後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ジオパークを楽しむために(4)全国の地質図の地層と化石の関係

2013年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の表面の土壌を取り去った下にある岩石の種類を示した地図を地質図といいます。その図面は、http://gsj-seamless.jp/maps.html に出ています。

さてその地質図に出て来る地層の名前と化石の関係を知るとジオパークの理解が深まり、一段と面白くなります。

そこで何か簡単な道案内のHPは無いかと、いろいろ検索していたら、日本博物館協会制作の地層図http://www.j-muse.or.jp/joyful/virtual_museum/sinkakan/sinkakan_menu.html を発見しました。

流石に素人を相手にした博物館協会だけあって実に簡単明快に図面で示しています。下にその一例を示します。

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この図面のいろいろな層をクリックすると、その地質時代に生きていた動物の絵図が出て来るのです。一つの例として白亜紀をクリックすると下の様な恐竜の絵が出て来ます。

Sinka111

地質時代で重要なのはジュラ紀と白亜紀だけです。恐竜が大いに活躍し、地球上を覆っていた時代です。約6500年前の白亜紀の終り頃に大きな隕石がユカタン半島に落ちて地球が急に寒くなり恐竜が絶滅します。

前の記事の地質図を見ると日本列島はジュラ紀と白亜紀で出来ている部分が多いことが判ります。ですからこそ日本からもいろいろな恐竜の化石が出て来るのです。前の記事の地質図に出て来る地層の名前は上の日本博物館協会制作の地層図に説明があります。このように適切な道案内を手に持てば、どんな専門的な情報でも理解出来るのです。インターネットのお陰で、素人の為の案内情報が入手出来るのです。皆様も地質学のジャングル探検にお出掛け下さい。面白いですよ。(続く)


ジオパークを楽しむために(3)富士山は何度も爆発して現在の山容になった

2013年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の各地を観光旅行をしてみますと、各地の自然の風景の美に感動することがしばしばあります。

何故、そして、どのようにして美しい風景が出来あがってきたのでしょうか?

日本の自然の景観は、簡単に言えば次の3つの原因が組合って出来あがったのです。

(1)海底の堆積岩が盛り上がり高い褶曲山脈の山々になる。

(2)海底が盛り上がって山になる間に火山が重なって噴火して富士山や八ヶ岳のような独立峰を形成する。噴火によってカルデラ湖が出来て、芦ノ湖や山中湖、河口湖、そして十和田湖、摩周湖、屈斜路湖などが出来る。

(3)山々に降った雨や雪が川となり海へ流れる途中に岩石や土壌を削り河岸段丘をつくる。また氷河が山々を削り山容を美しくする。

この3つの自然現象の間に樹木や草原が山や平野を覆い自然の風景を作って来たのです。

そして人間による農業や牧畜が自然の景観美を一層引き立てて来たのです。

さてそこで、日本の代表的な美しい風景の富士山と箱根についてその形成の歴史を少し詳しく調べてみました。

まず富士山は8万年位前から3つの大きな火山爆発で出来た山です。ですから三つの山が重なって居ます。古富士火山は約8万年前~約1万年、そして新富士火山は約1万年前以降に爆発しています。

富士山の溶岩には流れにくくするSiO2 の含有量が少ないので、溶岩がサラサラと麓まで流れて美しい流線型の山になりました。そして爆発後の陥没も非常に少ないのが特徴です。これが富士山の美しい形を作ったのです。

日本には、このような条件をそなえた火山は非常に少ないのです。

多くは箱根山のように陥没していまい複雑な形をしたカルデラ地形になっています。

富士山の3つの山は下の写真の青色、ピンク、褐色の3つの色に塗り分けて示してあります。つくば市にある地質標本館で撮ってきました。

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一方、隣の箱根はずうっと古く、16万年前の火山で出来ました。

富士山のように高い山でしたが、爆発のあと地下がガランドウになって山が陥没してしまい、カルデラ湖の芦の湖だけになったそうです。

そこで富士山と箱根の関連を歴史的に見てみましょう。

箱根の火山は60万年前から始まって10万年前には芦ノ湖や仙石原湖が出来ていたのです。仙石原湖は現在の湿生花園になっています。

ところが一方現在のような高い富士山は1万年前にやっと出来た新しい山なのです。ですから下の現在の写真にある富士山は存在していなかったのです。

当時の縄文時代の日本人が箱根に行っても西の方角には低い古富士火と愛鷹火山と小御岳火山が見えるだけです。むしろその向こうに高い褶曲山脈の南アルプスの山稜がくっきりと見えた筈です。

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上が箱根の芦ノ湖から見た富士山と、下は三国峠から見た富士山です。昨年小生が撮った写真です。

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上の写真にたいして、1万年前に新富士山ができた頃の絵を下に示します。

(出典http://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol1/fjhis02.html

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新富士山が出来る前は小さな古富士火山と愛鷹火山と小御岳火山が存在していただけなのです。

このように自然の景観の出来あがって来た歴史を地質学的に少し調べると面白いものです。

上のような予備知識を持って、箱根ジオパークのホームページを開くとその面白さが一段と深く理解出来るのです。

箱根ジオパーク:http://www.geopark.jp/geopark/hakone/index.html

ジオパークの面白さはその周辺の火山や地殻変動を少し詳しくしらべると理解できるのです。ですからジオパークは自分で地質学を調べるための糸口やヒントになっているのです。(続く)


里見哲夫著、「名産 下仁田コンニャク」、そして下仁田ジオパーク

2013年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

群馬県の山の中に下仁田という所があります。水田が無く、小麦やコンニャク、ネギなどの野菜しか採れない山郷です。しかし、養蚕業や織物産業もありかなり裕福です。

その名産品の下仁田ネギと下仁田コンニャクは全国的に有名です。

この山の里で少年期を過ごした横山美知彦さんの思い出の記をこのブログで何回か掲載いたしました。(末尾参考資料に一覧表があります)。その横山さんから、「名産 下仁田コンニャク」と題する本が先日送られて来ました。里見哲夫氏が書いた本です。 

すぐに読んでみました。感動的な本でした。文章が分かりやすく、コンニャクの植物学的な説明から始まって、日本へ照葉文化時代(縄文時代)につたわってきた歴史が書いてあります。そして史実にみられる記録からコンニャクは昔から日本人に好まれてきた食材だったことが書いてあります。

続けて、コンニャク芋の栽培方法、コンニャク粉の製法、そしてコンニャクの作り方まで丁寧に説明してあります。そして新しいコンニャク料理まで紹介してあります。コンニャクを入れた下仁田カレー、下仁田のおまんじゅう、下仁田こんにゃくステーキ、玉こんにゃくのフライ、下仁田餃子、などなど珍しい料理の作り方が紹介してあります。

この本に感動した理由は分かりやすいことだけではないのです。著者の里見哲夫さんの溢れようなる郷土愛に感動したのです。ああ、郷土愛というものはこういうものだと感動したのです。

そこで最後ページにある著者の紹介欄を見ました。

1928年下仁田生まれ、1949年埼玉県農民講道館農業専門学校卒業、小中学校の理科教師、中学校長、下仁田町教育長、下仁田自然学校名誉顧問、同評議員、群馬県自然環境調査研究会顧問、と書いてあります。

成程と納得しました。

さて何時ものようにこの本の入手方法をご案内しようと思い、本の奥付を見ました。そうしたら非売品で会員だけに配布した本でした。

編集発行者は、「下仁田自然学校運営委員会、下仁田自然学校文庫6編集委員会」となっています。

問い合わせ先は「下仁田町自然史館内、下仁田自然学校」(電話:0274-70-3070)です。Mail address nesasi@juno.ocn.ne.jp です。

この本の緒言に下仁田自然学校と下仁田ジオパークのことが紹介してあります。下仁田自然学校は14年前から活動を継続しています。

下仁田ジオパークは2011年9月に国の認定を受けました。

私の趣味の一つは地質学です。そこで早速、下仁田ジオパークを検索してその公式ホームページを見ました。

ジオパークとは地質学的に特徴のある特別な地域を保護、保全し将来の研究と一般への公開を目的にした広大な公園なのです。

下仁田ジオパークには不思議な形状をした妙義山があります。周囲の榛名山、赤城山、浅間山などは典型的な新しい火山ですが、妙義山は600万年前に活動した火山から噴き出た火山噴出物が長い年月雨風に削られることで現在のようなかたちになりました。

その上、下仁田ジオパークの地殻変動は非常に複雑で興味深い研究対象になっています。下仁田ジオパークの地質学的特徴はジオパークという公園はどんな公園でしょうか?・・・それを知ると日本の地質の形成の歴史が分かる という記事で紹介しました。

最後にこの原稿を校閲してくれた、下仁田自然学校文庫6編集委員の大河原順次郎氏へ感謝の意を表します。

尚、下に示した5枚の写真は上から順に「里見哲夫著、「名産 下仁田コンニャク」の表紙の写真、目次の写真、コンニャクの植物の絵の写真、そして下仁田町の現在の写真、最後は町を流れる鏑川の写真です。

横山美知彦著「戦中・戦後の山里の生活の思い出」(3)電気スタンド

横山美知彦著、「戦中、戦後の山村の生活の思い出」(2)落し物

横山美知彦著、「戦中、戦後の山村の生活の思い出」(1)夜網(よあみ)

山里のコンニャクつくりの様子・・・失われた日本の原風景

横山美知彦著、「風吹かし(かざぶかし)」・・・懐かしい日本の原風景

横山美知彦著、「若き日のある危険な山の思い出」

横山美知彦著「おきりこみ」・・・手打ち煮込みうどんの思い出」と

横山美知彦著「おきりこみ」・・・手打ち煮込みうどんの思い出(続き)

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それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘

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