江戸時代の人々の人生観を想像したことがありますか?士農工商の階級によって違うのが自然です。人生観は人それぞれですが、やはり時代の影響を強く受けるのが人間の弱さなのでしょう。
それでは明治維新後の富国強兵の時代の日本人の人生観はどうだったでしょうか?
坂の上の雲を見上げて一心に努力することが美しい人生と考えた人々が多かったのです。
しかしその人生観も敗戦で大混乱を受けます。混乱の中から、人々は立ち上がったのです。そして経済成長に邁進し、1990年頃には日本は豊かになりました。
それと同時に日本人の人生観が多様化して、人それぞれの個性をお互いに尊重し、平等で自由な人生を楽しむようになりました。
このような状態は欧米の先進国の人々の人生観と非常に似ているのです。
話はいきなり変わりますが、最近、G7先進国首脳会議で安倍さんが出席していた理由は、単に日本の経済力だけではないと思います。欧米と日本の人々の価値観が同じという、お互いの安心感が重要な理由になっていると思います。
だからこそ安倍さんが堂々と自説を説明出来たのです。
それでは戦後、どのようにして日本人の人生観が変わって行ったか、卑近な例になりますが具体的な経済成長を示す写真とともに考えてみます。
数年前に、小金井市教育委員会が古い市内の風景写真をCDにして売り出しました。
下に1964年当時のJR武蔵小金井駅の北口広場のぬかるみの様子と、米軍のトラックを改造した貧しげなバスの写真を掲載します。私たち一家が小金井市に引っ越してきたのがこの1964年でした。
バスのバンパーとボンネットは米軍トラックのそのままでした。運転席と荷台を改造してバスにしたのです。バスの後ろに見えるに車は日産のダットサンで、タクシーとして客を待っている光景です。
当時は中央線は高架でなく、後ろの木造の粗末な建物が小金井駅の北口の駅舎でした。
改札口で切符にハサミを入れて貰い、左の斜め上にあがっている階段を登り跨線橋を渡ってホームへ降りたのです。地面がこのようにぬかるんでいたのでゴム長靴で通勤し、職場で短靴に履き替えて仕事をしていました。
このような生活程度が、東京でオリンピックをした1964年の日本の普通の生活程度だったのです。
私もすっかり忘れていましたが、この写真を見て、当時の日本の酷い貧しさを思い出し、吃驚しています。
この同じ場所が50年経過して下の写真のように様変わりしてしまったのです。下の2枚の盆踊りの写真は昨年7月に自分で撮った写真です。
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あの泥濘の地面はすっかり舗装され子供たちは白足袋で踊っています。それぞれのグループは連(れん)と呼び、同じ着物です。練習を重ねているので踊りの所作が揃っていて、振り付けも面白いのです。
1964年の駅前広場の写真と50年後の写真を比較すれば人々の経済的事情が如何に大きく変化したか明瞭です。歴然としています。説明は要りません。
その代りここで強調したいことは人々の考え方が豊かになったことです。
駅前広場の交通を完全に遮断して、人間だけが踊り、それを見て楽しむということは心が豊かになった証拠です。
その上、各グループ(連)の作り方が千差万別で、衣装、踊りの所作や振り付けも皆違うのです。
以前の盆踊りは同じ町内の人だけで所作も毎年同じようなものでした。
盆踊りだけを見て人生観の多様化を指摘するのは軽率のようですが、盆踊りも多様化したことが価値観の多様化を示していると思います。感慨深い想いをします。
日本人の人生観が多様化した事実は転職が普通のことになったことでも分かります。結婚や葬式の形式もいろいろあるのです。世界の果てまで行って、住み着いて自分独特の人生を楽しんでいる日本人も多くなりました。
個人の自由と平等が文化としてしっかり根着いたのです。本当の意味での民主国家になったのです。幸せな国です。
しかしいまだに貧困にあえぎ、人権が無視されている国々があることを忘れるべきではありません。あるいは共産党一党独裁の国々があることを忘れるべきではありません。困ったものです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)