この前の記事で水木りょうさんのお兄さんがシベリア抑留で洗脳されたと書いています。
そこで以下に、JJ太郎著、「赤化洗脳された日本人」 をお送りいたします。
出典は、http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/08/post-cea9.htmlです。
昭和20年(1945年)の終戦後、日本軍人、民間人約60万人がソ連のシベリア、モスクワ近郊、北極近く、中央ロシアなど約2000箇所に抑留されました。抑留者には強制労働だけではなく、赤化洗脳の嵐が待っていました。昭和21年(1946年)から「民主運動」の名目で実施されました。「スターリンを選ぶか天皇を選ぶか」と問われ、天皇と答えたものは「帰国させない」「反動は白樺の肥料だ」と脅迫を受けました。食事、睡眠、用便の時間を与えないなどの拷問も行われています。洗脳されてしまった人は内地に引き揚げた後、東京代々木の日本共産党本部に大挙して挨拶に行きました。
静岡市の大木幸雄さんはシベリア抑留中、「友の会」という共産主義の勉強会がはじまり、「友の会」の指導で「青年行動隊」が組織され入隊していたそうです。しかし、「一緒に祖国の土を踏もう」と誓い合った戦友が「桜劇団」(資本主義の産物と言われた)を組織しました。「友の会」の幹部は戦友に対して「反動分子」のレッテルを貼り、圧力・嫌がらせが陰に陽に露骨になっていきました。大木さんは悩み、そして自決を決意し、まさに実行に移そうとしたそのとき、戦友が「彼らの圧力に屈するな」「民主運動は要領よくやればよい。日本へ生きて帰ることを考えよう」と励まされ、思いとどまったといいます。大木さんの手記では収容所内は「革命だ!祖国日本を救え!」で埋め尽くされ、まさに革命の坩堝(るつぼ)と化したと述べています。
この洗脳はシベリアに抑留された兵士だけでなく、中共でも行われています。山西省の日本軍は敗戦後も国府軍として居残り共産党ゲリラと戦い、これが滅法強かったため、毛沢東は恨みに思い、ソ連に抑留されていた日本軍精鋭の残存兵を強引に引き取ります。そして撫順(ぶじゅん)に洗脳学校を作り徹底的に洗脳します。共産党を礼賛し、毛沢東革命をたたえ、日本を貶める。改竄された歴史を教え込みます。日本人将校の中には自尊心が許さないとして自決するものも何人か出ました。こうして洗脳された日本人は帰国して731部隊、万人杭、三光作戦など組織的に流布されるようになります。ちなみに三光作戦の「光」に殲滅、皆殺しの意味を持つのは支那語であり、日本語には明るい意味しかありません。中日辞典をひけばわかります。日本軍は支那語の作戦名などつけません。
こうして洗脳された日本人はやがて引き揚げて日本の地を踏むと「赤旗の歌」や「インターナショナル」を歌い、排除しようとすると「天皇島上陸」などと叫んで、肩を組んで歌う者や、ソ連仕込みの怪しげなコザック踊りを始めたといいます。迎えにきた共産党員や労働組合員たちが一緒に騒いで全く手がつけられなかったといいます。
もっとも皆が皆、洗脳されたというわけではなく、ノーボイリンスカヤに抑留されていた上田宗雄さんの手記によると洗脳は「壁新聞」からはじまり、「ソビエト人民の歩んだ道」という本を回し読みさせられ、ちょっとでも批判すると吊るし上げられるので、理解したフリをしたと述べています。誰も「民主運動」家たちのいうことは信用せず、引き揚げ船にのる前のナホトカの収容所でも「民主運動」の波はひどいものでしたが、一応、かみしめたように見せかけガマンしていたそうです。
参考文献
オークラ出版「拉致と侵略の真実」西村幸祐(編集)
産経新聞社 別冊正論「遥かなる昭和」
参考サイト
平和祈念展示資料館 シベリア強制抑留者が語り継ぐ労苦(抑留編) http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/index.html
WikiPedia 「中国山西省日本軍残留問題」