西武鉄道西武園線の東村山駅の次の西武園駅(終点)で下車し、東方向へ徒歩5分で、下の写真のような入り口があります。駐車場は一切ありません。
この入口の左は下のような芝生の岡です。右の方へ伸びている道はすぐに雑木林の中へ入り、薄暗い道がえんえんと2kmくらい東へと伸びています。
雑木林には大きな木々が繁り、昨日はホトトギスがしきりに鳴いていました。下の写真のように深い森です。
この細長い緑地の東端まで歩いて来ると「将軍塚」があります。下の写真にある道案内から100mの所にあります。
将軍塚といっても特に塚山があるわけでもなく、雑木林の中に「将軍塚」と彫り込んだ石柱が一本立っているだけです。
兎に角、なんにも無い公園です。深い雑木林の中に遊歩道がえんえんと続いているだけの公園です。木々が邪魔になって見晴らしも良くありません。
雑木林をただただ歩くことが楽しいという方々の為の公園です。雑木林が好きでなかったら行ってはいけない場所です。
私は雑木林が好きなので、かなり興奮して歩きまわりました。ホトトギスの声が森にこだましていました。(終わり)
=====新田義貞に関する参考資料============
新田 義貞(にった よしさだ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての御家人・武将。
正式な名は源 義貞(みなもと の よしさだ)。1300年生まれ、1338年没。
鎌倉幕府を攻撃して滅亡に追い込み、後醍醐天皇による建武新政樹立の立役者の一人となった。しかし、建武新政樹立後、同じく倒幕の貢献者の一人である足利尊氏と対立。
尊氏が建武政権に反旗を翻すと後醍醐天皇の尖兵としてこれに対抗、各地で転戦するが、箱根や湊川での合戦で敗北、後醍醐天皇の息子の恒良親王、尊良親王を奉じて北陸に赴き、越前国を拠点として活動するが、最期は越前藤島で戦死した。
以下は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%94%B0%E7%BE%A9%E8%B2%9E にあります。