後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

陽賜里工房の春のオープンガーデンが例年通り開催されます

2013年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

山梨県、北杜市の甲斐駒の麓にある陽賜里工房ガーデンの春の公開が例年通り開催されます。桜が満開になる頃です。庭でコーヒーをゆっくり飲んで寛ごうという企画です。ホストは原田聖也さんという男性とその御母上です。

日時:4月9日(火)、10日(水)、そして12日(金)、13日(土)、14日(日)の、朝10:00~午後4:00ころまで、ところ:山梨県北杜市武川町山高 3567-556の陽賜里工房ガーデンです。

連絡先:原田聖也さん、携帯電話:090-4170-0370 E-Mail:t-taraku@t-net.ne.jp

このオープンガーデンには家内と一緒に数回参加しています。一昨年の春のオープンガーデンの報告記事を以下に掲載いたします。ご参考になれば幸いです。

======花の園の中の喫茶店・・・陽賜里工房というコーヒー店===

戦後に学生時代を過ごした方々にとっては喫茶店という言葉は懐かしいと思います。名曲喫茶とか純喫茶とか歌声喫茶とかいう名前で、コーヒーの香りとともに文化的な場所でした。当時、コーヒーは高価な飲みものだったのです。

それから幾星霜、不思議な喫茶店へ行ってきました。陽賜里工房という名前で、春と秋の2回しか開店しません。

春の花々、秋の花々に囲まれたコーヒー店です。店主は原田聖也さんという男性で、コーヒーの修業を重ね、特別のコーヒー豆焙煎工場のものを仕入れて使っています。食品衛生法を勉強をし、飲食店開業の資格も取りました。

この喫茶店は北杜市の真原桜並木のはずれにある花の園です。庭全体がなだらかな南向きの斜面になっていて満開の桜の木が2本、ピンクのユキヤナギ、水仙、ヒトリシズカ、イカリソウなどに囲まれて店主手造りの店があります。

花園の一番高い所にはロマンチックなデザインの木造の家があり店主が寝泊まりする場所になっています。お客は勝手に花の園を歩きまわり、花々を鑑賞します。そして花疲れしたら洒落た店に入って香り高いコーヒーを頂きます。

コーヒーを飲む場所には女主人が居て、つれずれの話し相手になってくれます。店の主人のお母さんです。上品な日本語を使う方です。花の園の作り方などのよもやま話です。私がカトリックの話をしましたら、ご自分の信仰のバプテスト教会の話を静かにして下さいました。亡くなったご主人はその教会の牧師さんで、ご自分も宣教活動をしながら幼稚園の園長さんもしていたそうです。兎に角、折り目正しい一生を過ごした方なのでお話をしていてもスッキリとした印象です。

下にこの花の園の中の喫茶店の写真をお送り致します。

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魚の食文化の時代による大きな変遷

2013年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

戦中生まれ、戦後育ちの私は魚をよく食べました。もっと正確に言うと魚しか食べられませんでした。漁港の塩釜から少し内陸に入った仙台市に24歳まで住んでいました。

どういう魚をどのように料理して食べるかはその地方の食文化です。その食文化を広く考えてみると同じ日本でも地方、地方によって大きく異なることに気がつきます。

その地方でよく獲れる魚は何か?獲れる魚は季節によってどのように変わるか?漁港からどのくらい離れた場所か?輸送方法はどうするか?魚の販売店はあるのか?このようないろいろな事情によってその地方の魚の食文化が自然に決まって行きます。

私が戦前に食べた魚は塩イワシ、塩タラ、イカ、塩ニシン、塩鮭、それに多量のクジラ肉でした。どれも塩釜の北にある三陸海岸の近海で多量に獲れる魚ばかりです。イカ以外はものすごく塩が強いものばかりでした。

戦前、戦後は氷が無いし、ましてや冷凍技術などほとんど無かったのです。腐らないように塩漬けにして塩釜から仙台へ鉄道輸送しなければならなかったのです。

料理方法はといえば、塩漬けのイワシ、タラ、ニシンを焼いて食べたのです。イカは煮つけにします。イカの塩辛もよく食べました。クジラ肉は味噌をつけて焼きました。

当時は三陸海岸近海に多数のクジラが回遊して来ました。小さな捕鯨船で獲って、女川漁港で解体して仙台へ送るのです。それが戦後、南氷洋の捕鯨が始まると多量の冷凍クジラ肉が仙台の魚店で売られるようになりました。今でも覚えていますが高校時代の弁当のおかずは味噌漬けのクジラ肉でした。

生の魚は塩釜の近海で獲れたボラ、カレイ、スズキ、などでした。煮つけで食べました。

家畜の肉は全然食べられませんでした。それに外食は出来ませんでしたから江戸前の握り寿司は見たことがありませんでした。外食には外食券が必要だったのです。

お寿司と言えば海苔巻寿司と稲荷寿司だけでした。

戦前、戦後の仙台の庶民は塩釜が遠方なので生の刺身は食べられません。それからどういう訳かアジやサバは無かったのです。食べた記憶がありません。

その上、ウナギの蒲焼は見たこともありませんでした。

北海道のタラバガニや毛ガニは遠方過ぎてだめです。ですから蟹と言えばワタリガニだけでした。しかし三陸沖で毛ガニが獲れる季節があったらしく塩釜で大釜で茹でたものを食べた記憶があります。

下の写真は近くの角上魚類という大型の魚屋で撮った写真です。

輸送中も冷凍装置を動かし、魚類を完全に冷凍状態で南米沖やアフリカ沖や北大西洋から日本各地のスーパーへ直接送る流通システムが完備してあるのです。

冷凍も極低温にし、解凍技術も進歩したので地球の向う側の魚や貝でも刺身で食べられます。

こういう時代になると魚の食文化は日本全国が皆同じになってしまいます。

私がよく行く山梨県の山の中のスーパーの魚の売り場は東京と寸分変わらない刺身が並んでいるのです。その光景は昔の仙台の魚を思い出すと感慨無量です。

しかし全国がみな同じになっても地方色豊かな魚の食文化がまだ少し残っています。次回はその特徴ある食文化について書いて見たいと思います。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

下の活きの良い魚の写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。角上魚類、東久留米店で撮った写真です。

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・上はメバルです。

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・上はブリです。

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・上はシマアジ(左側)とキンメダイです。

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・上はタイです。

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・上はキンメダイです。