後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本政府が沖縄県へ与えている巨額な補助金の実態・・・あなたはどのように納得しますか?

2013年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログの2010年7月24日掲載の、「普天間基地はもう移転しない!そして嘉手納基地は永久に沖縄に居座る」という題の記事に対して、777さんという方からコメントを頂きました。

その内容は日本政府が沖縄県へ与えている巨額な補助金の実態を項目別に具体的な金額や補助金の支給割合を説明したものです。

この項目別補助金の実態を見て私はその多額さに吃驚しました。大げさに言えば絶句しました。

それを仕方がないと納得するまで数日を要しました。

この巨額の支払いは次の理由で仕方がないと私は納得したのです。

(1)明治維新にとき琉球王朝を「琉球処分」と称して日本へ吸収したことへ対する沖縄人への慰謝料として。

(2)第二次大戦末期にアメリカ軍の上陸と続く地上戦で数多くの沖縄県の民間人が犠牲になったことへの慰謝料として。

(3)米軍基地の75%が沖縄県に集中していることに対する慰謝料として。

この(3)は、増強を続けている中国海軍に対抗するための国防費と考えれば納得がいきます。これは日本の広い意味での自衛隊予算と理解すればもっと納得できます。

歴史に「もし」という仮定ほど無意味なものは無いと云います。しかしもしアメリカ軍が沖縄へ上陸しないで四国に上陸し、血みどろの地上戦で四国を占領したらどうなったでしょうか?

そうなれば米軍基地の大部分は四国に集中したでしょう。

沖縄県には基地が出来ませんから基地経済効果も日本政府からの補助金がありません。沖縄県は経済的には苦しいが、平和なのんびりとした南の島々になっていた筈です。

そのほうが幸せだったと私は確信しています。

しかし基地経済効果と日本政府からの補助金を一旦貰った以上は、もう後戻りはできないのです。お金は人間の考えも変えるからです。それが人間の宿命です。

すべての日本人は軽々しく基地撤廃、基地海外移転などと言ってはいけないと私は考えています。

さて皆様がどのようにお考えでしょうか?深く考えながら以下の777さんからのコメントをお読み下さい。

====777さんからのコメント====================

沖縄米軍基地の経済効果は年間約1680億円にも達し、返還されれば過重負担の軽減どころか、沖縄の破産を導き、すべての県民に、より一層の苦難辛苦をもたらすことになり、また本当の平和運動をも放棄することになるのです。

沖縄県民は、よく『米軍基地が沖縄に75%も集中していて不公平だ』と言い、各地で基地撤去の抗議行動を起こしているが、本当に基地が無くなったら、平和でのんびりとした沖縄が待ってるって思ってるのでしょうか?。いいや、とんでもない話なのです。

皆様はご存じでしょうか? 沖縄は基地集中の、その不公平と引き換えに、沖縄県だけが以下のような多くの高率補助金を受けているのです。

まず沖縄県は、自主財源が25%しかない全国一の弱体経済県なのです。つまり、国の補助金と借金で県経済はかろうじて成り立っているのです。

例えば道路保全に沖縄は国から95%の補助を受けられますが、これが他府県は70%以下なのです。 

他にも、学校建設整備では沖縄県は85%国庫補助、それに対して他県は50%国庫補助です。同じ様に沖縄県と他県の国庫補助金の比較をすると、漁港整備は90%対66%、公営住宅建設75%対50%、水道施設整備75%対33%、空港整備95%対66%と続き、ほとんど全産業分野に及んでいいます。

また沖縄県は本土より、ガソリン税がリッターあたり7円安く、沖縄自動車道の通行料金は本土より約4割引です。航空機燃料税は那覇-羽田間は他路線より半額なのです。
さらに、那覇文化てんぶす、沖縄こどもの国(こども未来館)、北谷ミライセンター、嘉手納水釜町営住宅、嘉手納町マルチメディアセンター、沖縄市コザミュージックタウンなど、これらは基地関連の国庫予算で建設されていることを皆様はご存じだったでしょうか?

それに加え、各自治体へも「多額の軍関連の交付金」が支給されています。

県民の中には「自分は軍用地料などもらっていないし、自分には基地は何らメリットはない」と考えている人も多く居るでしょう。
しかし、例えば、台風で道路が不通になったら、国から95%の補助金があるため、修理できるのです。もし、他府県並みの70%以下になったら、財政難にあえぐ沖縄県の自治体は修理することにも困るのです。

さて少し話題は変わりますが、「基地関連収入」と「観光収入」の根本的な違いって何かお分りでしょうか?

基地経済を論じるときに重要な視点は、軍関係の中味とその本質なのです。

県民総所得の中で基地関連収入と観光収入が同じように並べられているが、実は、観光収入は「売上額」なのに対して、基地関連収入は「利益額」にあたるわけなのです。
観光収入の「利益額」は10%~30%と試算してもその中味の違いは大きなものです。

しかも、「軍用地料」は不況に強いという特徴があります。軍用地料が「市場相場」ではなく「政治相場」で借料が決定されるからです。
過去、軍用地料は、1991年には前年比で110%、1992年には前年比107%と上昇しているます。
沖縄での基地返還要求が強まると、軍用地料が必要以上に引き上げられる傾向にあるんだな。
そのため、復帰後は軍用地との再契約を拒否する「反対地主」が減少して、契約に応じる「軍用地主」の増加につながっているわけです。

沖縄の道路舗装率や上下水道普及率は全国のトップレベルです。

基地が無ければ北部の自治体などに軍用地料が入らず、このような普及率や本土以上に立派な校舎など、絶対に無理なはずです。

また、あなたが軍用地料を貰っていなくても、そのお金が、沖縄の最大の民間資本として、例えば地域のレストランの開業資金などになって、沖縄の雇用の維持や食材料店の売上に役立っているわけです。そして県民全てに、大きな恩恵を与えているのです。
この経済波及効果が大きいがゆえに、沖縄県の人口を2倍にも増やす力となったのです。
もし、基地が縮小・撤去されたら、この高率補助金も他府県並みに減らされ、また軍用地料も減り、県民全体に大きな損失をもたらすことでしょう。

そして更に今回、「補助金3000億円ありがとう。でも米軍基地は県外で」と主張している沖縄県民もいるのですから驚きます。
自衛隊関連では、もし与那国に自衛隊が移駐すれば、島で急患が出ても短時間で那覇まで輸送できるのです。 
陸自の第15飛行隊の急患輸送は、全国の県知事からの災害派遣要請により実施され、年間約250回出動し、365日24時間体制になっているのです。
「ドクターヘリ」があるからいいと言う人がいるが、ドクターへりは残念だが与那国までは行けません。
航続距離がなく、夜間飛行設備も十分でなく、おまけに維持費がない。ドクターヘリは実質、沖縄本島周辺のみの活動に限定されます。

与那国自衛隊移駐はいろいろな面でプラスがあると確信し、ほぼ全ての島民の願いであります。

以上のようないろいろな理由で米軍基地を完全に無くすのは非常に困難のです。(終わり)


ジオパークという公園はどんな公園でしょうか?・・・それを知ると日本の地質の形成の歴史が分かる

2013年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム

老境になると公園が好きになり実に数多くの東京の都立公園や国立公園へ行きました。その景観はこのブログに掲載した沢山の写真でご紹介してきました。

所が最近、「ジオ・パーク」という公園に興味を持ち、いろいろ調べ始めました。

地質学的に興味ある特別な地殻変動した場所や活発な活動をしている火山のある場所を国に登録して認定されれば日本のジオパークになります。国連へ登録し、認定されれば世界のジオパークになります。

現在、国内のジオパークは20個所くらいあり、その他に5ケ所は世界のジオパークとして認定されています。

ジオパークに認定されるには特徴的な地殻という条件の他に、地域の教育に参加しているという条件と地域の活性化に貢献してているという2つの条件が要求されます。

この日本にあるジオパークの地質学的な情報はそれぞれのホームページで公開されています。

ジオパークの詳細は、ジオパーク:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF に説明されています。

日本国内のジオパークについては、http://www.geopark.jp/geopark/ に紹介されています。

関東地方の一例として「下仁田ジオパーク」があります。(http://www.geopark.jp/geopark/shimonita/index.html)。

このホームページを見ると奇怪な形をした古い火山の妙義山がどのように形づいてきたか、その地質学的な歴史が書いてあります。

そして山の上部と根元の岩石成分が全く異なる根無し山の存在が紹介してあります。この根無し山は跡倉クリッペと呼ばれています。

この「下仁田ジオパーク」のホームページから妙義山の写真を2枚と根無し山の写真を下にしめします。

尚、地質学会とジオパーク:http://www.geosociety.jp/geopark/world_geo.htmも参考になる情報があります。皆様もジオパークにご興味を持たれることを祈っています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

Image009_l1

上と下は妙義山です。

日本三大奇勝の一つ妙義山は、周辺の丘陵地帯に突然屏風のような壁がそり立つような山で山肌がごつごつしているのが特徴です。この妙義山は、600万年前に活動した火山から噴き出た火山噴出物が長い年月雨風に削られることで現在のようなかたちになりました。

 また、妙義山には、自然が作り出した不思議な光景が広がっています。それらは、大砲岩やローソク岩などと呼ばれておりますが、中でも人気が高いのは石門です。この石門は自然が作り出したもので、なぜこのような石門ができたのかはよくわかっていません。この石門めぐりは散策道が整備されており、登山初心者でも気軽に行くことができます。

 また、春には桜、秋にはもみじがそれぞれ美しく、妙義山の魅力を引き立てています。

Image010_l1

Image003_l1

上は跡倉クリッペです。

下仁田町の南部にそびえ立つ山々は跡倉クリッペで構成される山々です。

クリッペとは、地元では、根なし山とも呼ばれており、山の頂上とふもとで岩石がまったく異なるものをいいます。跡倉クリッペは青岩と呼ばれる緑色の岩の上に、よそで形成した地層が残っています。これは、クリッペを構成する地層は、よその場所で形成し、その後地殻変動で移動してきて、浸食されて山の上に部分的に孤立して残っているのです。

 この跡倉クリッペがいつどのようにできたか明らかになると日本列島がどのように現在の形になってきたか明らかになるかもしれません。

 町内では、青倉をはじめとする何カ所かでクリッペの境界(滑り面)が観察できます。また、南牧川流域では、移動してきたときの変動により、地層が折れ曲がったり、上下さかさまになったりしている様子が観察でき、ダイナミックな地殻変動を体感することができます

Image005_l1

上は奥栗山渓谷遊歩道です。

 奥栗山渓谷には、およそ2億年前の深海底に降り積もってできたチャートを川が削って深い渓谷を作っています。

渓谷内には「三段の滝」「昇龍の滝」と呼ばれる滝があり、滝のすぐ脇にはきれいな縞状のチャートを見ることができます。色とりどりのチャートを河川が削って、美しい景観を織りなしているのです。このような地層が『跡倉クリッペ』の基盤となっています。 

2時間ほどで周遊できるハイキングコースもあり、また秋の紅葉の時期にはまた違った風景を楽しむことができます。(終わり)