後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

三浦しをん原作、「神去なあなあ日常」を映画化した「ウッドジョッブ」を見ました

2014年06月18日 | インポート

三浦しをん原作、「神去なあなあ日常」を映画化した「ウッドジョッブ」を立川シネマシティで見て来ました。家内が三浦しをんさんの「職業小説」が好きなのでお付き合いして来ました。

  内容は都会のか弱い青年が三重県の林業で鍛え上げられ、次第に生きる自信に目覚めるという話です。真面目な内容の映画です。
  感動で胸躍るような内容ではありません。ただし山奥の林業というものが丁寧に描いてあり、森林に興味のある方々は興味深く見ると思います。
  映画としては前作の「舟を編む」の方が面白かったです。
  下に
この映画の公式HPより写真と解説をつけておきます。
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http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id347864/  よりの抜粋です:

  『ウォーターボーイズ』など数々のヒット作を送り出してきた矢口史靖監督が、人気作家・三浦しをんのベストセラー小説「神去なあなあ日常」を映画化した青春ドラマ。あるきっかけで山奥の村で林業に従事することになった都会育ちの若者が、先輩の厳しい指導や危険と隣り合わせの過酷な林業の現場に悪戦苦闘しながら、村人たちや自然と触れ合い成長していく姿を描く。『ヒミズ』などの染谷将太をはじめ、長澤まさみ、伊藤英明、ベテラン柄本明らが共演する。
WOOD JOB!(ウッジョブ)~神去なあなあ日常~
あらすじ: 大学受験に失敗し高校卒業後の進路も決まっていない勇気(染谷将太)は、軽い気持ちで1年間の林業研修プログラムに参加することに。向かった先は、携帯電話が圏外になるほどの山奥のド田舎。粗野な先輩ヨキ(伊藤英明)のしごき、虫やヘビの出現、過酷な林業の現場に耐え切れず、逃げようとする勇気だったが……。
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イスラム圏の人々は何故、欧米人を嫌悪するか?・・・欧米人の傲慢と堕落

2014年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ攻撃は一つの歴史的転換をもたらしました。

それまでアメリカとその同盟国は、ソ連や中国の共産党勢力に敵対し厳しい冷戦を行なって来たのです。ところが1990年頃にソ連が崩壊して冷戦が終わりました。

これで世界が平和になると多くの人々は安堵しました。

しかし2001年の多発テロ攻撃でアメリカは過激なイスラム国を敵にしてアフガニスタン戦争とイラク戦争を実行したのです。欧米の敵は共産主義ではなくイスラム過激派に変わったのです。

現在、シリアやイラクで起きているシーア派とスンニ派の戦争はアメリカのイラク占領と、その後の撤収が引き起こした新たな戦争なのです。

この複雑な抗争の底流には常にイスラム教徒の欧米人への嫌悪感が流れていると考えるのが自然ではないかと思います。

何故イスラム教徒が欧米人を感情的に嫌悪したくなるのでしょうか?

一言で云えば欧米人は平気で酒を飲み、豚肉を食べ、女性は肌をあらわにしているからです。それらはイスラム教徒は絶対にしないことばかりなのです。

イスラム教徒の嫌がることを欧米人は平気で行うのです。傲慢に見えます。それは人間として堕落に見えます。

嫌悪したくなるのは当然ではないでしょうか?

イスラム教徒の暮らし方は私には絶対に真似は出来ませんが、倫理的に考えると彼らの生活ぶりは尊敬すべきと考えています。

イスラム過激派と戦争を始める前に欧米人はまずイスラム教徒の倫理性を尊敬すべきではないでしょうか?イスラム教が悪で、キリスト教が善だと考えたとしたら、それは大変間違った考えです。

少し公平に客観的に考える人なら上記のことは賛成してくれると思います。

しかしイスラム諸国では政治と宗教が合体しているのです。

世界中の国々が複雑な利害関係を平和的に調整して仲良く暮らして行くためには政治と宗教は分離したほうが良いと私は信じています。

宗教と政治の一体性がイスラムの教義ですが、その合体の強弱はもっと弱めるべきです。そして国際協調を大切すべきではないでしょうか。

例えばインドネシアやトルコはイスラム国家ですが日本との関係においてイスラム教が邪魔になったことは無いのです。インドネシアやトルコは常に親日的な国家です。

イラクでシーア派とスンニ派の戦争にアメリカがシーア派に加勢していますが、それで良いのでしょうか?

いろいろなことを考えさせる昨今の国際ニュースです。

今日の挿絵代わりの写真は昨日、水元公園で撮った花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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・・・参考資料:イスラム教徒の義務(http://www.geocities.jp/timeway/kougi-44.htmlより)
 ムスリム、つまりイスラム教徒にはどんな「おつとめ」があるのか。
「六信五行(ろくしんごぎょう)」という義務があります。

 「六信」とはムスリムが信じなければならない六つのことです。
 「神」「天使」「啓典」「預言者」「来世」「天命」。この六つ。
 「啓典」は、「コーラン」のこと。ユダヤ教やキリスト教の教えを引き継いでいますから、イスラムでも最後の審判はあって、人々は天国と地獄に振り分けられる。「来世」とはそういうことです。最後の「天命」というのは、どういうイメージなのか私はよくわかりません。

 「五行」は、ムスリムが行わなければならない五つのことです。
 「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」の五つ。

 「信仰告白」というのは、「アラーの他に神なし。ムハンマドはその使徒なり。」と唱えることです。声に出さなければダメですよ。この「信仰告白」というのは、次の「礼拝」と一緒におこなわれます。

 「礼拝」のシーンは資料集にもありますし、テレビでも見たことのある人は多いと思います。正式には一日五回、メッカの方向を向いておこなう。
 ムハンマドはイスラムの教義を作り上げていくときに礼拝の方向を決めました。はじめはイェルサレムに向かってとか、いろいろ試行錯誤するんですが、最終的にはメッカのカーバ神殿に向かって礼拝することにきめました。世界中のムスリムが礼拝の時間にはメッカのカーバ神殿に向かって拝むのです。

 このカーバ神殿というのは、ムハンマドが生まれるずっと前からメッカの町にあった神殿で、多くのアラブ人の信仰を集めていました。イスラム教の登場以前のアラブの宗教は多神教ですから、カーバ神殿にはたくさんの神さまの像が祀られていた。
 ところが630年、ムハンマドはメッカを占領したときに、これらの神々の像を全部破壊しました。イスラム教の特徴の一つに偶像崇拝の徹底的な否定というのがある。ユダヤ教でもキリスト教でも偶像崇拝は否定しているのですが、イスラム教はもっとも徹底して否定する。唯一の神以外の神像は、当然破壊するし、唯一神は偉大なものだからそれを人間が描くなんてもってのほかです。しかも、神像を拝むと言うことは神そのもの以外のものを拝むことになりますから、一神教の教義に反するのです。

 この絵はムハンマドがメッカ占領の時に、カーバ神殿からいろいろな神さまの像を引きずり出して破壊しているところです。多くの像が砕かれているでしょ。
 偶像を破壊しているこの男がムハンマドなんですが、顔がベールで隠されています。実際にムハンマドがベールを付けていたわけではないのですが、偉大な預言者を描いてしまうと、信者が思わず拝んでしまうかもしれません。これこそがイスラム教が否定する偶像崇拝ですから、そうならないように顔を隠して描いている。そのほかにも人間であっても重要なイスラム教の指導者は顔を隠して描くのが一般的です。