後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

祭りの夜店は子供の天国!

2013年07月23日 | 写真

近所にある「京王通り商店会」の納涼祭りには少しばかりの夜店が出ます。毎年、毎年、子共たちが何処からともなく沢山集まって嬉々として楽しんでいます。

京王ストアというスーパーがあって、その前の長さわずか40m位の通りに小さな商店が並んでいました。それで「京王通り」と呼んでいます。

昔は酒屋があり、肉屋、お茶屋、本屋、電気屋、蕎麦屋、2軒の寿司屋、中華そばや、錠前屋、クリーニング屋、そして道端では魚の浜焼き屋や軽トラでやって来る焼き鳥屋までありました。ですからその40mたらずの通りを、近所の人は「京王通り」と呼んでいます。

それが経済の高度成長と、その崩壊とともに、一つ一つと店を閉めて行き、気がついた時には京王ストアと新しく開業した八百屋だけになってしまいました。

小さな商店のあった所は、洒落たアパートや若夫婦むけの小奇麗な一戸建ての住宅になってしまいました。

しかし毎年、夏が巡ってくると、その淋しい通りが賑やかな「納涼まつり」の会場になります。

少しばかりの夜店が出て、若いタレントたちがちょっとした芸を見せます。そして通りの真ん中を、以前は南米のサンバチームが、そして最近は阿波踊りの一群が踊りながらゆっくり通りすぎて行きます。

昔は両側の商店の旦那さんたちが主催していましたが、皆一人、一人、と消えてしまったのです。そして現在は地区の人たちが毎年必ず実行します。子供が喜ぶので母親たちが協力していると想像しています。

今年は21日、日曜の夜にありました。

はしゃいで楽しそうにしている子供たちを見るのは楽しいものです。

子供たちを見ていると戦前、戦後の仙台の街中の夜店や愛宕神社の参道に並んだ夜店を思い出します。その子供の喜ぶ光景はまったく同じです。

違うところは照明の仕方です。昔はカーバイトに水をかけ、アセチレンガスを発生して、火をつけたアセチレン灯を夜店で使っていました。照明はそれだけですから暗いのです。夜店だけが明るいのです。それで一層子供心が湧き立つのです。

それは幻想的な夢のような世界でした。

もう一つの大きな違いはサンバの踊りや阿波踊りなど一切ありませんでした。ですから子供たちは夜店だけに心を集中していたのです。

そんな違いを思い出しながら、私は銀行の駐車場に作ったテーブル席に座って生ビールを飲んでいました。

家内は浴衣を着て、楽しそうに歩き回って下の写真を撮ってくれました。

写真を撮りに行くまえに、「祭りの夜店は子供の天国!」というテーマを説明しました。テーマを言わないと勝手に自分の気に入ったものだけ撮る傾向があるのです。

日本のどこにでもある夏の夜の子供たちの風景ですが、お楽しみ下さい。

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水谷 修著、「デカルトと般若心経」・・・西洋と東洋の哲学の対比

2013年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

7月21日の読売新聞の11面に作家の水谷 修氏が、「デカルトと般若心経」と題した文章を発表しました。

私はそれを読んで、これほど簡明で分かりやすい西洋と東洋の哲学の対比は無いと思いました。

お読みになった方々も多いとは思いますが、あまりにも明快な対比なので以下に再録させて頂きました。

======水谷 修著、「デカルトと般若心経」============

私は、中学・高校時代、「死とは何か」、「生きることの意味」など、究極の問いへの答えを求めました。

大学は哲学科へ進みました。残念ながら、未だに哲学は、答えを与えてくれません。哲学は、ものの見方、考え方です。便利な道具ですが、それまでのものです。

哲学を一から学び、そしてあっという間にその限界を知りたいのなら、次の二冊がお勧めです。

まずデカルトの「方法序説」(岩波文庫)。有名な「我思うゆえに、我あり」はこの本に書かれています。哲学は真理を求めます。デカルトにとって、すべて疑わしいものを捨てていって、最後に残ったのは、疑っている自分の存在でした。これが全ての哲学、科学の出発点となりました。でも罪深い人です。私と私が見る世界、本当は、私も世界に溶け込んでいるのですが、これを分けてしまいました。これが人間の心に、孤独や不安あるいは、心の病を生む原因となりました。

デカルト以降の哲学はもう一度、世界と私を一つにすることが、大きな課題でした。しかし未だにその答えは出ていないようです。

次に岩波文庫などで読める「般若心経」を味わって下さい。何度も。そして驚いて下さい。

仏陀は、すでに二千五百年前には、この答えを見つけていました。「色即是空」。「色」、すなわちデカルトのいうすべての存在根拠、「我思う」を、「空」すなわち、実体のないものと切り捨てています。すごい。世界へ挑むむのではなく、その中で優しく生きる知恵を与えてくれます。(終わり)

====読後の私の雑感=====================

哲学は、宇宙で起きる現象の因果関係の考え方や宇宙観とよく言われています。

従って科学は哲学の一分野です。ところが日本の大学では物理や化学を哲学の一分野とは教えません。工業技術を改善する学問として教えます。富国強兵の道具として教えます。

私は大学で熱力学という学問体系を勉強しました。日本の工業の進歩に役に立つから勉強しなさいと教えられたのです。

それがアメリカへ留学したら熱力学は優れた哲学の一体系ですと教えているのです。そして全ての学説や理論体系には必ず適用範囲が決まっていて弱点があると強く指摘します。ですから熱力学の弱点を理解すれば熱力学を理解したことになりますと教わるのです。

私はアメリカの理工系の大学院で勉強して哲学博士というものを頂きました。

インド哲学もギリシャ哲学も一切勉強しないで頂いたのです。

したがって欧米では科学は哲学の大きな、そして重要な分野なのだと理解したのです。

デカルトのように疑っている自分の存在が、その周囲の自然界を客観的に考えれば科学が生まれます。

上の水谷 修氏の文章を読むと何故西洋で近代科学が発展して、東洋では科学が進歩しなかったかが明快に理解できるのです。

その事を教えて下さった水谷 修氏へ感謝申し上げます。(終わり)

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

下の写真は挿絵がわりに入れたものです。駿河湾を帆走するハンス・クリスチャン43という北欧の木造艇です。

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