後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

水木りょう著、「書家、間山陵風の生涯」、第八章(最終章)、『陵風』書と民謡の関わり

2013年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

=====第八章(最終章) 『陵風』書と民謡の関わり===========

書道会にはイデオロギーを超えて人々が集まっています。
一つのものに偏っての意識はもたないという方向に私は父の影響があります。
それがいいのか悪いのか、だから名声や地位とは無関係になっています。

書道は青森県内ではまずまずの知名度を持った陵風でしたが、中央とのパイプが薄いために損をしてるという事実は否めなかった。

社中展での高評を作家に書いて頂くのが通常でしたので、ある年は蘭山氏に頼むことになった。
この頃は蘭山氏も父との関わりは以前とは違い、互いに展覧会でや会議では交流を深めていたので、父は蘭山氏にも頼んだのだった。しかし原稿の事前の報告もなく載った記事は、私や会員には屈辱的で蔑んだような内容に思えた。
それで父に内緒で、私は独断で彼の勤務先に乗りこんだ。
ドアを開けてすぐに、挨拶もなく「何ですか?あの内容は!私たちは何ヶ月も懸命に学んで発表したんです。中央中央って、何なんですか?あなたはそれだけ偉いんですか!もっと書道の根本から見直したらいかかですか?」

言葉は丁寧かもしれないが、いきなり青年が表れて会社の部下の前で怒鳴られて、驚いたことでしょう。
若気の至りですね。27歳ころの無鉄砲で礼儀しらずのバカ者でした。

父にめっぽう怒られるかと思ったが、その話は別の場所で聞いたらしいがお咎めはありませんでした。

水茎書道の道場は他に珠算教室にも使い、父の兄の澤義=雲龍氏が津軽民謡でも使っていました。
昭和34年から発足会には師匠の『成田雲竹師』がおいでになり、津軽山唄、謙良節、りんご節など歌いました。
伴奏はまだ無名の高橋定蔵=竹山師が一緒についてきました。

叔父の民謡道場は「日本民謡協会支部、成田雲竹流民謡外ヶ濱会」が正しい名称でした。
私の家の玄関には最高で三つの木の看板が掲げられていました。三つ目は竹山津軽三味線研究会でした。

毎週水曜日高橋竹山さんがバスで小湊からおいでになるので、迎えに行く役が兄貴か私でした。
目の不自由な先生がバスから降りて駆け寄ると、「おぅ居たが・・」と独特のしわがれ声で言った。

お稽古には現在師匠になっている方々がまだ初々しく習っていました。西川洋子、楠美竹善、水上幸子、神戸で活躍の長崎栄山、二代目になった高橋竹与、内弟子の先輩の方々、そして私の兄、弟、母、妹もでした。

書道の研修会で年一回八甲田山の蔦温泉で大々的に開催されるときは、(毎年書道民謡総勢40~80名)、高橋竹山師は必ず顧問として来てくれました。
蔦沼や長沼の前で静まり返った中で、尺八や笛の独奏、雲龍先生や弟子の工藤竹風氏、後藤吟竹氏などが木挽唄や津軽山唄を歌ってくれました。
書道の子供達が唱歌を歌って和ませたあとに、沼によびかけをさせますと、その声が沼に響き渡り鳥たちも静かになるほどでした。

旅館にもどってからは書法要義の臨読や陵風の講義が始まり、その内容は自然から音楽から書の奥義を学ぶ方法などでした。
そして大きな紙への揮毫などをします。皆さんが書いている合間に、高橋竹山師は伴奏を低く演奏してくれたものでした。
しあわせな弟子たちだったと思います。
この蔦研修会は15回ほど開催し、蔦の恒例の行事として社長の小笠原氏は心に刻まれていたことでしょう。
昔、大町桂月がこよなく愛し、田中智学の御曹司『蘭川先生』も2度ほど研修会を行ったのです。
間山陵風が蔦にこだわった気持ちがよく分かります。

これらの経験から高橋竹山師はのちに寒撥(カンバチ)での賞に繋がり、津軽三味線の独奏曲の作曲の源になったと伝えております。

民謡の例会が終わると母八重の手料理を楽しみにしていた竹山師、いろんな過去や現在の思い出や悩みを打ち明けて陵風やその兄の雲龍と涙したり、手を握り合って友情を噛み締めたと話していました。
雲龍が自分の道場を建設するまで15年もの間、間山陵風と民謡外ヶ濱会は一心同体でありました。
今、父も雲龍も高橋竹山もこの世の人ではありませんが、きっとあの世で笑って酒を酌み交わしてるのではないでしょうか。

不肖むすこの私が父の果たせなかった個展を『遺墨展』として開催するのが責務だと思っております。         
長く拙い文章でも最後まで読んで下さった皆様と、この機会を与えてくださった後藤様に深く感謝申し上げて筆を置きたいと思います。(完結)

下の写真は揮毫中の間山陵風と津軽三味線をひいている高橋竹山の写真と間山陵風の書の写真です。

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欧米人には般若心経は理解出来ない・・・宗教的訓練が異なるので

2013年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「般若心経」の話を書いてみたいと思います。お釈迦様の教えた知恵のエッセンスです。

私の祖父は曹洞宗のお寺の住職でした。その後は叔父が住職になりました。

父は一生大学で働いていましたが、大学の停年後やはりある曹洞宗の住職になりました。父の死後は、弟がその寺の住職になりました。弟は一生大学で働いていましたが、その間に曹洞宗の本山で修業をして住職の資格を取っていたのです。

一方、私は中年になってからカトリックの信者になりました。

そうしてもう一度、「般若心経」を考えてみると、これほど偉大な哲学はないと思うようになりました。気宇壮大な哲学です。すべての宇宙で起きる現象を「空」という考え方で説明しているのです。

・・・・五薀は皆な空であると照見して一切の苦厄を救いたまえり、
 舎利子よ 色は空に異ならず 空は色に異ならず 色は即ち是れ空 空は即ち是れ色
・・・・・・

上の文中の舎利子とはお釈迦様の弟子のシャーリプトラのことです。玄奘三蔵法師がこのように漢字で書いたのです。

 

この般若心経の漢語と日本語は下に参考までにつけてあります。

さて欧米人には「般若心経」は理解出来ないのです。勿論例外的に少数の欧米人は深く理解しているとは思います。

欧米人が理解出来ない理由は、彼らは仏教的訓練を受けていないからです。かれらはキリスト教的な訓練しか受けていないのです。

私は幼少のころから「般若心経」を何百回も唱えました。意味も分からず唱えました。住職だった祖父も叔父も父も「般若心経」の意味を一度も説明してくれませんでした。成人して疑問に思ったのでその意味を調べたのです。

そして気がつきました。それを理解出来たのは幼少のころから何百回も唱えるという仏教的な訓練があったお蔭だと気が付いたのです。

仏教的な訓練とはお墓詣りに行く、お葬式に出る、線香を上げる、などなどの全ての行為をすることです。このような訓練をすると、「般若心経」が体で理解できます。それは理屈で理解するような浅薄な理解ではありません。

さて一方、キリスト教でも宗教的訓練が重要視されるのは同じことです。聖書を朗読する。聖歌を歌う。苦しい巡礼の旅をする。意味の分からない難しい説教を根気良く聞く。すべてがキリスト教の宗教的訓練です。

その訓練は神とイエス様が人間を愛していることを確信させるような内容の訓練です。

カトリックの私はカトリック的な訓練を毎日少しずつ、そして毎週の日曜日に教会で受けます。その訓練にはマリア様の重要性を悟らせる訓練も加味されています。

この体験をしてみると仏教の訓練方法は「すべての生命も物質界も空である」ということを理解させ、悟らせるように設計されています。一見無意味な修行をさせるのは「人間の行為も空である」ことを体験させているのです。

欧米人がこのような仏教的訓練を重ねて行けば、必ず「般若心経」を理解できます。

最後に一行だけ書かせて下さい。私にとって仏教は感動的な哲学です。そしてキリスト教は頼りになる宗教です。哲学と宗教は矛盾しません。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

=====参考資料====================

http://oshikoku88.web.fc2.com/newpage1-2-1.html)より引用しました。

 仏説摩訶般若波羅蜜多心経
 ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう

 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五薀皆空 度一切苦厄

 かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ  しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく

 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是

 しゃりし しきふいく くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ

 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

  しゃりし ぜしょほうくうそう ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん

 是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界

 ぜこくうちゅう むしきむじゅそうぎょうしき むげんにびぜつしんに むしきしょうこうみそくほう むげんかいないしむいしきかい

 無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽 
                 
むむみょうやくむむみょうじん    ないしむろうしやくむろうしじん

 無苦集滅道 無智亦無得
 以無所得故
  むくしゅうめつどう  むちやくむとく  いむしょとくこ 
                 

 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
 ぼだいさった   えはんにゃはらみったこ    しんむけげ   むけげこ    むうくふ

 遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提

 おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ とくあのくたらさんみゃくさんぼだい

 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚

  こちはんにゃはらみった ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうじゅ のうじょいっさいく しんじつふこ

 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
  こせつはんにゃはらみったしゅ そくせしゅわつ

 羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶

  ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか

 般若心経

 はんにゃしんぎょう

======意味========

仏が説かれた「悟りの智慧を完成させる偉大な真言」の教え

 観自在菩薩が深般若波羅蜜多を修行し時に 

                       五薀は皆な空であると照見して一切の苦厄を救いたまえり

 舎利子よ 色は空に異ならず 空は色に異ならず 色は即ち是れ空 空は即ち是れ色

                       受も想も行も識も またまた是の如し

 舎利子よ この諸法は空の相にして 生ずることなし滅することなし

 垢ならず浄ならず 増えず減せず

 是の故に空の中に色は無く 受も想も行も識も無し

 眼耳鼻舌身意も無く 色声香味触法も無く 眼界も無くそれから意識界までもすべて無し

 無明も無く亦た無明が尽きることも無くそれから 老死に至るすべても無し

 苦集滅道も無く 得る所無しを以ての故に 智も無くまた得も無し 

                       菩提薩埵は 般若波羅蜜多に依るが故に 心のくもり無く

 くもり無きが故に 恐怖も無し

 一切の顚倒した夢のような想いを遠く離して 涅槃を達成した

 現在過去未来のすべての仏も 般若波羅蜜多によるが故に 大いなる悟りを得られた

 故に知るべし

 般若波羅蜜多の是れ大いなる真言 是れ大いなる悟りの真言 是れ無上の真言 是れ比類なき真言

                       能く一切苦しみを除き 真実にして虚偽なし


 故に般若波羅蜜多の真言を説く 即ち真言を説いて曰く

 ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボディ スヴァーハー

 般若心経