エドワード・モースは大森貝塚の発見で有名ですが、それ以上に日本の陶磁器の収集と民具や風景写真の収集でも偉大な功績を上げました。ボストンの近くのセイラムという港町に終生住んでいて、その町にあるピーボディー博物館に収集品を保存し、展示しました。
彼の収集品には約130年前の日本の風景写真が数多く含まれています。
その数多くの写真が散逸しなかったのは実業家として成功したジョージ・ピーボディーが多額の寄付をしてピーボディー博物館を存続させたからです。
その多数の風景写真から重要なものを選び、編集して出版したのが小学館です。それは、「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という大判の写真集です。
このブログではその本に収録されている300枚の写真から数枚ずつを5回の連載としてご紹介いたします。
1890年(明治23年)頃から1900年(明治33年)頃の写真が多いです。
その写真を見ると明治時代は江戸時代とあまり変わっていない事に吃驚します。
エドワード・モース氏とジョージ・ピーボディー氏、そして小学館へ深い感謝と敬意を表します。
上の写真は現在の箱根町から関所跡方面へ伸びる町並の風景写真です。
手前の左近辺には現在、遊覧船の桟橋があり車の駐車場が広がっている所です。
この道路が昔からの東海道で、現在は国道になっています。それにしても藁屋根には驚きです。
ところが左奥の湖に突き出した半島の小山の上には立派な洋館がかすかに見えます。現在の恩賜公園にあった皇室の別荘だったのです。1890年(明治23年)ころの写真と説明がありました。
この道は現在の箱根、湯本温泉の旧道のようです。山が通りにせまっているので旧道と思います。現在の国道の東海道はこの写真の右の川の向う側にあります。小田急の湯本駅も新東海道に沿ってあります。1890年(明治23年)頃と説明がありました。写真に写っている子供や大人の服装が江戸時代とほとんど同じようです。
現在の江の島の展望台のある小山に登る入口です。
現在は、小田急の「江の島駅」から長い橋を渡って江の島に入ると左右に土産物屋が並んだ通りへ入ります。
昔の写真には2階建ての旅館が写っています。
それにしても随分多くの人間が写っています。観光地として賑わっていたのですね。1900年(明治33年)頃の写真のようです。
この様な状態の日本が130年後には車があふれ、新幹線が走り回っているのです。その様変わりには吃驚すると同時に何か恐ろしい感じがいたします。
いろいろなことを考えさせます。(続く)