後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

世界の花々(3)ドイツの花

2014年06月12日 | 写真

ドイツの花と言っても特に特徴がないように見えます。オランダの花卉栽培農家が品種改良した園芸種を情熱的に窓枠に植えたり庭に植えています。

ドイツ人は花を飾ることに対して強い情熱を持っています。彼等は何事に対しても徹底的にするのです。お墓にもいつも色鮮やかな花々を飾っています。

ドイツ文化の長所でもあり怖さでもあります。

南ドイツに家族と共に住んでいました。子供は小学校とキンダーガルテンに通っていました。週末には近郊へのドライブを習慣にしていました。

冬の間一面雪に覆われていた地面が復活祭の頃一気に春の兆しを見せます。牧場地帯や麦畑の農村地帯を車で走っていると一面の菜の花に遭遇したり、黄色いレンギョウの茂みを見つけたりします。

そして5月になるとサクランボの花が青い空にピンクに輝いています。リンゴの花も咲いています。コクリコやバターカップも緑の野原に鮮やかな彩りを加えています。

牧歌的という言葉がありますが、ドイツの農村は教会の尖塔が遠方に見え、花々が咲いていて実に心のなごむところです。家々の出窓にゼラニュウムやペチュニアの鉢を飾っているのはスイスでもよく見られる光景です。下は南ドイツのアルプス地方の農家です。ここまで来るとスイス文化圏に入ります。

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写真の出典は、http://bon-voyage.cocolog-nifty.com/blog/cat4129186/ です。

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写真の出典は、http://plaza.rakuten.co.jp/prezzemolo/diary/200610050000/です。

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上のレンギョーの花の写真の出典は、http://www.puky.jp/season/season_8.htmlです。

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写真の出典は同じく、http://www.puky.jp/season/season_8.htmlです。

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上のリンゴの花の写真の出典は、http://orne.exblog.jp/i4/ です。

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ボーデンゼーにある島のチューリップ畑です。

出典は、http://www.wallpaperlink.com/bin/0703/03230.htmlです。


時代とともに大きく変化した日本人の考え方(1)外国に対する考え方の変化

2014年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム

人間の考え方は時代によって大きく変化するものです。後期高齢者になってみるとその変化の大きさに驚くことが多いものです。

そこで今日から「時代とともに大きく変化した日本人の考え方」という連載記事を書いて行きたいと思います。

第一回の今日は「外国に対する考え方の変化」についてです。

昭和11年生まれの私は終戦前後に教育を受けました。当然、日本と同盟国であったドイツを尊敬していました。それは敗戦後もしばらくは変わりませんでした。

早々と降参てしまったイタリアは腰抜け国として軽蔑していました。

そして戦勝国のアメリカやイギリスは尊敬すべき強い国と考えていたのです。

明治維新以来、多くの日本人は富国強兵に役に立つ国々、例えばイギリス、ドイツ、フランス、ロシアそしてアメリカだけを大切に考える傾向があったのです。

あとの国々、例えばスペイン、ポルトガル、東欧の国々、南米の国々は無視していたのです。はっきり言えば関心が無かったのです。日本人にとって学ぶべきものが無い国々として軽視していたのです。

ですから私は中学校から英語を学び、高校の1年からドイツ語も習いだしたのです。当時の理科系の必須外国語は英語とドイツ語だったのです。

この傾向は戦後の経済復興に役に立つ国々として引き継がれました。

アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどを尊敬し、それらの国から先進工業技術を導入し日本の工業を復興させたのです。導入といえば格好が良いのですが、現在の中国のように真似をして技術レベルを上げたのです。

ですから高度成長のころまでの多くの日本人の外国観は非常に狭い偏ったものでした。

文科系の人や芸術家になろうとする人はフランスやロシアの文学の勉強をしました。

それが1990年のバブル経済崩壊の前後頃から日本人の外国に対する考え方が非常に大きく変化したのです。

一言で言えば、「日本の発展に役に立つ国」という発想が消えてしまい、「自分探しに役に立つ国」という発想で外国を見るようになったのです。

国家が消えてしまい、個人の好みや生き方に合う国を好きになるのです。好きになり住み着いて、その国に人々のかけがいの無い友人になってしまうのです。

「すべての民族文化には絶対に優劣が無い」と言いますが、その言葉の正しさを証明している人生を送っているのです。

ですからこそ現在、世界のどの国にも日本人が住んでいるのです。幸せに住んでいるのです。

私は外国に対する考え方がこのように変化して非常に嬉しく思っています。

日本人の心が豊かになったのです。日本が個人の幸福を考えて人生を送れるような良い時代になったのです。嬉しいです。

今日の挿絵代わりの写真を下にお送りいたします。

そろそろ各地のあやめ園や菖蒲園の花が咲き出す頃になりましたので、今日は茨城県の潮来のあやめの写真をお送りいたします。

一面に咲いている「あやめ」。真ん中に立っていると花の彩りに体が染まり、その華麗さに酔ったような境地になります。そんな境地を皆様へも味わって頂きたいと思います。なお平仮名で書いた「あやめ」は カキツバタ、ショウブ、アヤメの総称です。 撮影は2008年6月17日でした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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