後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

製鉄は男のロマン(2)やっぱりヨーロッパ人は偉い!

2010年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム

科学や技術の世界へ入っていくとヨーロッパ人の偉さがしみじみと分かります。その賢さ、天才的なひらめきに唸ってしまうことが度々です。その実例の一つは製鉄法での「熱風炉」の発明です。溶鉱炉は古代中国人が発明しましたが熱風炉は産業革命期のイギリス人を中心にしたヨーロッパ人によって発明されたのです。強靭な鋼を溶解し、型に流して大きな鋼塊や鋼板にするには1600度以上の温度を作る必要があります。そこでヨーロッパ人は溶鉱炉へ吹きこむ空気をあらかじめ800度くらいに熱してから吹き込んだのです。このように空気を予備加熱するための炉を熱風炉と言います。

この熱風炉の発明で人間は初めて多量の鉄を容易に作ることが出来たのです。従って近代製鉄の鍵は熱風炉の発明になるのです。

熱風炉こそが中世の工業と近代工業を分ける分水嶺なのです。それは製鉄だけでなく高温を必要とするあらゆる工業分野で革命を起こしたのです。

下に溶鉱炉と熱風炉の図面を示します。この図面の13という番号の付いているのが2本の熱風炉です。その左に縦長の溶鉱炉の図があります。出典:Wikipedeaの「溶鉱炉」より。

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この図面の13という番号の熱風炉の内側の右半分には耐火レンガを格子状に積んであります。2本のうち1本の中へ溶鉱炉の炉頂から出る高温の排気ガスを導入し格子状のレンガを加熱し、蓄熱します。それが終わったら炉頂排気ガスを停め、空気をレンガの間に吹き込み、加熱します。加熱された空気を左の溶鉱炉の下のほうにある羽口から吹き込みます。この図では羽口は7番の番号がついています。熱風炉は2本以上、4本位ついています。1本を空気の加熱に使用している間は他の炉へは炉頂排気ガスを吹き込んでレンガ積みを加熱しています。順番に交互に使って空気の加熱温度がそんなに変動しないようにします。

炉頂からはベルトコンベアーで鉄鉱石とコークスを交互に入れます。鉄鉱石とコークスの層が交互に重なって、ゆっくり下の方へ降りて行きます。

コークスは加熱された空気で燃えて1600度以上の熱を発生しながら一酸化炭素になります。この一酸化炭素が酸化鉄と反応して鉄を作るのです。鉄の融点は1535度なので、溶けて炉底にたまります。その溶鉄を数時間おきに流し出し、製鋼工場へ運びます。鉄が液体として炉底に溜まり、流し出せるので大量の鉄が連続的に生産されるようになったのです。

1本の溶鉱炉が毎日生産する鉄の量は5000トン位にもなるのが普通です。

炉内で起きる一番重要な化学反応を示します。

Fe2O3 + 3CO = 2Fe + 3CO2

この化学反応式の意味はコークスが燃えて出来た一酸化炭素ガスCOが酸化鉄Fe2O3から酸素を奪い、鉄Feを作るという意味です。この化学反応の研究が何故面白いのかという事はいずれ説明いたします。

今回は熱風炉こそが溶鉄の多量、そして連続生産の鍵になっていることをご説明するだけにしておきます。

たたら製鉄を行って、素晴らしい日本刀を作ってきた日本人には最後まで熱風炉の発想が生まれなかったのです。くどいのですが、ヨーロッパ人の偉さがしみじみ分かります。(続く)


テレビ番組、「開運!なんでも鑑定団」の人気の秘密

2010年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム

1994年に始まり、視聴率も20%前後の高い値を続けている番組があります。「開運!なんでも鑑定団」という番組です。テレビ東京で一番の長寿番組だそうです。

さて何故そのように長い間、20%前後の視聴率を維持してきたのでしょうか?

少し注意深く観察し、考えてみるとその人気の秘密が分かります。

(1)種々の芸術分野の作品の魅力を素人にも分かり易く説明してくれます

この番組を見ると西洋画、日本画、中国の絵画の歴史とそれぞれの魅力が分かり易く説明してくれます。絵画だけではありません。焼物・工芸品までその範囲は実に広いのです。中にはギリシャや中近東の焼物も出て来ます。仏像はもちろんキリスト教の聖画も出て来ます。

私はこの番組をみてからペルシャの焼物にも興味が出てきました。近所にある「中近東センター」へもよく行くようになりました。古伊万里の美しさも理解出来るような気がします。私の「美の世界」が急に広がりました。

(2)コレクターと言われる人々の透徹した人生観に感動する

コインでも切手でも刀剣でも何でも種類を問いません。一つの物を一生かけて収集する。全てのことを犠牲にして蒐集する。蒐集している物に関する深い研究もする。

それを売り買いして儲けようとはしない。知識を学者のように誇って自慢する訳でも無い。兎に角、収集することがその人の人生なのです。真似は出来ませんがこのように透徹した人生観に感動するのです。勿論、売買して大いに儲けて居る人も出て来ますが、それは結果であって、目的では無かったと信じたいのですが。

(3)出演者の不運を見て同情しながら笑う内容構成

出演者が非常に高価なお宝と信じ、長年大切にして来た書画や焼物などが二束三文と鑑定される場面を過不足なく挿入しています。視聴者は宝物を持ってきた人の不運を笑い、そして可哀想と思い同情します。そして偽物を高く売りつけた人を憎みます。人間の家族愛や欲望が一瞬にして交叉する場面です。そこには他人の不運を笑って軽く済ませる以上のものがあるのです。人間というものを深く考えるヒントに満ちているのです。この番組の面白さの秘密の一つになっています。

(4)世に知られて居なかった芸術家を発掘し、広く紹介する

いわゆる権威者の評価や人々の人気とは離れて番組制作者の独自の考えで世に知られて居ない絵や焼物を発掘し、調査し、広く紹介するのです。毎週ではありませんが時々感動的な紹介があります。現在では非常に有名ななった田中一村画伯の奄美大島の熱帯植物の絵画などはこの番組が取上げたためと言われています。

(5)鑑定する人々の人間的魅力

例えば1000万円位すると信じ、大切にしていた油絵が5000円と判定される場合もあります。その時の担当した鑑定団に人の説明が人間的で良いもです。まずその絵が何故偽物か明快な証拠をあげて説明します。一瞬にして出品者が納得するような説明をするのです。当然出品者はガッカリし悲しみます。その時、鑑定団が慰めます。買った先祖は善い人なのです。子供や孫が困らないようにと無理をして買ったのです。そう言うと出品者も少し気を取り直して下がって行きます。

鑑定団の当意即妙な慰め方が人間味溢れていて善いのです。これもこの番組の人気の一つです。

市場価値が殆ど無い本物の絵を持ってきた人に言う台詞は決まっています。

「それは本物です。でもこういう理由で市場価値はありません。しかし良い絵ですから大切になさって下さい」。その実例の写真を下に示し、この長い文章の終りにします。文字通り、失礼いたしました。恐縮です。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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帆船の欠点を体験する試みをして来ました!

2010年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム

下の写真は伊達正宗が支倉常長を太平洋を横断させ、ローマへ派遣したとき用いた帆船を復元した船です。宮城県の石巻の東の方向30Km位の所に係留して公開しています。サンファン号と言います。このような帆船の欠点は向かい風の日には絶対に出港できないということです。昔なのでエンジンが付いて居ません。

今日は自分のクルーザーでエンジンを使わないで出港する実験をして来ました。結果は失敗でした。港の奥へ吹き寄せられ、岸壁と衝突しそうになりました。仕方なくエンジンを始動し、危機を脱しました。やっぱり帆船は完全な追い風の時しか出港してはいけないのです。

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003 もう少し正確に書きます。左のようにすぐに帆を出せるように準備します。風が右から左へ吹いていました。

係留ロープを解き、手の力で後の係留杭に繋がったロープを引きます。船はゆっくり係留杭の後ろの航路にでます。そこで前の帆を出して、船首を右へ向け、風上45度へ登ろうとしました。所が船が動いていないので舵が全然ききません。右からの風で、船は無情にも左の港の奥へ流されて行きます。それなら追い風にして港のおくへ向かって速度を上げて、舵を効せて反転しようとしました。所が航路の幅が30mくらいしかありません。そんな事を繰り返していたら次第に港の奥へ吹き寄せられ、終いには奥の岸壁に衝突しそうになりました。万事休すです。エンジンを始動し、危機を脱しました。エンジンさえ動いていれば実に易々と港の外へ出れました。今日は天気が良くて気持ちの良いセイリングをして帰ってきました。風は弱かったので危険な目には会いませんでした。


人につまづきイエス様が見えなくなる

2010年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム

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普通の人がキリスト教を少し本気で考えるときは、本を読んだり、信者の話を聞きます。身近に牧師さんや神父さんがいればお話が聴けます。ところが偶然話を聞いた人がとても尊敬できなような場合もあります。するとそんな信者や牧師が居るようではキリスト教は信用出来ないという結論になりがちです。

こういう場合は人につまづいてイエス様が見えなくなった状態です。どんな宗教でも同じようなことが起きます。自分の先祖代々の墓があるお寺の住職さんがお金に慾が強くてとても尊敬できない場合もあります。仏教が信用出来なくなります。このような状態を人につまづいてお釈迦様が見えなくなっている状態と言います。

教会でもお寺でもそこに居る聖職者や住職の人格に躓いて、その上に立っているイエス様やお釈迦様の教えまで信用しないとしたら大変な間違いを犯していることになります。しかし人間は感情の動物ですからそれも仕方がありません。と、書いている私も、こちらの意思の通じない信者や教会関係者に会うと一瞬、イエス様を疑いたくなります。私もしょっちゅう「人に躓いている」のです。そして私も人を躓かせています。

私が人に躓いたと感じた時は、次の瞬間、呪文のように唱えます;「人に躓くな。人に躓くな。イエス様を真っ直ぐ見よ」と。

ネットの上で知り合い、大変尊敬している人生の先輩が居ます。その方は昔はクリスチャンでしたがある事情で棄教しています。棄教していても私はこの方を今でも尊敬しています。彼が戦争中所属していたあるプロテスタント系の教会組織が大政翼賛会と協同して大東亜戦争を推進したのです。イエス様を拝むと同時に昭和天皇を拝むように信者へ強制したのです。組織を温存するためだったのです。

ところが敗戦後この教会組織のとった態度が酷すぎました。戦争に協力したのは間違いだったと謝罪しなかったのです。謝罪してももう組織は安全な時代になっていたにも関わらずでした。やっと謝罪したのは終戦後20年近く経過してからでした。

私が尊敬する先輩がキリスト教を棄教したのは当然です。彼の人間としての誠実さがその教団を許せなかったのです。分かります。ですからこそ現在でも私は彼を尊敬しています。

しかし私は彼が人に躓いているような感じを持っています。皆様はどのようにお考えでしょうか?ご意見を頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


魚好きの方々へ送る新鮮な魚たち・・・写真だけですがお楽しみ下さい

2010年11月23日 | 写真

種類が豊富。新鮮です。そんな魚たちが沢山並んでいます。角上魚類店の東久留米店です。時々行きます。今日は新鮮なタラとアン肝を買ってきました。

写真だけで恐縮ですが魚達をお楽しみ下さい。

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日本カトリック神学院のザビエル祭の風景

2010年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は練馬区の関町にある神学院で学園祭がありました。他の大学の学園祭と違う所は数百人の参加者による大きなミサから始まります。神学生の家族や、いろいろな教会からの信者が一堂に集まって捧げるミサです。全て初対面の人々ですが何故か昔からの知り合いのような気がします。思いがけず楽しいミサに参加出来て幸福感に包まれました。その後は普通の大学の学園祭と同じようにカレーやホットドックの店などがずらりと並んでいます。ヤキトリ、ヤキイモ、ポップコーン、もあります。建物に入ると教室には各神学生の作った展示物が並んでいます。神学校の歴史を説明した展示もあります。いつも小金井教会へ来て助けてくれているTG神学生の写真や略歴も貼ってありました。

学校は1万坪くらいでしょうか、建物がいかにもイエズス会の修道院風で風情があります。神学生の家族や知人、友人がみんな楽しそうにしています。

そんな風景の写真をお送りいたします。尚、一番下右の写真の真ん中に立っている神学生がTGさんです。その左の写真の白い神学制服を着た人はフィリッピンのある宣教会から派遣されたホセさんです。005 017_2 023 028 026


老齢になればなる程幸せになる方法(4)毎日、「立つ鳥あとを濁さず」という言葉を思い出す

2010年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

いきなりこんな書き出しで済みませんが、下の写真は人生のたそがれを暗示する風景のつもりで撮りました。山梨の韮崎の七里ケ岩の夕暮れです。私の現在の状況です。

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とても悲しいような風景でもありますが、私にとってはホッと感じる風景でもあります。

間もなく旅立ちます。その日に備えて毎日、「立つ鳥あとを濁さず」という言葉を思い出し、少しずつ旅立ちの準備をしています。

久しぶりに会った友人や知人へ感謝して、それとなくお別れの言葉を伝えます。途端に雰囲気が良くなります。曾遊の地へ旅したら、その山川へ感謝してお別れの言葉をつぶやく。旅が一段と楽しくなります。勿論、妻や家族、親類には機会ある折に感謝の意を伝える。しかし、「又生まれ変わったらもう一度結婚しよう」などと歯の浮くようなことは言わない。まあ、本当は、妻が断るといけないのでその台詞を言わないのですが。

それはそれとして、周りの人々、終の棲家、山林の中の小屋、霞ヶ浦のヨットなどなどへ感謝して、次第に別れる準備をします。

ここで重要な事は心の準備だけではいけないのです。家の中、小屋の中、ヨットの中を徹底的に整理整頓して、キチンとして置くのです。人間関係もl整理整頓します。迷惑をかけた人には謝ります。そうです。立つ鳥跡を濁さずです。

この言葉は若い頃は引越しの度に思いだして実行していました。転任や転勤の度に行なって来ました。しかし人生の最後になって見るとそれはもっともっと深い意味がある事に気がつきました。老境を軽やかにし、幸多い日々にしてくれるのです。その心がけと、少しばかりの実行によって遊び事が一層楽しくなるのです。遊びながら整理整頓をするのです。

いかがでしょうか?皆さまのご意見を頂ければ嬉しくおもいます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。

藤山杜人


「マイナスイオン」という言葉を使う人々の軽率さ

2010年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム

これは私の個人的な感じ方の問題です。非科学的な言葉を平気で使っている人々の声を聞くとイライラします。何故かそのような人々がとても軽率に感じるのです。

その一例が「マイナスイオン」です。深山幽谷の滝のそばに行くと空気中にマイナスイオンが一杯あって健康に良いですという具合に使います。

化学を少しでも習った人なら無機化合物が水の中に解ければプラスに帯電したカチオンとマイナスに帯電したアニオンに電離すると知っています。しかし空気中には中性の分子しか存在出来ないのです。

例えば食塩のNaCl が水に溶ければ、NaプラスイオンとClマイナスイオンに電離します。この場合の鉄則はマイナスイオンとプラスイオンの数が厳密に同じ数しか存在しません。これを電気的中性の原理と言います。

さて食塩水を沸騰させれば水の分子 H2Oという中性の分子が蒸気になって飛び出すだけです。NaClは残って濃縮するのです。更に加熱を続けて摂氏450度くらいになるとNaClの融解し、蒸発し始めます。このときは単独のイオンではなく、あくまでも中性のNaCl分子が空気中に漂うのです。

同じように硫酸銅のCuSO4 は水の中ではCu カチオンとSO4アニオンに電離します。しかし水を蒸発し、更にCuSO4 が融解する高温まで加熱すると、中性のCuSO4 分子が空気中に漂うのです。

ですから自然の空気中にはプラスイオンもマイナスイオンを存在できないのです。

こういうオーソドックスな科学の原理を無視した用語を平気で使う人々が軽率に見えるのです。ところが世の中には科学の原理を一切無視する人々も多いのも事実です。ですから「マイナスイオン」という言葉が流行するのです。

下の写真のようなところへ行って「マイナスイオン」が沢山あると言う人を正直嫌悪します。しかし、イオンなどどいう科学用語を使わずに、此処はパワースポットだと言うなら私は微笑して受け入れます。パワースポットは迷信であり、信仰上の用語だから良いのです。私の専門分野だった化学の厳密な用語を間違って使っているから困惑するのです。科学と宗教の境界を明確にする。それこそが欧米文化の真髄なのです。勿論、空気中にもアニオンがあると主張した欧米人もいました。何処の国にも例外が存在します。その例外だけを持ち込むのは正しい文化輸入ではないと思います。

皆様は、マイナスイオンという言葉がお好きでしょうか?お好きでも結構です。別に反対はしません。しかしこの際、学校の理科で習った水溶液中での電離現象の部分を是非思い出して下さい。

つまらい個人的な言葉の好き嫌いを書いてしまいました。ご勘弁下さい。(終わり)

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製鉄は男のロマン(1)溶鉱炉で学生実習をする

2010年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム

私の専門分野は鐡冶金学という工学の一分野です。鉄鉱石を予備処理して溶鉱炉で銑鉄を作り、転炉で鋼にする一連の過程で起きる化学反応を研究することが鐡冶金学という学問です。

今まで、ブログでは自分の専門分野の事を書きませんでした。世の中の人々の職業はさまざまで、工業分野も広いので一般的な価値が無いと思っていました。それでこの話題は避けていました。

しかしこの分野を一つの例として工業全般のことが理解できるように書けば有意義な内容になると思い直しました。お読みになる方も工業とはどういうものなのか?そして先進工業国が富んだ国になったのは何故か?という問題意識を持って頂ければこれから書く製鉄業の事にご興味を感じて頂けると思います。

「鐡は国家なり」という言葉があります。明治維新から1974年頃まで日本人が何度も、何度も唱えて製鉄業の拡大に努力して来たのです。1974年に1年間の粗鋼生産量が1億5千万トンの最大になります。そしてそれ以来、横ばい状態になりました。もう誰も、「鉄は国家なり」とは言わなくなりました。国を富ます工業分野が変わって来たのです。そのような工業の変遷も含めて先端技術や先進工業というものについても連載記事として書いて行きたいと思います。

昔の事ですが、私が仙台の鐡冶金学講座を卒業したのは1958年でした。当時の工学部の学生は全ての学科で工場実習が必修科目でした。4年生の夏に4週間工場実習をします。私は1957年の夏に日本鋼管の川崎、扇町にあった溶鉱炉で汗を流しました。そこで溶鉱炉を動かして銑鉄を作る作業とはどういうものなのか少し理解したのです。製鉄業に限らず、どのような分野でも工場である製品を大量生産するときの品質管理の重要性も少し理解しました。

当時の工学部の学生の専門教育はかなり徹底していました。そんな事も書いて行きたいと思います。

今日は導入文なのでこれで終りにいたします。下に日新製鋼という会社の溶鉱炉の写真を示します。(続く)

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鐡が世界を制する時代は過去のものか?・・・この中国の生産量を見よ!

2010年11月22日 | うんちく・小ネタ

中国は昨年、5億7千万トンの鉄を生産しました。日本は一億トン以下です。中国の毎年の増加の様子をみると、「中国脅威論」もうなずけますね。下の図をジイッとご覧下さい。

図面が鮮明でないので、出典の、http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5500.html の図面を是非ご覧下さい。

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天気の悪い日はゴッホの絵を見て元気を出す

2010年11月22日 | インポート

今日は朝から天気が悪くて雨が降りそうな暗い雲が空を覆っています。低気圧のせいか気分が良くありません。全国的に天気が悪いようです。

こんな時はゴッホの絵を見ると元気が出てきます。

しかし絵から受ける印象は人様々です。ゴッホの絵を見ると家内のように悲しい気分になる人もいます。しかし絵を描き続けたゴッホのエネルギーを想像すると元気が湧いてきます。

今日も皆様がご元気に過されますようにお祈り申し上げます。藤山杜人

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これら3枚の絵の出典のURLは、http://wp1.fuchu.jp/~zenshoji/danna_g3.htm です。

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この4枚の出典は、http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ykawa/3nen2000/groupe-g_jp.htm からです。


戦没画学生の絵画(4)興梠 武さんの「編物をする婦人」

2010年11月21日 | インポート

東京美術学校卒。昭和20年8月8日ルソン島、ルソド山にて戦死。享年28歳。

この絵は一番下の妹の絵。絵を描いて出征し、妹は間もなく病気で死にます。その報告を戦場で受け取った興梠 武さんは半狂乱になったそうです。

間もなく天国で二人は会って、静かに見つめあって暮らしていると信じています。ご冥福をお祈りいたします。

絵と文章の内容の出典は以下の通りですNHKきんきメディアプラン発行、「無言館 遺された絵画」2005年版、46ぺージです。

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まったくバカバカしい記事でご免なさい!

2010年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム

ブログで子供自慢や孫自慢をしている記事を時々見ます。内容に何も社会性が無く、まったく個人的な興味だけで書いた記事です。そんな記事だけは書くまいと今まで頑張ってきましたが、今日は書くことにしました。

私には中学2年生と小学3年生の男の孫が3人います。小学生3年生の孫は2卵性の双子で見かけも性格もまったく違います。この3人の孫は小学校1年生から野球のチームに入って、厳しい監督やコーチのお陰で野球が驚くほど上手くなりました。上の孫も中学の野球のチームに入っています。下の2人はピッチャーとキャッチャーをしています。今日は下の2人の孫のチームが他の小学校のチームと試合をします。家内と見に行き、写真を撮ってきました。家に来れば幼い遊びばかりで仕方の無い連中と思っていましたが、今日はなかなか凛々しく、敏捷にプレイを続けています。とにかく野球になっているのです。白髪の監督や中年のコーチが4、5人ついて本気で野球を教えているのです。監督やコーチを信頼し、尊敬している様子を見て久しぶりに感動しました。あんな幼い子供たちでも立派に見えます。

下の大きな写真が孫2人がバッテリーを組んでいる様子です。

まったくバカバカしい孫自慢の記事でご免なさい!

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カトリック神学院の学園祭・ザビエル祭のご案内です

2010年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム

私共の教会へカトリック神学院のTGさんという神学生がミサのお手伝いに来て下さっています。日曜日の説教を時々なさいますが、奥深い内容の話を分かり易く説明してくれます。お若いのに信仰の手本として尊敬を集めています。その彼今日のミサの後で、「11月23日の祝日に午前10時からカトリック神学院の学園祭・ザビエル祭が開催されるので是非お出で下さい」と言ってました。カトリック神学院は福岡と東京の2ケ所にキャンパスがありますが、23日の学園祭では両方の神学生が全員揃うそうです。一般の方々も大歓迎のようなので是非ご参加下さい。

神学校というものの雰囲気をご覧になると、ヨーロッパの文学作品の理解が深まります。そういう意味でも興味深い催し物と信じています。場所は以下の記事に神学院のHPのURLがありますので、そこでお調べ下さい。

尚、この神学校の訪問記は今年の6月24日に掲載しています。以下に再録しますので、合わせてご覧頂くと一層お楽しみ頂けると思います。

非常に開放的なカトリックの神学校

西洋の文学にはしばしば神学校のことが出てきます。それで昔から神学校というものに興味を持っていました。老境になり暇が出来たので、昔から疑問に思っていたことを調べたり、訪問したりして死ぬ前に納得するようにしています。昨日は練馬区の関町にある神学校を訪問しました。正式には、日本カトリック神学院という名前です。その詳細は、http://www.tokyo.catholic.jp/text/welcome/shingakuin.htm に丁寧な説明があります。

そこで、学校の歴史や運営方法、そして神学生の募集の方法などは上のHPへゆずり、訪問したときに撮影した写真を掲載し、個人的な感想だけを記述したいと思います。

ひどく感心したことに、この学校は非常に開放的なのです。構内のあちこちを隈なく案内してくれて、写真撮影をさせてくれました。お世話になった方は事務室の山下充志郎さんでした。訪問する直前に神学校へ電話をしましたところ、山下さんが歓迎の様子で、お時間のある神父様にもお会い出来るようにして置きますと言ってくれました。

応接間へ案内してくれ、間もなく副院長の松浦信行神父様が現れ、いろいろなお話をして下さいました。神学生は高校卒業以上でカトリックの洗礼を受けた未婚の男性で一生を神へ捧げる決心をしている人という事でした。哲学を2年間学び、その後の3、4年間は神学を学ぶそうです。学院の目的は全国各地のカトリック教会で主任司祭になる神父さんを育てることです。高学年になると実際の訓練をする為に各地のカトリック教会へ派遣され日曜日のミサの助祭を務めたり日曜学校の運営にあたります。

一生独身を通し、主任司祭として教会の信仰を指導し、面倒な管理運営も担当しなければなりません。信仰と指導と、教会の管理を行うプロフェッショナルなのです。西洋文化圏における「プロ教育」のエッセンスを集めたような素晴らしい学校のように感じました。

実はここからが本当に書きたいことなのですが・・・小金井教会に最近、この神学校からTさんという神学生がミサの助祭として毎週来てくれています。ミサの間、祭壇の上でいろいろな仕事をしているTさんの挙動に過不足がないのです。説教も時々しますが、若者らしいすがすがしい内容で感銘深いのです。若いのによくぞ司祭になる決心をしたと感心しています。そこで神学校を訪問して、何故、司祭になる決心をしたか聞いてみようと思いました。インタビューを申し込みましたが忙しいらしくてまだ返事を貰って居ません。しかしよく考えてみると神学生に個人的なインタビューをすることは穏当でないようにも思えたのです。そこで神学校の施設だけでも写真に撮ってブログでご紹介することにしたのです。

最後に今回の訪問でお世話になった副院長の松浦信行神父様と山下充志郎さんへ感謝の意を表します。

掲載した写真は神学校の御御堂、中庭、教室、廊下、図書室などの様子です。

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狭き門より入れ、滅びにいたる門は広い、、、、

2010年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム

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今日は日曜日。教会のミサへ行く日です。そこでキリスト教のことを少しだけ書きます。

「狭き門より入れ!」という言葉はご存知と思います。これは、ご承知のようにマタイ福音書7章13節の次の言葉に由来します:「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広い。これより入る者は多し。」

11月18日にこのブログで、老齢になればなる程幸せになる方法(2)神様と気楽に付き合う方法を身に付けるという記事を書きました。

そしてキリスト教に限らず、神道でも仏教でも気楽にお付き合いすると幸せになると書きました。この文章の真意は全て宗教を狂信的に信じると他人の迷惑になるので注意して下さいということです。

しかしどんな宗教でも厳しい半面を必ず持っています。しかしその厳しさだけを主張するのもいけません。それで先日の様な記事を掲載しました。でもそれは片手落ちというものです。早速、高橋さんという方から以下のようなコメントを頂きました。

・・・・・・・・・・高橋さんから頂いたコメント・・・・・・・・・・・・・

5年前受洗したプロテスタントの信者です。米国系列の教会に通っています。日本のキリスト教徒は少数精鋭であり、残るべき選ばれた信者がキリスト教を続けていると感じます。

私はいろいろ考えた末、献金・奉仕に寛大な米国系列の外国人対象の教会を選びました。

宗教は、気軽にできない厳しい側面もあると思います。献金や礼拝などです。
私にとっては、宗教はとても気軽には考えられない大変厳しい訓練でした。今でも時々いやになる事もあります。こんなに大変なものを他人には勧められないと思ってしまいます。

元々頭でかっちで、宗教とは程遠い自己中心で身勝手な生活をしていました。

自分の仕事の都合上、キリスト教が必要な部分があり、打算もあって近づきました。最初は教えに衝撃を受け幻滅しましたが、数年後神の愛に気づき、素晴らしさも感じられるようになり現在は喜びを感じています。

宗教により、多大な事を学ばせてもらいました。仕事や日本社会では出会わなかったような、人生の深さ・人間の愚かさ・自分の変革を体験しました。死ぬ直前まで、神の定めたレースを走っていこうと思っています。

・・・・・・・・・・・終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

高橋さんの上の文章へ付け加えることは何も有りません。正しい信仰生活とはこのようなものです。素晴らしい生活をなさってる高橋さんへ神様の慈しみが必ずあると思います。

今日は皆様が宗教というものへ深い関心を持って下さることをお祈り申し上げます。藤山杜人