後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

都立小金井公園の梅まつり風景

2013年02月21日 | 写真

例年通り、2月の後半は都立小金井公園の梅祭りです。

屋台の店が沢山でていました。そして例年通り「東京地酒と酒器うつわ祭り」が開催されていました。例年出ている八丈島の焼酎やクサヤなどの特産品もならんでいます。以前、八丈島へ行って帰りの船が欠航になり、何日か島に閉じ込められた楽しい経験を思い出しました。

曇りで鮮明な写真ではありませんが、お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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美しい花々を追い求めて(8)毎年ツツジの花を見に箱根へ行く

2013年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

例年5月下旬になると芦ノ湖のそばの古いホテルの庭のツツジを見に行きます。そして家内と昼食を食べます。湖畔の「山のホテル」です。

1963年ころに初めて泊って以来、庭のツツジの花を見るために度々行きました。引退した後は時間に余裕があるので毎年5月に行くようになりました。

広い庭に色とりどりのツツジの花々が咲いています。

昼食後、庭を散策しながら写真を撮ります。

新鮮な空気の中、碧い芦ノ湖の景色と相まって一段と素晴らしいツツジの競演です。下の写真は2010年5月28日に撮りました。

お楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。

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・ホテルの詳細情報は、http://www.odakyu-hotel.co.jp/yama-hotel/restaurant/にあります。

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25年間のヨットの趣味を振り返って(2)帆船・日本丸を訪問する

2013年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

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25年もヨットに乗っていると、風や波が帆や船体の何処にどの様に当たっているか実際に目に見えるような錯覚に捉われます。

そこである疑問が湧いて来ました。「大型タンカーやコンテナ船、そして豪華客船の船長は帆船操作の経験をしているのだろうか?」、「していれば荒天のとき落ち着いて操船出来るに違いない!」、「まてよ、横浜の日本丸は昔、商船学校の練習船だったそうだ」、「そうだ、そこを訪ねて関係者に聞いてみよう!」、と。

早速、車を駆って首都高速を駆け抜け、横浜、みなとみらいの日本丸の係留してある岸壁に行きました。2008年4月のことでした。

そして1930年にイギリスのラメージ&ファーガソン会社によって製造された帆船・日本丸に乗船することになったのです。

乗船切符を買う窓口で少し専門的な説明をお願いしました。「それなら今日は、ボースン(水夫長)も船長もいるから紹介しますね」と言い、何処かへ電話をかけてくれました。

ペンキ塗りをしていたボースンが快く仕事を止めて4本のマストなどへ上げる合計29枚の帆の上げ方の概略を説明してくれました。そしてその後で私を大西船長へ引き継いでくれたのです。

大西船長によるとこの大型帆船は船舶検査にも合格し、いつでも東京湾へ出航できる状態で係留されていると言います。

上の写真をご覧下さい。潮の干満の影響が多少あるドック内に鉄の鎖でゆったり係留してあります。

29枚の帆の上げ下ろしは毎月1回以上行われているそうです。東京湾へ出るのは何年かに一度ですが、29枚のセールは強風用と弱風用に分けて3セットずつ整備保管してあります。

昔この練習船で船長や航海士をしていたOBと派遣された現役の船員や船舶専門の学生が共同で保守管理しながら、一般の人々の帆走準備訓練を実施しているのです。

説明してくれた大西船長もかつてこの日本丸の一等航海士をし、その後は、同じような練習用大型帆船の船長をしていたそうです。

大西船長へ、「タンカーなどのような大型船の船長は帆船の経験はあるのですか?」と聞きました。

すると、「日本人の船長なら全員この船か、同じような大型帆船で訓練を受けています。帆船によって船や海のことを学ぶのです。先生はこの帆船自身です。我々は船が無言で教えていることを時々練習生に説明します。大部分は練習生が直感的に理解します」と説明してくれるのです。

明快な回答です。そしていろいろ興味深い話を情熱的にしてくれました。

帰りぎわに売店で、杉浦昭典著、海洋文庫19「帆船」(舵社1986年発行)を購入し、帆船日本丸の詳細を知りました。なお杉浦昭典氏は神戸商船大学で大西船長の指導をしてくれた恩師とのことです。

さてこの帆船は横浜市民によって保守管理されています。その概略を以下に書いて置きます。

横浜市民は日本丸を直接、手入れや修理をする「甲板ボランティア」の会を組織しています。チーク材の甲板を椰子の実で磨き、写真のように舵輪やコンパスをピカピカに磨き上げたり、ペンキ塗りもしているのです。

また年間10回以上、29枚の全ての帆を上げる「総帆展帆(そうはんてんぱん)」や、祝祭日毎に船を飾る「満船飾(まんせんしょく)」を行うのも「展帆ボランティア」(2000人)です。年齢制限なして横浜市民が主体的にすすめているのです。

その他に「友の会」などがあり日本丸の動態維持へあらゆる協力・支援を行っているそうです。

また海洋教室や各種のイベントを多数開催し、海の無い県の小中学生へも貴重な体験の機会も与えています。

主体は横浜市民ですが他の都道府県の人々も差別無く入会出来ます。

尚、「総帆展帆」の行う日時は、http://www.nippon-maru.or.jp をご参照下さい。

日本丸を訪問すると、一番目が行くのはロープ類です。

ところが帆船の船乗りはロープという言葉は絶対に使わないのです。

使用目的別にハリヤードとかステイとか固有の名前で呼ぶのです。

日本丸では29枚の帆と横桁(ヤード)を動かすためのロープが245本ついているそうです。

甲板上の装置は全て人力で動かします。ロープを手で引っ張ってみて、何処が動くか見ればロープの操作方法が理解できるのです。

その上、日本丸では種々の修理方法を、以前この船の船長や航海士をしていた人々が直接、根気良く教えてくれます。

最後に2008年4月に訪問した筆者へ長時間、貴重なお話をしてくれた大西典一船長(財団法人帆船日本丸記念財団、常務理事)へ深甚の感謝の意を表します。

是非、帆船日本丸をご訪問なさることをお勧めいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

下に関連の写真を掲載いたします。

撮影日時:2008年4月25日午後2時、撮影場所:横浜市西区みなとみらい2-1-1岸壁にて(続く)

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上は2008年4月に全ての帆を上げた状態の日本丸を後ろから撮りました。

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上は全ての帆を上げる途中の状態で、帆は下の方から順序よく上げて行きます。

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上は木造甲板と舷側にまとめてあるロープ類の写真です。

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上は船尾部分の甲板にある大きな舵を動かす舵輪です。

下は横浜港の1970年から1975年頃の写真です。手前の右には氷川丸が係留展示してありますが、現在の大桟橋は出来ていませんでした。赤レンガ街も出来ていませんでした。

出典は、http://www.nippon-maru.or.jp です。

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