近所にある「京王通り商店会」の納涼祭りには少しばかりの夜店が出ます。毎年、毎年、子共たちが何処からともなく沢山集まって嬉々として楽しんでいます。
京王ストアというスーパーがあって、その前の長さわずか40m位の通りに小さな商店が並んでいました。それで「京王通り」と呼んでいます。
昔は酒屋があり、肉屋、お茶屋、本屋、電気屋、蕎麦屋、2軒の寿司屋、中華そばや、錠前屋、クリーニング屋、そして道端では魚の浜焼き屋や軽トラでやって来る焼き鳥屋までありました。ですからその40mたらずの通りを、近所の人は「京王通り」と呼んでいます。
それが経済の高度成長と、その崩壊とともに、一つ一つと店を閉めて行き、気がついた時には京王ストアと新しく開業した八百屋だけになってしまいました。
小さな商店のあった所は、洒落たアパートや若夫婦むけの小奇麗な一戸建ての住宅になってしまいました。
しかし毎年、夏が巡ってくると、その淋しい通りが賑やかな「納涼まつり」の会場になります。
少しばかりの夜店が出て、若いタレントたちがちょっとした芸を見せます。そして通りの真ん中を、以前は南米のサンバチームが、そして最近は阿波踊りの一群が踊りながらゆっくり通りすぎて行きます。
昔は両側の商店の旦那さんたちが主催していましたが、皆一人、一人、と消えてしまったのです。そして現在は地区の人たちが毎年必ず実行します。子供が喜ぶので母親たちが協力していると想像しています。
今年は21日、日曜の夜にありました。
はしゃいで楽しそうにしている子供たちを見るのは楽しいものです。
子供たちを見ていると戦前、戦後の仙台の街中の夜店や愛宕神社の参道に並んだ夜店を思い出します。その子供の喜ぶ光景はまったく同じです。
違うところは照明の仕方です。昔はカーバイトに水をかけ、アセチレンガスを発生して、火をつけたアセチレン灯を夜店で使っていました。照明はそれだけですから暗いのです。夜店だけが明るいのです。それで一層子供心が湧き立つのです。
それは幻想的な夢のような世界でした。
もう一つの大きな違いはサンバの踊りや阿波踊りなど一切ありませんでした。ですから子供たちは夜店だけに心を集中していたのです。
そんな違いを思い出しながら、私は銀行の駐車場に作ったテーブル席に座って生ビールを飲んでいました。
家内は浴衣を着て、楽しそうに歩き回って下の写真を撮ってくれました。
写真を撮りに行くまえに、「祭りの夜店は子供の天国!」というテーマを説明しました。テーマを言わないと勝手に自分の気に入ったものだけ撮る傾向があるのです。
日本のどこにでもある夏の夜の子供たちの風景ですが、お楽しみ下さい。