以下は私の個人的な思い出の記ですが、全国には同じような思い出をお持ちの方々も沢山いらっしゃると信じています。
それはさておき、東京にある奥多摩街道は甲州街道を日野橋交差点で別れ多摩川の北岸をえんえんと登って行く街道です。
昭島、福生、羽村、青梅と通り、そこからはJR線の御岳駅、古里駅、鳩ノ巣駅などを経て奥多摩駅まで登って行きます。
その先は奥多摩湖(小河内ダム)沿岸を通過し、山梨県の丹波村を経て柳沢峠を越して甲府盆地へ降りて行きます。山梨県の丹波村と東京の奥多摩町の境が奥多摩街道の終点と思います。
1964年に小金井市に引っ越してから50年間ほどのあいだに何度も遊びに行った思い出深い街道です。
若かったころ家族で川遊びに行ったことなど考えながら、今日は鳩ノ巣駅まで行ってきました。
奥多摩街道をさかのぼる小さな旅の写真を下にお送りいたします。
上と下は福生市の奥多摩街道沿いにある文政5年創業の田村酒造です。
この田村酒造の隣に玉川上水が流れていて、下の写真の右側に奥多摩街道が見えます。
上の場所から数Km上流に行くと玉川上水の水の取り入れ口の羽村の堰があります。そこから多摩川の上流を見ると下の写真のように見えます。今日は曇っていて御岳山など遠方の山並みが見えませんでした。
この場所から下流を見ると下の左の写真のような羽村の堰が見えます。
羽村の西の青梅を通過して、さらに多摩川沿いに登って行くと昔と変わらないたたずまいの「へそ饅頭」の店があります。寄って家内へのお土産を一箱買います。いつものように蒸したての饅頭一個をおまけにくれました。
JRの沢井駅の下までくると左の写真のように「澤の井」の小澤酒造があります。右はその近くの奥多摩街道です。昔は道幅も狭く、よく曲がっていた街道でした。道路の幅を拡げ、トンネルや橋を作って直線にしました。隔世の感です。
左の写真は御岳駅の前にある橋から多摩川を見下ろした写真です。多摩川もここまで登ると川幅も狭くなり、清流が岩を噛んでいます。橋の上から、戦前からある河鹿荘という旅館と玉堂美術館をしばし眺めていました。
上の右の写真はJR鳩ノ巣駅です。1960年の7月に妻と初めてデートで来た所です。私がアメリカ留学へ出発する2日前のことでした。
そんなことを考えながら、今日はここで引き返して来ました。
それにしても奥多摩はさびれています。昔の奥多摩は熱海や箱根ほどではありませんが、東京に一番近い観光地として何時も観光客で賑わっていたものです。
東京のあちこちに遊び場が出来、みんながそちらの方へ行くようになったのでしょう。観光地も時代に従って変わって行くのです。それにしても何故か淋しいです。(終わり)