブで昼食のためにお茶を沸かしているようすです。今日も薪がよく燃えました。

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窓の外を見ると溶け残った雪がうっすりと庭を覆っていました。小川は相変わらず美しい水音をたてていました。陽射しは明るいのですが山の空気は気温が低く寒かったです。

2時、帰路に着こうと車をバックさせたところ、小屋の陰でアイスバーンになっている個所にタイヤが乗ってしまいました。ゴザを敷いたりジャッキで上げたりしましたがスリップしてどうしても脱出できません。1時間ほど二人で悪戦苦闘した挙句、川砂を敷くことを思いつき一輪車で運んで来てタイヤの下に入れまいた。なんと1回で出てしまいました。油断し過ぎでした。下がその作業中の写真です。

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それにしても肉体労働と山の空気で久しぶりに爽快な気分になりました。

雪をいただいた山を見ながらすがすがしい気分で帰ってきました。(終わり)


日本社会の潮流の変化を分析する(1)米ソの冷戦構造の影響の終了と独立国家への歩み

2013年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、日本社会は右傾化してるようです。正常な国家になる方向へ社会が動いているのです。

民主党政権時代に尖閣諸島問題や竹島問題、そして北方四島問題がたて続けに起きました。民主党政権の外交の無能ぶりを見せつけたのです。

外交の無能ぶりに失望した国民は衆議院選挙で安倍総裁の率いる自民党を政権の座につけたのです。

国民は自分の国の独立には最低限の武力増強が必要と考え出しました。これは戦後日本の平和主義を大変換する大きな社会潮流になる可能性を持っています。

民主党の鳩山さんがアメリカ軍の基地を日本から追い出すという軽々しい発言をした途端に中国、北朝鮮、韓国、そしてロシアが日本の周辺で挑発的な行動をとり始めたのです。

国民はアメリカとの安保体制の強化と、自国の軍備強化の重要性にはじめて目覚めたのです。

思いかえすと、この覚醒は「敗戦後の強力な占領政策」と「米ソの厳しい冷戦政策」からの解放で起きた「日本社会の潮流の大きな変化」と考えられます。

敗戦後からごく最近まで日本は戦勝国のアメリカの占領政策とその延長の日米安保体制から逃れられない運命にあったのです。その上、「ソ連と中共」とアメリカの冷戦構造と、その延長の米中対立と米ロ対立の影響から逃れられない運命にあるのです。

米国の占領政策は日本が再び軍国主義国家にならないように、再軍備はあくまでも米軍の指揮系統に合致するような武器に限定しました。当然、平和教育と戦争反対の教育に理解を示したのです。それはアメリカの国益にかなったのです。

一方、ソ連は冷戦時代は日米安保体制の弱体化を基本方針としていろいろな手段で平和外交攻勢をかけていました。平和を守るためには日米安保体制を捨てるべきという論理でした。特に日本共産党や日教組を動員して「安保反対運動」と「学校における平和教育」を支援してきたのです。

この様な冷戦構造のなかで多くの日本人は自衛隊の増強に反対してきたのです。自衛隊は憲法に違反しているから無くそうという主張すらあったのです。

それをソ連が支援していたとは夢にも思わなかったのです。

1990年に冷戦構造が崩れ、中国が大きく台頭した結果、日本人は戦後、はじめて軍備増強の重要性を理解しはじめたのです。

国家の独立と名誉を守るためには軍備が必要だという当たり前の考えに到達したのです。それが残念ながら国際社会の現実なのです

1945年に完膚無きまで戦いに破れ、その後2013年に至って、日本人はやっと国際社会の現実を理解したのです。

それが最近起きた日本社会の大きな潮流の変化です。いったん流れの方向が変われば日本は急速に武力を増強することになるでしょう。原子力潜水艦や核ミサイルをアメリカ軍の指揮系統の中なら保有することが可能と思う人もいます。

当然、原発の再稼働反対運動は影が薄くなります。

この様な社会の潮流の変化は歴史的な変化なので誰にも止めることが出来ません。

しかし武力のシビリアン・コントロールの強化と原発の安全対策の徹底は忘れずに実行すべきです。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

====参考資料:中国の原子力潜水艦===========

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中華人民共和国は1950年代後期から原子力潜水艦開発に着手し、本型はその初号艦として完成した。船体は涙滴型・複殻式構造であり、主機に加圧水型原子炉 ターボ・エレクトリック方式(タービン減速方式との説もある)を採用した。

陸上用加圧水型原子炉を潜水艦用原子炉として十分な研究なしに改造・導入したため、構造的欠陥が原因と考えられる放射能漏れ事故が頻発した。1番艦は1974年に就役したが、約10年間は完全に運用できる状態ではなかった。また、中国国内には被曝した潜水艦乗員らを対象とする、放射能汚染障害専門病院「海軍409核傷専科医院」が新たに設立されている。

続く4隻の潜水艦は1980年代に就役した(中国名:長征2~5号)。3番艦以降は艦体が8メートル延長されている。搭載する魚雷の数を減らすことなく対艦ミサイルを搭載できる垂直発射管を搭載しているとみられていたが、実際には従来の魚雷発射管から水平に発射されるものであった。艦体が延長された理由は、航行時の(『割れ鐘を叩いているような』と表現されるほどの)雑音対策によるものと見られている(このため401号艦、402号艦は母港で長期係留状態にある)。雑音の音圧レベルは、401号艦・402号艦が160~170デシベルで(スキップジャック級原子力潜水艦や旧ソ連のノヴェンバー型原子力潜水艦などの初期の原潜と同水準)であるが、403号艦から405号艦は改善され、140~150デシベル(パーミット級原子力潜水艦と同程度。ロサンゼルス級原子力潜水艦は105~125デシベル)。しかし依然として静粛性に欠け、アメリカ海軍や海上自衛隊には容易に探知されている。

また本型の艦体を延長し、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を搭載した夏型原子力潜水艦も完成しているが1隻しかないため、出港は稀である。

2004年11月、ロサンゼルス級原子力潜水艦に追跡されていた1艦がグアム島近海まで航行した後、石垣島付近で漢級原子力潜水艦領海侵犯事件を起した。その際、海上警備行動が発令され、海上自衛隊に探知・追跡された。

(以上の出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/091%E5%9E%8B%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6