この追記では、「「カトリック初心者」さんからのいろいろな質問に答える」で書き残した項目を加ええて説明したいと思っています。
だれでもカトリックの教義を習い始めるといろいろな疑問に遭遇します。前の記事では以下の4つの疑問について私の個人的な感想を書きました。
①「主の平和」は、どう解釈したらいいですか。
②小さい頃、祖母からご先祖様を供養し敬うよう言われましたが、
キリスト教では先祖については、どのような教えですか。
③因果応報、自業自得、のような教えはありますか。
④なぜ離婚や同性愛を認めないのですか。
これらに加えてもう一つの疑問は、聖書に書いてある奇跡を信じられるか否かという問題です。
イエス様は盲目の男の眼を一瞬にして見えるようにしました。イエス様は足の悪い人を元気に歩きださせました。死んだばかりの人を蘇られさせました。イエス様はカナの婚姻の宴席で水瓶の中の水を美味しい上質なブドウ酒に変えました。
このような奇跡をキリスト教信者は信じているのでしょうか?
もし私が聞かれたら私の答え簡単です。科学的には信じていませんが時々信じていますと答えます。人間の心は四六時中、科学的にものを考えているわけではありません。
感情が動いて信じたくなる時があります。そのような奇跡が起きていれば楽しいなあ、とか幸せだなあ、という思いが起きることがあります。その次の瞬間、数秒の間だけ奇跡が起きたに違いないと確信するのです。この数秒間の想いが有るか無いかが重要なのです。
この様な心の動きが自然に起きるようになったのは洗礼を受けて随分たってからです。
この境地になると全ては簡単です。
弘法大師は全国をまわりながら、あちこちで杖を突いて温泉を湧きださせたという話があります。私は数秒の間だけそれを信じることが出来ます。
弘法大師が温泉を見つけたということを科学的に証明することは不可能です。
そんなことは荒唐無稽と笑い飛ばす人がいます。ヒョットしたら本当かもしれないと感じる人もいます。その違いがあると思います。
その優劣は絶対にありません。しかし違いが重要だと感じる人は宗教が分かる人です。
どちらでも良いのです。
奇跡を信じるか、信じないかという問題の答えになっていれば嬉しく思います。
皆様からコメントを頂ければ嬉しく思います。(終わり)