後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

離れ小島のお寺に佇む

2013年07月03日 | 日記・エッセイ・コラム

熱海の沖の離れ小島の初島には東明寺というお寺がぽつんと一軒だけあります。

境内に佇み、そして時々静かに歩きまわりながら撮った写真をお送りいたします。

お寺に入ると左手に同じような墓が一列に並んでいます。

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みんな、みんな大東亜戦争で戦死した兵隊さんたちのお墓です。

この小島から歓呼の声に送られて出征し、二度と帰って来なかった島の若者たちの墓標です。私はひとうひとつ名前を読んでいきました。帝国陸軍一等兵、伍長、曹長、などなどです・・・・少尉や中尉の字はありません。

しばらくしてから、本堂の裏手に歩いていくとそこには下の写真のように昔の無縁仏の墓石がまとめてありました。

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島には江戸時代から41軒の家しかありません。長い年月の間にどの墓が、どの家の先祖なのか分からなくなったのでしょう。あるいは江戸城の石垣の石を切り出しに来た人々のお墓かも知れません。

そこをゆっくり通りすぎると歴代の住職さんのお墓が並んでいます。

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この離れ小島に住んで人々のお葬式や法事の度にお経を唱えていたのです。

ここを通り過ぎると奥深い墓地が現れ、花を植えた綺麗なお墓がえんえんと続いています。

其処から引き返して来ると、先程の兵隊さんたちのお墓の列の前に戻ります。

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気がつくと兵隊さんたちの墓のすぐ後ろには洒落た木造の小学校・中学校の校舎が見えるのです。戦前はもっと粗末な校舎だったに違いありません。そこを卒業し、漁業や農業にいそしんでいた若者たちが戦争へ行ってしまったのです。下は振り返ったお寺の光景です

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もうこのお寺には住職さんが居ないようです。近所のおばさんが裏手の住職さんの墓へ線香と花を供えていました。そして最後に本堂の前の香炉に線香をあげて帰って行きました。線香のかおりが静かにながれていました。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

=====以下は「我が家のホームページ」からの転載です======

大東亜戦争における戦死者数                            

                  (厚生省援護局 昭和39.3.1作成)             

合    計   陸軍の戦死者 1,647,200 人, 海軍の戦死者 473,800 、合計2,121,000人