後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

梅雨時の山林の中の小屋は暗くてジメジメしています

2014年06月10日 | インポート

今から40年前の1974年に甲斐駒岳の東の麓に小さなコンクリート製の小屋を建てました。
敷地内を小川が流れていて、その湿気で木造の家なら10年で朽ち果てると大工さんに言われたので、コンクリート製の小屋にしました。
なるほど40年経過しても腐りません。40年前と同じ姿です。
昨日久しぶりに行ってみました。

梅雨の晴れ間でしたが、小屋のある山林のなかは昼でも暗く、その上ジメジメしています。この小屋が快適なのは秋と冬と春だけです。
梅雨から夏にかけてはあまりにも湿度が高くて人間の泊まれるような状態ではありません。それでも若い時はよく泊まったものです。高齢になると湿気に弱くなります。これも体力が弱った証拠です。
そんな暗い山林の中の小屋にまつわる写真をお送り致します。これが山小屋の現実なのです。困ったものです。
下の6枚の写真で示した様な悪条件な土地なので開発が進みません。40年前と同じような大自然が取り囲んでいます。猿や猪が遊びまわっています。時々はスラリとした鹿が跳ぶように走って行きます。兎に角、そのような自然が好きでなければ40年間も通えない所です。
皆様はこのような趣味をどのようにお思いでしょうか?
人はいろいろ、趣味もいろいろですね。
下の一番目の写真は、山林に入る前の平地の明るい雲の様子です。しかし山林に入ると厚い雲に覆われて夕方のように暗くなります。
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下の二番目の写真がその山林の中の暗い道です。
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下の三番目の写真は小屋に行く途中にある荒涼とした伐採地の風景です。車が小さく弱々しく見えています。
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下の四番目の写真は小屋に着いて電燈をつけて部屋の中を明るくして、やっとホットした部屋の写真です。
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下の五番目の写真は部屋の窓の下を流れる小川の様子です。梅雨時の朝夕にこの小川から霧が立ち登って来て家の中まで濡らすのです。全てのものにカビが生えます。 夜具やカーペットは夏まで東京 の自宅へ運んでおきます。
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下の 六番目の写真は南に向いた窓の外の様子です。小屋は大きな木々で覆われています。そして車がそばまで上がれることが非常に重要です。夜具や食料品を運ぶために車が必要なのです。
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外国人へ日本文化を簡単に説明する方法・・・少し準備しておくのも良い

2014年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム

外国でその土地の人々と雑談していると日本の文化とはどういうものですかと聞かれます。文化と言ってもいろいろな分野や側面があり、答えようがありません。

そこで文化の底にあるものは宗教ですねと言います。そして日本の神道や仏教の話を簡単にすることにしています。

欧米人は日本人より宗教に関心があるようで、仏教や神道のことを説明し始めるとすぐに膝を乗り出して、熱心に聞いてくれます。

そこで神道について彼らが納得出来るように整理してみました。

神道には論理的に構築された教理が無いとまず説明します。

人々は神社へ気楽にお参りし、いくばくかの賽銭を入れ、鈴を鳴らし、拍手を打ってお祈りする習慣があります。家族の健康と明日の幸せを祈るのです。

この祈りは万国共通ですから誰にでも理解出来ます。

神道には教理がないから神学的論争が起きません。

農村の民間神道では、神社を村人が守ります。神主が居ないので神社同士の勢力争が起きません。。

大きな神社と言えども、領主や大名との関係もあっさりしています。寄進は受けるが政治的権力は求めないのが普通です。

日本人にはこのように素晴らしい神道が、仏教が伝わるずっと昔から持っていたのです。

神道についてはこのように説明します。

一般的に、欧米人は日本人は全員、純粋な仏教徒のように考えていて神道を見落としていることが多いようです。

日本の仏教徒をより正確に言えば、神道の影響を受けた仏教徒と説明します。

そして仏教の話へと移ります。

欧米人の多くの人々は日本の文化は仏教文化と考えています。

ですから彼等は仏教の教理に興味があります。それを少し説明すると話が楽しくなるのです。

そこで般若心経の意味をかいつまんで説明します。色即是空、空即是色だけをいろいろな角度から説明します。

時間に余裕があったら般若心経の意味くらいは勉強してから外国に行ったほうが良いのです。

私は外国で日本の文化を説明するとき神道と仏教の話を簡略に説明することにしています。

私自身ははカトリックですが、日本人として仏教や神道の善い側面を沢山知っているつもりです。そしてそれを誇りに思っています。これが私の日本人としての誇りなのです。

クリスチャンは仏教や神道を馬鹿にしていると誤解している人が多いようです。それはあまりにも皮相的な見方です。

外国人に日本文化を説明するために、仏教や神道の善さを少し説明します。日本には神道と仏教があり、それが日本の文化の神髄なのですから。

下に参考資料として武蔵野の大国魂神社に関して説明をつけました。そして大国魂神社の写真を掲載いたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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「武蔵の国と、大国魂神社と、樹木と、武蔵国の国分寺の関係」

645年の大化の改新以後、国家統治がすすみ701年の大宝律令によって全国にくにぐにが出来た。その時出来たのが武蔵のくにで現在の横浜東部、川崎、東京、埼玉にまたがる。その国府は現在の府中市に置かれた。

国府の場所は長年の発掘調査により京王線、府中駅の南側から大国魂神社の東半分にかけて存在していたことが分かっている。大国魂神社の歴史は国府の置かれた時よりはるか昔から続いていたという。したがって国府の守護神社の役割もした。

この神社の欅並木は1051年からの前9年の役で源氏の頭領、八幡太郎義家が蝦夷の安部一族を平定した戦勝祝いに欅1000本を寄進した。これが現存する欅並木の始まりである。欅の木は老化し朽ちるので世々代々植え続けられて来た。

国分寺と国分尼寺は741年の聖武天皇の勅により全国に造られたもので、武蔵のくにの国分寺と尼寺は20年の歳月をかけて完成したと言われている。七重塔跡の礎石をふくめて数多くの礎石群は現在の国分寺市の西部に広がっている。(終わり)

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