これは長い日記の後半、本論部分です。お時間があれば、前頁の日記からお読みくださいますよう。
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集団的自衛権。今国会期末には間に合わなくても、早晩公明党が折れて閣議決定となると思っていた。けれど、この日記が間に合わなくなるほど早いとは。露骨すぎる。
6月24日の早朝のニュースが、それを伝えた。しかも、トップニュースは、ワールドカップでの日本予選敗退。
憲法の危機なのに、そんな呑気なことでどうする!だから皆が目覚めないのだ。
いや、わざと目覚めさせないよう、計算の上だろう。
米軍の日本駐留が憲法違反だと争われたのは、かの砂川事件。
東京都砂川町(現立川市)の米軍基地に反対して入り込んだデモ隊7人が逮捕された。一審の東京地裁では「米軍は戦力にあたり、憲法九条違反。」として無罪を言い渡した(裁判長の名をとって、伊達判決と呼ばれる)。検察側は高裁を飛ばして、最高裁に飛躍上告した。
最高裁は「米軍は外国の戦力であり憲法九条の範囲に入らない。安保条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見して明白に違憲無効と認められない限り、違憲かどうかの法的判断を下すことはできない。」と、一審判決を破棄、地裁に差し戻した。
この最高裁判決は、司法(裁判所)自らが、立法(国会)・行政(政府・官庁)の下にあると宣言したのと同じである。
三権分立はどこに行ったのか。
さらに驚くことに、4年前の外務省公開公文書と、アメリカ公文書館での資料検討で、当時の最高裁長官田中耕太郎が米駐日公使に15人の裁判官全員一致で一審を破棄差し戻すと、約束していたのだ。
判決の内容は、言い渡しの時まで外部に知られてならないとされている。裁判長自らアメリカ側に伝えていたことだけても大問題なのに、「条約について、裁判所は違憲かどうか判断できない」とは。
1959年、終戦からわずか14年。裁判所が持つ違憲立法審査権はどこに消えたのだろう。このとき、司法は『死んだ』と言われる。
こうしたことを現政権は巧みに利用し、アメリカの子分として武器を持って戦える国にしようとしている。
アメリカの歴史は、戦争の歴史と言ってもよい。そのことは、以前『アメリカ合衆国』という日記に書いた。
http://smcb.jp/_ps01?post_id=3129705&oid=28342..
安倍首相がわざわざ図示して見せた「日本人母子を救助している米戦艦が攻撃されたときに、護衛の日本戦艦が反撃する」などということはあり得ない。アメリカ軍による救助順位は①米国籍者、②米国永住権保持者、③イギリス国民、カナダ国民、④その他の国民と決められているのだから。それを重々知りながら、フリップを作った者は、どんな気持ちでいたのだろう。
また、米軍が攻撃されたとき、というのはどの時点を指すのだろう。例えばイラク戦争のように、米軍が先制攻撃をかけて反撃され、不利な状態に陥ったときも含まれるのか。
前の日記で触れた4月9日の体験というのは、横浜市日吉台にある、旧海軍司令部の跡地見学だった。補修中のため中に入れなかったが、戦争末期、敗色濃厚になったとき、戦艦の中にあった海軍司令部が、慶応大学の校舎を接収し、2キロに及ぶトンネルを掘って、移転した、その跡地である。物資が枯渇する中で40センチの厚さのコンクリートで造られ、昼間のように煌々と明かりがともされ、換気口の上には分厚い防空屋根が設けられていた。1945年4月7日、沈みゆく戦艦大和がそのさまを伝える無線を、壕の中で受信し続けたという。
洋上で戦えるものを失った海軍は、特攻隊を繰り出した。人間魚雷回天は知っていたが、それより粗末な、船体がベニヤ板でできた震洋、人間が海底を歩いて敵艦に近づき、長い棒の先に付けた爆弾をぶつけるという伏竜。
まるで狂気の世界。一旦戦争が始まれば、最後にはここまで追い詰められるのだ。
戦争とは、平時の無差別大量殺人と、自爆テロに等しい。
だが、国が戦争に続く道に大きく踏み出そうという今、私に何ができるだろうか。
私の知人は、「自分が殺されるとしても、人は殺さない。攻撃されても反撃しない。甘んじて受ける。」と言い切る。究極の平和主義である。
先の大戦について、以前私は、「庶民はただ手をこまねいて大きな流れを見ていた。流れはさらに勢いを増し、すべてを飲み込む巨大なうねりとなってしまった。庶民には責任がないのではない。『無作為の作為責任』がある。」と書いた。
その言葉が今、私自身に向けられている。
果たして、この流れに逆らって堰き止めるために、ほんのささやかでもよい、何らかの役割が果たせるのだろうか。(終わり)
下の写真は陸上自衛隊の戦車と航空自衛隊の戦闘機の写真です。出典は自衛隊の装備のHPです。これらの装備を見ると自衛隊は軍隊と呼んだほうが正しいようです。
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