後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

キリスト教での「永遠の命」に関する質問にお答えします

2013年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

以下は「カトリック初心者」さんからの、「永遠の命」についてのご質問です。

まず質問を紹介し、その後で私の考えを書きたいと思います。

====カトリック初心者さんからの「永遠の命」に関する質問======

コメントの前の部分は省略します。

このブログの、人間は老人になると善い顔、明るい顔、平安な顔になる・・・20回の連続観察の結果より という記事に書いてあったことについてまず感想を書きます。

『余命がそんなに長くないことを知っています。悲しい筈ですが、その事が今日も元気に横浜で会えたことを楽しくさせるのです。今日も生きていることに心が弾みます。当然、明るい顔になります。老いの華やぎという表情になります。』
この文章がとても心に残ります。名言だと思いました。老いへの不安が軽くなりました。
そして、私がこれから一生をかけて理解していくことを後藤さんに訊ねてみたいと思いました。
教理を学ぶにつれ“永遠の命”という言葉が聖書に出てきました。
・ヨハネ3:16神はその独り子(イエス様)を(人間へ)お与えになったほどに、世を愛された。独り子(イエス様)を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
・ヨハネ5:13神の子(イエス様)の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、(あなたがたは)永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
・ヨハネ10:28私(神)は彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、誰も彼らを私(神)の手から奪うことはできない。
などです。“永遠の命”とは、どういうことを意味するとお考えですか?
もしよろしければ、気が向かれた時でもお考えを聞かせていただけたら嬉しいです。
昨日の朝、山本神父さまに洗礼を授けていただきたい旨を申し出ました。本日ご連絡があり、近いうちお目にかかって相談する運びとなりました。またご報告させていただきます。

(上の文中でカッコとその中の言葉は私が分かりやすくするために追加しました)

さて、神が人間へ与える永遠の命とはどういうことなのでしょうか?

それは人間が死ぬと、神様がその人間をご自分の足もとによびよせて永遠に生きさて下さるということです。神を信じる人は例外なく全部呼び寄せて下さいます。そして永遠の命をさずけてくださるのです。

この事実を科学的に実験して証明することは不可能です。ですからキリスト教を信じているヨーロッパ人もアジア人もみんなこの教えを信じません。疑います。しかしある瞬間、本当にそれ信じるをことがあるのです。

よく信仰は99%との疑いと1%の確信ですと言います。この1%の確信があるので私はキリスト教徒ですと公言してはばからないのです。

永遠の命の意味を探すのは無駄な努力です。それを信じるように努力するほうが良いのです。

それは毎日、朝、昼、晩の食事の前に毎回短く声をあげて祈ると、信じられる瞬間が増えて行きます。

私は家で食事をするときは必ず、「食前の祈り」を声をあげてします。外食のときは声を上げません。

その時、「私は永遠の命を信じます」と唱えて下さい。

すると少し信じられるようになります。

ですからこの文章を書いている間だけは、「永遠の命」を信じています。

信仰は訓練で少しずつ得られます。ミサに出席することも宗教的訓練です。祈りを唱えることも訓練です。聖歌の練習も宗教的な訓練です。

訓練や修行で悟るのはすべての宗教で共通なことです。

洗礼を受けることも訓練です。

信仰とは理論的に考えるよりは、宗教的な訓練をすると得られると私は信じています。

これが答えになっていない私のお答えです。

ご質問を頂いて有難う御座いました。(終わり)

下の写真は長崎の大浦天主堂を少し変わったアングルから私が今年、撮った写真です。

Img_5425

Img_5403


日本の伝統文化になじまない豪華客船、ヨットの趣味、そして長期バカンス

2013年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、日本の豪華客船は海外に比較してひどく弱小過ぎる・・・その文化的背景を考える という記事を書きました。そして何故、日本には豪華客船があまり受け入れられないかという文化的背景を書くつもりでした。しかし紙面の都合でこの問題は今日、ここで書くことにします。

豪華客船に乗って楽しむ趣味は日本人にはなじみにくい趣味と思います。

世界の豪華客船の年間利用者は2000万人と言われていますが、日本人はたったの18万人前後です。その数は過去25年間横ばいです。増加しないのです。

海外の豪華客船は22万トンと巨大な船を含めて数百隻もありますが、日本には4隻しかありません。

一方、私はヨットの趣味を25年間していました。

その25年間で日本にあるヨットの数が増加しないのです。急に絶滅する趣味ではありませんが、ヨットの数が少しずつ減っているようです。私は何故ヨットの趣味が日本人になじまないか深く考えてきました。

何故豪華客船やヨットの趣味が日本文化になじまないのでしょうか?

まず結論を書きます。

その原因は、日本人が1ケ月あるいは2ケ月という長期のバカンスを許さない社会文化を持っていることです。それが長期の船旅やヨットの趣味が増えない直接的な原因だと思います。

それでは、何故長期のバカンスが日本で普及しなのでしょうか?

それは欧米人と日本人の人生観や職業観の大きな相違に由来するのです。

江戸時代の末期まで、働く日本人は盆暮れ以外は休みません。

明治の文明開化で土曜日が半ドン、日曜日は休みになりました。最近は国民の祝日も数が増え、休みになりました。しかし現役の日本人は長期のバカンスをとれません。とると出世しないのです。会社で白い目で見られるのです。

そして昔も現在も、日本人にとって職業はその人の人生の全てを捧げるべきものなのです。ですから仕事の邪魔になるような趣味は罪悪でした。

勿論、日本人もいろいろですから、趣味に一生を費やす人もいます。そかしその数は非常に少ないのです。

一方欧米人の多くの人は、趣味こそが自分の個性を発揮できる重要なものと信じています。個性を大切にする文化です。

すると職業はその趣味の費用を得る手段になります。当然、全人生を職業へ捧げる人は非常に少なくなります

長期のバカンスは個人の権利として認められる文化なのです。

勿論、どんな国にも例外はあります。職業へ人生を捧げる欧米人も沢山います。しかし大多数はそうではありません。

以上の理由に加えてもう一つの彼我の文化の大きな相違があります

欧米人は船に乗って楽しむという文化を持っています。

日本人は船は漁業に使うか物資を運ぶ仕事以外に使ってはいけないという牢固とした伝統を持っています。

この違いは25年間のヨットの趣味をしている間に身に沁みて体験しました。

ヨットに乗っていると海上では漁船や貨物船が優先です。欧米では帆船であるヨットが航路の優先権をもっているのに、日本ではヨットが舵を切って、航路をあけなければいけません。ヨットは遊びで、他の船は仕事をしているので当然と考えます。

港に入ればヨットは一番不便な、港口に近い岸壁に停めるのが原則です。絶対に漁船の邪魔をしてはいけません。

岸壁で舫いロープを整理していると、釣り人が近づいてきます。

そしてこの船は沖で釣りを楽しむために持っているのかと聞いてきます。

私が釣りはしません。帆走を楽しむのですと答えると、いささか軽蔑したようにあいまいな笑顔をして去って行きます。釣りをしないのに船を持っていることがどうしても理解できないのです。

豪華客船に乗って遠洋を渡りながら美味しい食事を楽しむ。レストランの大きな窓の外には果てしない海が白波を立てている。船の上ではゆったりと時間が流れて行きます。それだけを楽しむのが客船に乗る趣味です。

その上豪華客船は一日5万円くらいするのです。

日本人は揺れる船上よりも温泉地の高級な旅館に泊まったほうが良いと考えます。そのせいで日本の客船にだけは大海が見えるように大きな窓をつけた大浴場がついています。

欧米人と日本人の趣味の違いは人生観の違いによって生じるのです。根が深いのです。ですから船会社が豪華客船の旅をいくら宣伝してもお客は急には増えません。それは金額のせいではないのです。

それぞれの国々に違った文化を大切にすると、この地球は住んで楽しい惑星になると私は信じています。しかし他国の趣味も理解することも大切なことと信じています。

下に横浜の大桟橋に停泊しているサン・プリンセス号の写真と私が帆走を楽しんでいたヨットの写真を示します。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

Img_9427
上の写真は、横浜の大桟橋に停泊しているサン・プリンセス号です。

下の写真は、私が帆走を楽しんでいたヨットの写真です。

0051