後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

老境の楽しみ方・・・昔の仲間と小さな旅をする

2013年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 横山美知彦さんは家内が68年前疎開した群馬県下仁田町の小学校の同級生でした。

しみじみした文章を書く方なので、原稿をお願いして、以下のように数多くの記事を掲載してくれました。

横山美知彦著「戦中・戦後の山里の生活の思い出」(3)電気スタンド

横山美知彦著、「戦中、戦後の山村の生活の思い出」(2)落し物

横山美知彦著、「戦中、戦後の山村の生活の思い出」(1)夜網(よあみ)

山里のコンニャクつくりの様子・・・失われた日本の原風景

横山美知彦著、「風吹かし(かざぶかし)」・・・懐かしい日本の原風景

横山美知彦著、「若き日のある危険な山の思い出」

横山美知彦著「おきりこみ」・・・手打ち煮込みうどんの思い出」と

横山美知彦著「おきりこみ」・・・手打ち煮込みうどんの思い出(続き)

この横山美知彦さんから昔の仲間と旅をしたときの文章を頂きましたので以下に掲載致します。

相変らず、趣ある文章です。小田原城、伊豆の稲取、箱根、山中湖、勝沼などへの観光案内としても明快です。皆様にもお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

=====「下仁田しんし会」旅行記=====横山美知彦著==== 

昭和283月に下仁田中学を卒業した、比較的近くに住んでいる男子で「下仁田しんし会」と云う会が結成されており、二年毎に旅行をしております。今年は会長の土屋利市君が残念ながら欠席でしたが、他の11名の会員で7/17/3,伊豆、箱根、山中湖(忍野八海)、勝沼をバスで旅行、3日夕方無事帰宅しました。その紀行を纏めてみました。(しんし会は現在男子のみの会員です)

71日(月、一日目) 曇り<o:p></o:p>

    

「本日より駐車場が有料になりました」の看板が張られており、その第一番か二番の客だった様だ。城内をガイドさんの説明を聞きながら天守閣下まで歩く。<o:p></o:p>

1495年、北条早雲の奇襲により大森氏から北条氏に渡った城で、上杉謙信や武田信玄の攻撃を防ぎ、難攻不落の名城の名を全国に轟かせた。豊臣秀吉はこの城を攻めるべく現在の石垣山に陣営を移し自分の城を築き、周囲の木を切らずにおき、一夜にして木を切ったことで「一夜城」が出現したので、こう呼ばれた様だ。<o:p></o:p>

    

子供達が幼い頃、町田市に住んでいて、そのある時期に真鶴半島の「磯料理」のサービス券が当たったことがあったが、何かの都合で行くことが出来なかったことを思いだした。半島の周囲は「きんめ」の看板で賑わっていた。船宿(網元料理)で昼食をとる。金目鯛の煮つけが出た。確かに味がよかった。宿の一階の天井に鳥の巣が見られた。燕の巣とはやや違い、全体が塞がれていて、入り口は親鳥がやっと入れる程度の丸い穴が開いている。店の人に聞くと「海燕」の巣とのこと、群馬では見られない情景だった。

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梅雨時の宿の宿あり海つばめ

着寺  (伊東市富戸地内)=日蓮大聖人伊豆俎岩御法霊場

弘長元年(1,261年)日蓮上人が鎌倉幕府によって捕えられ、裁判を経ず流罪と決められ、五月雨の夕闇の中を伊豆の配所へ送られる途中、鳴崎の絶壁の下(俎岩=まないたいわ)の上に置き捨てられた。弘長三年ご赦免になり、俎師送りが浜から鎌倉に帰られた。(俎岩山連着寺略縁起より)

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宿泊   伊豆稲取  銀水荘<o:p></o:p>

 

稲取では大型の旅館(ホテル)で従業員が勢揃いで歓迎してくれた。夜の食卓には「金目鯛」のさしみ、煮つけが我もの顔で群馬からの老人グループを迎えてくれた。<o:p></o:p>

72日(火、二日目) 晴れ

旅館から見る朝の海はおだやかな美しい顔をしていた。この海が突然荒れ狂うと二年前の東北地方を襲った大津波の様な牙を剥くかと思うと恐怖に駆られてしまう。<o:p></o:p>

 シャボテン公園 <o:p></o:p>

孔雀が放し飼いされていた。長い尾羽を持った雄孔雀を真近に見ることが出来る。その眼は何を考えているのだろう、私には判らなかった。公園の駐車場の先から川奈方面左に目を向けると、伊東市、その先に相模湾、初島がかすかに見え、左延長線上に真鶴半島がぼんやり、海はおだやかな表情に見えた。

 バスは箱根方面へと伊豆スカイラインに入り、亀石ICから十国峠へ快適な旅が続く。

  

 左眼下に駿河湾が見えて来た。三島、沼津方面の町並みも光線の加減か眩しく輝いていた。駐車場から山頂へ上がるケーブルカーに乗る。頂上は好天の中360度の視界を独り占めも可能なほどだった。残念なことは富士山だけがご機嫌斜めで顔を見せなかった。明日はどうだろう。ケーブルカーで降りた土産物店の二階で昼食。突然町田市在住の同窓生から携帯電話が入る。前之園さん、高橋君、長谷川さん、これから三人で昼食に行くそうだ。  <o:p></o:p>

    

箱根には何度となく足を運んでいるが、箱根神社を参拝するのは初めてだ。驚いた! 梅雨時の平日にも関わらず参拝者が詰めかけて居る。しばらく歩きながら通りすがりの人達の会話で納得。中国語とハングル語だ。中国、台湾、韓国の観光客なのだ。日本人を探すのに骨が折れた。<o:p></o:p>

  

「黒い玉子」が食べたい同僚がおり、大涌谷へとバスは上り、ロープウエイを上に見ながら駐車場に着たところ、ここも外国人観光客で満員、駐車スペースなし、散策の予定も中止して、仙石原から乙女峠を経由し御殿場、須走から山中湖村のエキシブ山名湖というホテルへ。<o:p></o:p>

73日(水、三日目) 曇り

朝六時過ぎに目が覚める。カーテンを開いたが外は霧、富士山は無論見えない。山の朝はそんな状態がしばらく続く。同僚が「もう少し経てば晴れるよ」とは云ったが、結局姿を見ることは出来なかった。<o:p></o:p>

 山中湖村地内にあるこのホテルは山の中腹に建設されており、細長く途中から建物の階が変わり、戸惑いが常に頭を過る。しかも廊下は何処のホテルより長かった。<o:p></o:p>

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独身の頃、勤務していた会社の社内報の表紙の写真を頼まれ、冬の忍野から見る富士山を撮りに来たことがあったが、当時の素朴さは微塵もなく、ただ土産物店の建物と看板だけが目に付いた。しかも肝心の富士山は見えず、磁石も狂ってしまう「青木ケ原の樹海林」に突然迷い込んだ様な気分になる。数十年ぶりの忍野に立っていながら、全く忍野とは違う湧水の池を見ている様だった。自然な風景の中でこんなにがっかりしたことはなかった。

バスは新御坂トンネルを抜け、これからの日本の交通の主役になるであ ろう、リニアモーターカーのテストコースの下を甲府方面に下って行く。

昼食は甲府一宮の某ワイナリーの二階にある食堂で洋食がセットされていた。<o:p></o:p>

 食事後ワイナリー内で買い物、その後某有名な山梨の菓子の工場の売店に立ち寄り、御坂一宮から中央道に入る。24年(2,012年)122日、笹子トンネル(4,784)内で起きた天井板落下事故個所を注視しながら通過、談合坂PAで休憩、八王子ICから圏央道に入り、関越道、上信越道の甘楽PAで軽食、18時過ぎに全員無事に帰宅した。<o:p></o:p>

75才の三日間のバスの旅はさすがに疲れた。次回(二年後77才)からは、一泊が限度ではないだろうか。平成2577日 記

======以下に旅の写真を示します===============

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私の秘密の趣味・・・他愛もない趣味でしょうか?

2013年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

年老いてから人生を振り返ってみると、ああ、これは私の趣味だったのだと気がつくことがあります。それは他人へ自慢できるような趣味ではありません。変な趣味なので秘密にしてきました。

その趣味はお寺や神社や教会へ無断で入って行って、境内を散歩する趣味です。このような場所は参拝を歓迎するので無断で入ってよいのです。

私にとってはそういう場所は広い庭をもっている親戚の家のような気分なのです。

それは田舎のお寺の住職だった祖父や祖母との思い出につながるのです。

祖父と一緒に本堂で意味の分からないお経を読んだり、子供用の袈裟を着て檀家回りをした思い出につながるのです。そこは山間の小さな盆地で水田がありました。数十軒の檀家は一つのお寺を中心にして、よくお寺の面倒をみて祖父一家の生活を支えていました。毎朝のように新鮮な野菜を届けるおばさんがいました。それは小さな桃源郷のようなでした。

このような幼時体験のせいで私は神社やお寺や教会へ遊びに行くのです。別に深刻なお祈りをするわけではありません。しかしお賽銭だけは必ず入れるようにします。祖父のあとをついで住職になった叔父さんがどんな場所に行っても必ず少しのお賽銭を入れなさいと言っていたからです。そして、ほんの少しでも ちりも積もれば山となると言っていました。

そのような事情のせいか、神社やお寺や教会へ遊びに入って行く趣味が生涯の趣味になりました。

近所の神社や質素なお寺さんへも遊びに行きます。そして観光旅行に行くと必ずお寺や教会に行きます。大げさに行くと巡礼の旅のようになります。

私が憧れているのは四国のお遍路への旅です。空想のなかで何度もその様子を想像して楽しんでいます。(実際問題としては体力的にとても実行できないのですが)それも神社・お寺・教会遊びの趣味の延長なのです。

あまり共感を頂けない変な趣味ですが、一度ブログに書いて置きたいと思っていました。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人

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上の写真は貫井弁天神社で、境内に大きな池があり鯉や亀が沢山泳いでいるので孫達が幼かったころによく通った神社です。

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上の写真は函館から農村地帯の奥に入った静かなところにあるトラピスト修道院です。裏の牧舎や牧草地が何故か気に入ったので函館にいる間に4回も車で行きました。なお、北海道の生活の厳しさと雄大な自然(1)トラピスト修道院の自給自足の厳しさ もご覧ください。

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上の写真は長崎に行ったら必ず遊びに行く大浦天主堂です。私は勝手に日本のカトリック教会の「本山」と信じている教会です。250年の禁教の後に隠れキリシタンたちが突然現れた教会なのです。まあ、それだけの理由で「本山」だと言っているのですが。右手に見えるセミナリヨで、当時多くの若者が学んでいた様など想像してみます。