後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

130年前の日本の風景(1)箱根関所前通り、湯元通り、江の島入口

2013年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

エドワード・モースは大森貝塚の発見で有名ですが、それ以上に日本の陶磁器の収集と民具や風景写真の収集でも偉大な功績を上げました。ボストンの近くのセイラムという港町に終生住んでいて、その町にあるピーボディー博物館に収集品を保存し、展示しました。

彼の収集品には約130年前の日本の風景写真が数多く含まれています。

その数多くの写真が散逸しなかったのは実業家として成功したジョージ・ピーボディーが多額の寄付をしてピーボディー博物館を存続させたからです。

その多数の風景写真から重要なものを選び、編集して出版したのが小学館です。それは、「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という大判の写真集です。

このブログではその本に収録されている300枚の写真から数枚ずつを5回の連載としてご紹介いたします。

1890年(明治23年)頃から1900年(明治33年)頃の写真が多いです。

その写真を見ると明治時代は江戸時代とあまり変わっていない事に吃驚します。

エドワード・モース氏とジョージ・ピーボディー氏、そして小学館へ深い感謝と敬意を表します。

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上の写真は現在の箱根町から関所跡方面へ伸びる町並の風景写真です。

手前の左近辺には現在、遊覧船の桟橋があり車の駐車場が広がっている所です。

この道路が昔からの東海道で、現在は国道になっています。それにしても藁屋根には驚きです。

ところが左奥の湖に突き出した半島の小山の上には立派な洋館がかすかに見えます。現在の恩賜公園にあった皇室の別荘だったのです。1890年(明治23年)ころの写真と説明がありました。

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この道は現在の箱根、湯本温泉の旧道のようです。山が通りにせまっているので旧道と思います。現在の国道の東海道はこの写真の右の川の向う側にあります。小田急の湯本駅も新東海道に沿ってあります。1890年(明治23年)頃と説明がありました。写真に写っている子供や大人の服装が江戸時代とほとんど同じようです。

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現在の江の島の展望台のある小山に登る入口です。

現在は、小田急の「江の島駅」から長い橋を渡って江の島に入ると左右に土産物屋が並んだ通りへ入ります。

昔の写真には2階建ての旅館が写っています。

それにしても随分多くの人間が写っています。観光地として賑わっていたのですね。1900年(明治33年)頃の写真のようです。

この様な状態の日本が130年後には車があふれ、新幹線が走り回っているのです。その様変わりには吃驚すると同時に何か恐ろしい感じがいたします。

いろいろなことを考えさせます。(続く)


シビリアン・コントロールの欠如している中国軍のこわさ・・・日本は賢く対応せよ

2013年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

今回の中国海軍艦艇による日本のフリゲート艦への攻撃用レーダーの照射事件を考えると中国軍や中国社会にはシビリアン・コントロールの概念が存在していないように思われます。

中国の習近平指導部は攻撃用レーダーの照射を知らなかった可能性が大きいのです。

海軍の現場指揮官が勝手に下した命令によって起きた攻撃用レーダーの照射だったようです。この調子だと感情的な現場指揮官はつぎには機関砲による威嚇射撃の命令を下しかねません。あるいは艦対艦ミサイルも発射しかねません。

中国社会の弱点は国際関係への無関心と環境対策の遅れです。

貧困にあえぐ内陸部をかかえながら経済急成長をしているので国際関係へ注意を向ける余裕が無いようです。

北京の街頭で取材に応じた中年の男性が、「射撃したわけでないのだから、レーダーの照射くらいしても良い」と言っていました。

「普通のレーダー」と「攻撃用レーダー」の違いが分かっていないのです。中国のマスコミが意図的に「攻撃用レーダー」を単に「レーダー」と報道しているに違いありません。

「攻撃用レーダーの照射」が国際的には攻撃準備と理解され、即反撃することも容認されていることなど知らない様子です。

国際感覚の欠如です。

本来中国軍はそれを統括する軍事員会の委員の派閥に分かれ、さらに地方の省に駐屯する軍隊は中央政府の命令を無視する傾向があったのです。

従って、元来、アメリカ流のシビリアン・コントロールという概念が存在しないのです。幸か不幸か日本は旧軍部の独走で国を滅びたので、シビリアン・コントロールの重要性が骨身に沁みています。

中国軍と日本軍の大きな違いはその装備や兵員数にあるのではなくシビリアン・コントロ-ルの有無にあるのです。

安倍政権は、中国軍中央司令部と日本の自衛隊の中央司令部との間で直接話の出来る「ホット・ライン」を構築する働きかけをしています。

しかし上記のような中国軍の体質がそれに抵抗しています。すぐには簡単に合意には至りません。

そして仮に「ホット・ライン」が構築されても機能しない可能性もあるのです。

尖閣諸島の問題は日中間のいろいろな問題の一つに過ぎません。しかしこの尖閣諸島の問題だけに両国の政府が精力を使い果たしています。

この状態は大変不幸な事態です。偶発的な軍事衝突にならないように日中間の全ての人間関係を使って両政府が感情的にならないようにすべき危険な状態です。

昔、「日中友好議員連盟」という団体がありました。そのような団体がこの時こそ活発に活動して貰いたいと思います。また民間「には「日中友好協会」もありました。その団体が持っていた日中間の人脈を活用して感情的な緊張を和らげるべきではないでしょうか?

日本が中国と同じレベルに下がって感情的にならないようにして頂きたいと思います。日本は中国より先進国なのですから余裕を持って賢く対処するようにと祈っています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)