後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

世界の花々(2)スウェーデンの花

2014年06月11日 | 写真

何故か若い時から北欧はロマンを感じていました。幸運にも1972年にストックホルムにある王立工科大学に招ばれ8月から11月にかけて4ケ月間程住んでいたことがあります。

北極圏にあるキルナという鉄鉱山のある町までレンタカーで旅をしたこともありました。スウェーデンには懐かしい思い出が沢山あります。

そんなことを思い出しながらスウェーデンの花の写真を探して、お送りいたします。

まずやっと冬が終わり一番先に咲き出すクロッカスの花です。

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写真の出典は、http://natsumegu.blog26.fc2.com/blog-category-6.htmlです。

次は藤色のライラックの花です。ピンク色のものもありますね。

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写真の出典は、http://square.umin.ac.jp/murata/diary_11_e.htmlです。

そして下は同じ出典で5月に咲く リンゴの花です。

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そして下はニワトコの花です。ニワトコジュースを作るそうです。味よりも、花の香りを楽しむ飲み物だそうです。

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上の写真の出典は、http://ninni.seesaa.net/article/20631001.htmlです。

次は夏の森に咲く花、Midsommarblomma(ミッドソンマル ブロンマ)です。夏至の花だそうです。

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写真の出典は、http://kaffe.exblog.jp/5668822です。

スウェーデンは緯度が高いので夏は白夜で太陽の光も弱々しい国です。8月に入ると草が茶色になり秋風が吹きます。

ですから花々の色も淋しげで、熱帯の花々とは違う魅力があります。

そして彼らは一年中サウナを楽しみます。お客のもてなしもサウナです。

スウェーデンの花を見ながらいろいろなことが思い出されます。

そして今日も流れ行く日々の一日になりました。(終わり)


梅雨の季節に咲く庭の花々です

2014年06月11日 | インポート

潮来から数年前に買ってきたアヤメが今年も咲きました。
写真は順番に、今年のアヤメ、オキザリス、カワラナデシコ、ヒメスイレン、そして「墨田の花火」という名のアジサイです。

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横山 美知彦著、「箱膳」と「子供の遊び」

2014年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム

横山美知彦さんは家内が戦争中に疎開した群馬の山里の下仁田町の小学校で同級生でした。時々、終戦前後の山里の思い出の記を送って下さいます。 なんとなく静かな味わいの深い小品なので皆様へもご紹介して来ました。 一昨日も下の2つの短い文章を送って下さいました。 

当時の日本の暮らしぶりが偲ばれるので皆様へもご紹介したいと思います。

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「箱  膳」 

 今、放映中のNHK.TVの朝ドラの「花子とアン」の実家の山梨の家での食事の場面で「箱膳」が出て来る。 

何とも懐かしいシーンだ。今は何処でも多分見ることは出来ないが、終戦前

後の私の祖父の家では「箱膳」の習慣が残っていて、朝食の時その風景を眼

にすることが出来た。

町内の私の家では、丸いちゃぶ台を家族が囲い食事をしていて、「箱膳」の

習慣はなかったが群馬の田舎ではまだ残っていた。

TVを見ていて、その場面に懐かしさを感じるとともに、日本の古き良き素

晴らしい文化にひと時浸ることが出来たことに懐かしさを感じた。箱膳内に

は各自の食器が入れられて、仕舞われており、めいめい出して来て三度三度

使う。

食事が終わると、ご飯茶碗にお湯やお茶を注ぎ、僅かに残した漬物で椀の中の残り物を箸で丁寧に洗い落とし、それを捨てることなく、他の椀や皿を綺麗に洗い、自分の所持している布で拭く。最後にそのお湯を何の抵抗もなく飲みほす。食器は自分の「箱膳」に優しくしまう、そして何事も無かった様に座を離れる。これが毎日の事であり、楽しみのひと時なのだ。

「箱膳」はんなに高級な物ではなく、近所の大工さんが作ったごく有り触れた物と推察する。

「箱膳」とは違うが、三年前に比叡山で、伝道師の修行で同じような経験をして来た。それぞれ膳が用意されており、係りの修行僧の見ている中での食事は誠に厳しいものだった。食器から音を出さぬよう、漬物は口の中で静かに噛み、音を出さぬよう指導された。これは難しい、いろいろ考え私は飲み込むことで何とか音を出さずに済ましたが、何処かで音がすると、係りの僧から怒号が放たれた。同僚もそれぞれ苦労した様だ。作法も、それぞれ器を手に取り、中の食べ物を口に運ぶ。次の物を口にするには必ず手に持った器を一旦膳に置き、別の器を手にして中の物を口にする。決してご飯茶碗に他の食べ物を入れ食べることはしない様指導された。

現代の食事風景とはかなり違う。合理性を考えると現代の方がとも思うが、あわてず、ゆっくり味わうには時間がかかっても、個々に口に入れる方が良い様に思う。

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「子供の遊び」 

 私の小学生の昭和245年頃は、家の裏の細い道を上ると一面が麦畑だっ

 た。その後、川の水を引く工事と石垣を積むことで水田となり、現在は中学の校舎や運動場に変わってしまって、昔の面影はない。

麦の穂が出そろい、夏が近づく頃は、畑一面が黄金色になり見事な小麦が刈

り入れを待つばかりになる。

この小麦で楽しいことが出来た。畑の隅の穂の何本かを手で扱いで両手で揉

と、小麦のふっくらした粒が残る。その粒を口いっぱいにほうばる。そし

て噛む。終戦後は地方でも食糧が自由にならず、子供達も口を動かすこと

は、三度の食事(それもひもじい)以外はなかった。初めはやや硬く抵抗が

あるが、小麦の粒がやがて噛み砕かれ、小麦の甘みが口いっぱいに広がる。

夢中に噛んでいる内に粘りが出て来る。これが「グルテン」(タンパク質の

 混合物)であり、うどんやパン作りに欠かせない物なのだ。

うどんを作る時、家庭では時間がないとやらないが、近所で収穫した小麦粉

と水、若干の塩を加えある程度固まったところで、茣蓙のたたんだ中に入れ

て、足で踏む。つまり小麦粉内のグルテンを押し出し、腰のあるうどんに仕

上げる為の作業なのだ。これは子供達が小麦の粒を丁寧に噛んで、最後に

残ったチューインガム状の物とほぼ同じなのだ。

このグルテンは、外国産の小麦には国内産ほどなく、外国産はうどんには向かない。パン類には何とか合う様だ。

今は何処でも小麦を作る農家が少なくなり、うどんもパンも外国産を使う様

になってしまった。国内産では少量で高く、採算が合わないのだ。

 自然の中の子供の遊びながら、半ば後ろめたさを感じながらの楽しみでは

あったが、今の子供たちは、こんな経験はないだろう。残念なことだ。

こどもの日を迎え幼き日の出来事を、ふと思い出した。(終わり)

下に箱膳と麦畑の写真をお送りします。

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写真の出典はhttp://mizuechan.seesaa.net/article/103042014.htmlです。

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この麦秋の風景は一昨日、山梨県北杜市武川町の柳沢で撮りました。


今年もモリアオガエルの卵塊を求めて森深く入りました

2014年06月11日 | 日記・エッセイ・コラム

モリアオガエルは本州と佐渡島にしか棲んでいない日本固有種で、深山にしか棲息しない珍しいカエルです。

森深い木の枝に卵塊を産みつけます。

その白い泡で出来た大きな塊の中にある数百の卵がやがてオタマジャクシになるのです。

そして下の水溜まりへ落下して小さな可愛いカエルになります。ですから卵塊を産み付ける木の枝は必ず沼や森林の中の水溜りの上に限られます。

オタマジャクシはまだ尻尾が付いている間に樹木の枝に這い上がり、一生、樹上生活をします。

飛び跳ねる力が強く一回に3メートル位を飛びます。ですから樹から樹へと、猿のように飛び回って、虫を食べて大きくなります。大きくなるとガマ蛙くらい大きくなります。手足に吸盤がついていて木の葉にしがみ付いて一生を終えるのです。

今年も森深く入ってモリアオガエルの樹上の卵塊の写真を撮りに行ってきました。と書くと本当に森の中をさまよったようですが、実は卵塊のあるところは毎年決まっているので簡単に写真が撮れます。

山奥に独り住んでいる木内正夫さんの山荘の敷地の木の枝に卵塊が毎年産み付けれるのです。

今年も生み付けられたと彼のブログ、http://sizen068.blog95.fc2.com/に書いてあります。

そこで一昨日行ってみました。下が今年のモリアオガエルの卵塊の写真です。

木内さんが数年前に作っておいた池の上の枝に下の写真のように2個の卵塊がありました。Img_8412

卵塊は空中高く産み付けます。上と下の卵塊は地上3m以上にありました。

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上の枝の直下には下の写真のような池があります。

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木内さんの山荘の東側の小川の周囲にも3つほど池が作ってあり、モリアオガエルの産卵を助けているのです。今年も5、6個の卵塊が産み付けられています。

ところでこの卵塊は水の流れている小川の上には絶対に産みません。オタマジャクシが流れてしまうと育たないようです。その上、地の広がる里には棲んでいません。

産み付けてから1週間ぐらいになるとオタマジャクシが下の池に落ち始めるようです。オタマジャクシになって数週間すると手足が出てきて木の上に登り始めます。樹上生活を3、4年すると親になり卵を産みにまた池や沼の上の枝に帰って来るのです。

さて育ったモリアオガエルは樹上に居て、緑色の保護色なのでめったに肉眼では見えません。そこで木内さんが自宅で、2009年に育てたモリアオガエルの写真を下に示します。

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飼育方法の詳細は、神秘的な生き物、モリアオガルと共に深い森の中に生きている人http://yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp に2012年6月12日掲載) にあります。

このカエルはめったに見ることが出来ない神秘的な生き物です。しかしかわいい不思議な生き物です。モリアオガエルは梅雨時の私の風物詩です。アジサイやアヤメとともに毎年、毎年楽しんでいます。

今日は皆様へモリアオガエルをご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申しあげます。

後藤和弘(藤山杜人)