後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

東京都立水元公園の今日の菖蒲園の写真をお楽しみ下さい

2014年06月17日 | インポート

アヤメや菖蒲の季節はあっと言う間に過ぎてしまいます。花の命の儚さです。


今日は家から東京外環道路を経て60kmも離れている水元公園の菖蒲園を見に行きました。道路が空いていたので往復120kmのドライブも楽しいものでした。

菖蒲園には川風が吹いていて爽快でした。規模が大きくてかなり歩き回りました。
菖蒲園はやはりある程度大い方が感動も深くなります。
下の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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小保方論文問題は何故起きたのか?・・・源氏物語と日本人科学者の論文の似ているところ

2014年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム

小保方論文問題は相変わらずマスコミのニュースになっています。理研全体の大問題になって来ました。理研の関係部門を解体する提言まで出されました。

しかし私はその深い背景には一部の日本人科学者の書く論文の曖昧さが関係していると思います。自分の発表する論文の欠点を客観的に明快に書かないという文化的背景が遠い原因になっていると考えています。

その考えを説明するには源氏物語が丁度良い実例になります。

源氏物語は1000年前程に書かれた小説で、我が国が世界に誇れる文化遺産だと理解しています。しかし読んだことはありません。ところが家内は大学の国文科を卒業し、それ以来、源氏物語を趣味のように研究しています。現在も源氏物語を原文で読む会を主宰して楽しんでいます。そんな会をもう46年も続けています。その為に、源氏物語のことをいろいろ聞きます。ですから源氏物語を原文で読むことの良し悪しが客観的に判断出来るようになりました。

何事も文学は原文で読むほうが良いに決まっています。シェイクスピアでも原文で読むと味わいが深く、感動も大きいのです。源氏物語でも同じことです。しかし原文で読むには1000年ほど前の日本語が理解出来なければ不可能です。その上、源氏物語は当時の宮廷や貴族の使っていた特殊な日本語です。主語や目的語は極端に省略します。物語に出てくる人物の行動は具体的に記述しません。あくまでも暗示するにとどめています。その上、当時の宮廷の身分制度や、その中に生きている人々の人生観も知っていなければなりません。服装・家具調度・建築や当時の藝術・習慣風習・年中行事にも精通していければ理解できない個所もあります。

例えば、私のブログ(http://yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp)の2009年11月28日掲載記事の、源氏物語と雅楽、女楽と男踏歌の演奏会 にそのことを指摘しました。源氏物語の時代の京都の行事の再現行事の記事です。

このように、全ての準備的な勉強をしたあとで初めて源氏物語の芸術性を楽しむことが出来るのです。

男女の関係の美しさを藝術的に描いた傑作なのだそうです。それを現代語訳で読めば簡単ですが、当時の宮廷の男女の関係を如何に美しく描き出したかが理解出来ません。楽しさが浅いものになります。現代語訳はいろいろな時代に行われました。最近、単なる男女の愛慾物語風に翻訳したものが人気が高いようです。困ったものだと思います。

さてそれはそれとして、ここからが私の書きたいことです。

科学書も英語で読むべしという原則を強調したいのです。

源氏物語に比較して科学書は時代考証など無視しても理解できます。大学受験英語を通過して、科学の基礎的な訓練さえ終えているば誰にも読みこなせるのです。私は工学部の4年生になってから数多くの英語の論文や原書を読みました。読まされて仕方なく読んだのですが。

英語の科学書は決まって、その論文や本が取り扱う問題を一番先に明快に説明しています。その次に使用する言葉の定義を厳密に説明します。そして本論に入り、色々な考え方や、数式がでてきます。英語の科学書ではその後で、その考え方や、数式の長所と弱点を客観的に説明します。

すると読者の私は安心します。「そうだ!どんな科学法則にも欠点と強みがあるのだ!!」と理解できるのです。

一部の日本の科学者が書く科学論文や教科書は源氏物語のように主語が省略されています。自分の研究成果や科学的法則の欠点が明快に書いていなくて、その法則が万能のような暗示的な記述が長々と続きます。

そうです!日本語では主語を省略するのが普通と言われます。単数と複数も区別しません。しかしこの日本語の美しさが科学書では致命傷になります。理解不能な、あいまいな論文や科学教科書になるのです。

少し専門的になりますが、私がよく勉強した熱力学という分野の本の事です。3つの法則で宇宙の全ての自然現象の起きる可能性を予言出来る学問です。哲学の一部です。

この熱力学を日本語の教科書で学んでいると非常に理解困難でした。それを英語の教科書で読んでみると実に目から鱗が落ちるように理解できたのです。

その上、熱力学の欠点も書いてあります。全ての自然現象の起きる可能性を予言は出来ますが、その変化の速度は一切不明です。1年後に変化が完了するのか1億年後に完了するのか予測出来ないのです。

全ての学説には欠点があると知ってしまえば気楽なものです。

研究発表会で難解な学説を説明する人が居ます。理解は出来ませんが、直感的に興味を感ずることがあります。そういう時には質問をします。「とても興味深く聞きました。所でその学説の欠点は何でしょうか?」と。

欧米人の学者は実にスラスラと欠点を説明してくれます。

ある時、日本人の学者に同じ質問をしました。そうしたら感情的になって、「君。そういう質問は失礼です。第一、君は私の話が理解出来たのですか?」。これが欧米の科学者と日本の二流の科学者との違いですね。

家内から源氏物語の話を聞く度に私は曖昧模糊とした日本の科学論文を考え、不思議な感慨に捕らわれています。科学者も無意識のうちに源氏物語に代表される日本文化の影響を受けているのです。私も例外ではありませんが。

今回の小保方論文問題も自分の研究成果の優れているところと弱点を明快に書いて置けばこんな大問題にならなかったと信じています。

下に源氏物語と雅楽、女楽と男踏歌の演奏会 の写真を2枚示します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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