毎年、写真を撮る真蔵院の蓮はまだ開いていませんでした。それでも蕾の風情も良いと思います。
蓮の蕾のある静かなお寺の庭を散歩しながら考えました。
ここ数日考えている人類の人種差別のことです。
ヒンズー教徒だったお釈迦様とユダヤ教徒だったイエス様は人種差別をどのように思っていたのでしょうか。
お釈迦さまのインドでは階級差別が厳しかったのです。その上、異なる民族同士の争いが絶えなかったはずです。年齢差別や男女差別など様々な差別の厳しい社会だった筈です。
お釈迦様はそれらを具体的に一つ一つ取り上げないで、総括的に宇宙の全ての生き物を殺すことを禁じたのです。
それは虫でも魚でも獣でも、そして人間でも命あるものは全てその命を平等に大切にし、絶対に殺してはいけないという教えです。
これは厳しい、そして深い意味を持っているのです。
この教えは虫や魚にだけ適用すべきではないのです。人間同士にも適用できるのです。
異民族同士が戦争をして殺し合ってはいけません。農民を搾取して飢餓に追いやってはいけません。主人が召使いを残酷にあつかって殺してはいけません。
蚊や蠅さえ殺さない人が他人を傷つけないのは当然ではないでしょうか?
イエス様はどのように教えたのでしょうか?
異教徒の善きサマリア人を褒めたたえたのです。
弟子たちを異民族の地に派遣して「隣人を愛せ」と教えさせたのです。
隣人を愛する人は人種差別が出来るわけがありません。
お釈迦さまの教えとイエス様の教えは民族の壁を突き崩し、あらゆる人種に共通な大切なことを教えていたのです。
それはインドのヒンズー教を超越して「仏教」という世界宗教になったのです。
イエスさまはユダヤ民族だけの宗教だったユダヤ教の壁を壊して世界宗教の「キリスト教」を生んだのです。
お釈迦様は仏教という名前を知りません。
イエス様はキリスト教という名前を知りません。
それらの呼び名は後に弟子たちがつけた名です。
それはそれとして、二人ともに人間同士はどんな差別もしてはいけないと教えたと私は信じています。
今日もお暑いですね。日曜日なのでこれから教会へ行って、
皆様のご健康と平和をお祈りしてまいります。後藤和弘(藤山杜人)