後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

西湖から見た今日の富士山

2013年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム

西湖の根場には「いやしの里」という昔の兜作りの農家を数軒再現したテーマパークがあります。その近辺から晴れ上がった今日の富士山の写真を撮りました。

写真を撮ったのはブログの取材をお願いした若者です。私自身は甲斐駒岳の麓の山小屋へ行って来ました。その写真は明日ご紹介いたします。

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夏の山里の花々の写真をお楽しみ下さい

2013年07月10日 | インポート

毎年、夏になると山小屋の近所の山里を車で散策しながら、夏の花々の写真を撮ってきます。夏は日本古来の和花が少くなく、洋風の園芸種が咲いています。毎年、季節毎に、花々の写真を撮っているので、何処へ行けばどんな花が咲いているか分かっています。

花が好きで、四季折々何時でも花が咲くように植えている農家が3軒あります。春と秋は花の種類も豊富ですが、夏は少しさびしい感じがいたします。下の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。2010年のある夏の日に撮りました。お楽しみ下さい。

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毎年夏になると私は第二次世界大戦のことを思い出します

2013年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム

018 (この美しい夕陽の下の地球で起きたことを思い出しましょう!)

毎年、夏になると、日本では第二次大戦の写真集や総合的な記録本が大々的に宣伝され販売されます。夏になると太平洋戦争の映像を集めた高価なCDやDVD集がテレビや新聞で宣伝されます。

昭和11年生まれの小生も強い関心を持って、CD集の内容、目次、見本映像を見ます。日本が輝かしく戦っている映像が見本になっています。懐かしいので、購入して見ようと思います。しかし、結局買いません。何故でしょうか?

その編集方針があまりにも日本の関わった戦争にばかりに集中し、世界全体で何が起きたかという視点が無さすぎると思うので買わないのです。

内容の詳細は分かりませんが、「如何に日本が華々しく戦ったか」そして「アメリカの沖縄上陸、本土の都市の焼夷弾攻撃と原爆の悲惨」という2つの視点に偏っているのです。

しかし、当時、同じ地球の上で起きていた大きな悲劇が一切紹介されて居ないのです。

そこで以下に少し世界全体の被害にかんする簡単な情報をご紹介いたします。

日本と枢軸同盟を結んでいたドイツがロシアへ進撃し、優秀な人間や若者の民間人を選んで1000万人銃殺した事実を日本人はあまり知っていません。この話をすると驚く人が多いのです。

第二次大戦でロシアの戦死者は1450万人。民間人の1000万人と合計すると2450万人です。これに対してドイツの戦死者は280万人、民間人の死者が230万人で合計510万人です。

戦争に勝ったロシアが2450万人死に、負けたドイツが510万人死にました。これらの数字は正確には調べようもありませんが大体そのような数字が文献に出ています。ここで用いた死者の数の出典はhttp://www.geocities.jp/wdbkwy/wdyhmfwys29.html です。尚、これには日本の戦死者数もでています。

日本ではドイツによる、「ユダヤ人の大量殺戮」のみがよく取り上げられますが、ロシアの民間人の大量殺戮も記憶すべきです。その事を忘れては、歴史を理解する場合の公平性に欠けると思います。

ドイツと同盟した日本がロシアの脅威になっていたのは事実です。そのお陰で、ドイツの侵入・殺戮を容易にしたと考えるのは自然なことです。

日本の枢軸同盟のお陰で多数のロシア人が殺されたとロシア人は思っているでしょう。

シベリア抑留は日本人もドイツ人もやられました。ドイツ人のほうが多数で過酷であったのです。日本人だけがシベリア抑留をされたのではありません。

シベリア抑留は無理無体、無法の極み!残酷なロシアの政策!と、いくら非難しても足りないと思います。全くけしからん話です。

しかし何故シベリア抑留が起きたか、その理由を公平な立場で考えるべきではないでしょうか。

そして戦後、ロシアが頑なに鉄のカーテンを張り廻らせ東西間に緊張が続きました。

しかしこの冷戦も1989年にアメリカの勝利で終わりました。

ソ連に占領されていたポーランド、チェコソロバキア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、リトワニアなどのバルチック3国が皆完全独立したのです。

シベリア抑留も鉄のカーテンもみな2450万人の死者が原因の一つです。

共産主義は間違っています。でもロシアの冷酷な政策は2450万人の死者を忘れては理解出来ません。

何故シベリア抑留が起きたかをその理由を論理的に考える必要があります。

こんな暗い、悲惨な人間の歴史の話の最後に、実に明るい話をご紹介します。

元日本兵の木内信夫さんがシベリア抑留中に描いたスケッチ風の絵画集がインターネットで世界中へ公開されています。http://kiuchi.jpn.org/nobindex.htmです。

数ヶ国語の翻訳つきです。いろいろな国の人々から感動したという投稿が英語であります。絵画の主題は人々の友情や抑留生活中のユーモアある風景が多いのです。極限状態でも人間を信じ、ユーモアを忘れない木内信夫さんの勇気にみな感動してコメントを送るのです。ロシア人の謝罪と戦争反対のコメントはせつせつとして心にしみます。人類の善意と相互理解の可能性を信じ、明るい気持ちで筆を置きます。(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)