後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

冬の神代植物公園の風景写真をお楽しみ下さい

2010年12月21日 | 写真

今日は朝から曇りです。寒い冬の日で、気温は6度でした。家内と神代植物公園を散策して来ました。東京の西郊にある深大寺の西側にある広大な植物園です。あまり広いので西半分にある温室、バラ園、池の周辺だけを歩いて帰ってきました。

バラ園を囲む樹木の高い梢が寒さに震えているようでした。長居はせずに1時間だけ歩きまわりました。空気が新鮮です。風景写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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仏教の常識(3)お釈迦様の教え・・・色即是空・空即是色

2010年12月21日 | 日記・エッセイ・コラム

非常に恥ずかしいことですが、私はお経の意味を知らずに子供のころから30歳頃までお経を唱えていました。35歳の頃、カトリックの洗礼を受けてから本気で福音書を読みました。それで気が付いたのですが、仏教にも福音書がある筈だということです。少し調べたらお経が福音書に相当することが解りました。しかしお経は沢山あってとても読み切れません。一番よく読まれるお経を一つだけ取り上げて勉強しました。それは般若心経でした。玄奘三蔵法師がインドから持ち帰り、唐の都で当時の漢文へ翻訳したものです。漢文なので意味が解る筈ですが、チンプンカンプンです。そこで、薬師寺の先代の管長の高田高胤師の般若心経の解説の本を買って、何回も読みました。お釈迦様の教えのエッセンスを観音さまが弟子の舎利子(シャーリプトラ)へ会話をしながら教えているという構成です。とても短いお経です。

その本のお陰で、お釈迦様の教えを一言で説明出来るようになりました。色即是空・空即是色がその説明です。色とは人間も含めて自然界の全ての物の意味です。その全てが空です。それが色即是空の意味です。それで終っていれば、ああ、そうですかと理解します。しかしその後に、空即是色という言葉が続きます。空なるものこそ自然界全てのものの本質なのですという事を教えています。何故か、非常に力強いメッセージと感じ体が震えた事を覚えています。これこそがお釈迦様の教えです。これを頭脳と、心と、体で体得出来れば貴方は幸福になれるのです。まさしく福音書です。

ところが、この八文字の意味が謎々のようで論理的には理解出来ません。高田高胤師の本を何度も読みました。何度も読むと少し解ったような気分になるのです。そうです。どんな宗教でも修業を重ねると理解が深まり、信仰が篤くなるのです。

どのような修業をすれば理解しやすいかという方法論は人によって違います。座禅を重ねてお寺の作業を黙々とすれば色即是空・空即是色の意味が体得出来ると考えたのが道元さんです。曹洞宗です。ですから座禅を大切にする曹洞宗や臨済宗や黄壁宗をまとめて禅宗と言います。禅宗では正しい修業を重視します。机の上での勉強だけで悟りの境地へ行くことは否定します。

カトリックの洗礼を受けてから宗教では訓練が非常に重要な事が理解出来ました。スポーツと同じです。正しいコーチについて適切な訓練を繰り返すことが重要なのです。

どのような訓練が良いかという考えの違いによっていろいろな宗派が出来るのです。しかし一番重要なのはイエス様の教えたことです。お釈迦様の教えたことです。道元や親鸞がどんなに偉くてもお釈迦様の一介の弟子なのです。

般若心経の意味を説明したHPやブログをいろいろ見ました。一つだけご紹介いたします。http://homepage3.nifty.com/yoshihito/okyou.htm を是非ご覧下さい。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。シルベスター藤山杜人


年賀状を書きながら古里を懐かしく思う

2010年12月20日 | 日記・エッセイ・コラム

先程、年賀状168枚をポストへ入れて来ました。お世話になった恩師、知人の事は終生忘れられません。仕事の上で助けてくれた幾つもの大学の先生方へも厚い感謝の気持ちをお送りしました。幼少のころから世話になった親類の人々へもお礼の言葉を送りました。大学時代の30人ほどの同級生へも又会いましょうと書き送りました。毎年少しずつ旅立ってしまう人がいます。悲しみがまた湧いて来ます。

それと共に特に懐かしく、そして鮮明に思い出すのは故郷の小学校や中学校の友人達です。仙台の向山や八木山、そしてそれに続く青葉城は子供の頃の遊び場でした。中学校を卒業以来、茫々60年、一度も会ったことの無い友人へ今年も年賀状を送りました。少年の頃の白い顔が私の心に焼きついています。懐かしい顔です。懐かしさのあまりこの10月に久しぶりに仙台に行って、御霊屋橋から瑞鳳殿のある経ケ峯へ登り、その下の一銭橋を評定河原へ渡り、青葉城へ登ったおりの写真を見入っています。旧懐の情が胸に溢れます。

下の写真は、御霊屋下から評定河原へ渡る一銭橋から広瀬川の上流方向を見た写真です。右手の小高い山が青葉城で、左手の尾根が八木山です。白いアパートは公務員住宅です。そこには戦前、市立動物園がありました。戦前に何度も行きました。

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下の写真は青葉城の本丸跡です。伊達正宗の騎馬像が立っています。その向こうに市街地が白く広がっています。ここには何十回来たことでしょう。

左の地平線に5つの山が小さく写っています。仙台から見える「七ツ森」という7つの山の5つが写っています。右の地平線のはるか向こうに仙台湾の海が見える日があります。空気の乾いた冬の晴れの日に見えるのです。

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青葉城から見た街々の写真が下にあります。仙台もビルが沢山建って近代都市になりました。しかし私の少年の頃は戦災の後で、荒れた貧弱な町でした。あの寂しげな町がこんなに綺麗になったのです。感慨無量です。

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下の写真も青葉城から伊達正宗のお墓のある経ケ峯を撮った写真です。右手が八木山で、経ケ峯の左下が御霊屋下という町です。御霊屋下という町には小学校の同級生が幾人も住んでいました。皆ちりぢりになって何処かに行ってしまいました。仲良しだったM君は中学校を出るとすぐに一番町の眼鏡屋さんで働き出しました。色の白い大人しい少年でしたが、このまま日本に居ても仕方が無いのでブラジルへ移民すると言って消えてしまいました。母一人、子一人の家庭でした。その彼の住んで居た家の前も散歩しました。昔の古い家家が消えてしまい、新しい小奇麗な家が建っているだけでした。今頃、M君はどうしているのでしょう。

年賀状を書いていたら、M君や当時の遊び仲間のことをまた思い出しました。毎年、年賀状を書くと何故か淋しくなります。この世の儚さが胸に沁みます。

一別以来何十年も会わない人々へ賀状を書くことは嬉しいことでもあり、寂しいことでもあるのです。このブログを読んでくれている当時の遊び仲間が一人だけ居ます。時々コメントを下さる「もえじい」さんです。この記事も読んで下さることを祈っています。

皆様もきっと同じような感慨を持ちながら今年も年賀状を書いていらっしゃることと思います。年が静かに暮れてゆきます。来年も良い年になるように祈ります。

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もののあはれ・・・もう一つの日本人の基調低音

2010年12月20日 | 日記・エッセイ・コラム

私は昔、アメリカ人とよく一緒にビールを飲みました。いろいろな話題で討論しました。兎に角彼等は討論が好きなのです。そして討論の中に彼等の本音が出て来ますのでアメリカ文化の奥底が見えるようで面白いのです。

そんな折、彼等にいくら丁寧に説明しても理解して貰えない感じ方がありました。「もののあはれ」を感じる事です。それを感じると、天然自然の妙に感動し、生きて居る草花や虫や動物を大切にし、自分も感謝しつつ毎日を静かに生きるのです。

「もののあはれ」を検索すると以下のように出ています。

「折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や哀愁。日常からかけ離れた物事(=もの)に出会った時に生ずる、心の底から「ああ(=あはれ)」と思う何とも言いがたい感情。」

これを英語にしてアメリカ人へ理解するように説明出来るでしょうか?

このような感じ方は日本人固有の基調低音の一つと思います。

話は飛びますが、この「もののあはれ」を背負って写真を撮り、命に感謝する文章をあれこれ書いたブログがあります。

ちひろさんのブログhttp://blog.goo.ne.jp/hanafubuki33です。12月19日の「孤悲」という記事をご覧下さい。(下にその文章に添えられている写真を示します)

自然の景観に触発されて、しみじみとした文章を書きます。哀愁が漂った文章ですが、生きることへの感謝が書き込んであります。生きる喜びと勇気を感じます。

とても日本的なブログです。政治も社会問題も藝術も話題にしません。ただひたすらに「もののあはれ」を感じさせる草花、昆虫、鳥、紅葉、お寺のたたずまい、琵琶湖の水面の揺らぎ、風の動きを写真に撮ろうとしています。

それはそれとして、貴方は「もののあはれ」をお感じになることがあるでしょうか?

それを日本人の心の底に住み着いた「基調低音」の一つと私は思っています。

今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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帰りなんいざ。田園まさに蕪(あ)れなんとするに・・・日本人の基調低音です

2010年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム

世界中、どの民族にも隠れた基調低音、英語で言えば、「コア・メンタリテート」というものがあります。その民族特有の心の底に棲みついた考え方や感じ方です。年齢層や時代によって変わるようで、実は変わらないのです。その一つに、陶淵明の詩の冒頭の句があります。

戦後生まれの日本人も心では田舎暮らしにあこがれています。実際に田舎暮らしはしませんが想像して楽しんでいます。

陶淵明の詩の冒頭です。「帰りなんいざ。田園まさに蕪れなんとするに、なんぞ帰らざる・・・」そう言われても、帰る訳にはいきません。それが我々の実情です。その妥協として私は山梨の甲斐駒岳の麓に山小屋を建て足繁く通って来ました。その故に陶淵明の切ない気持がヒシヒシと分かるような気がします。

陶淵明は実際に田舎に帰って、嘆いています。「行く者、津を問う者無し」と。そうです山小屋へ行くと訪ねてくる人は居ません。人間との縁が切れるのです。

その山小屋で何度も考えた日本人の心に棲みついている基調低音についてその幾つかを書いて見たいと思います。続きは明日、書くつもりです。今夜は導入部だけで失礼致します。

おやすみなさい。


クリスマス、教会は信者でない人々も大歓迎です

2010年12月19日 | うんちく・小ネタ

今日はアドベントの4本のローソクの最後の一本へ火を灯しました。クリスマスの前の最後の日曜日です。

24日の夜は、キリスト教の教会は宗派に関係なく人々が礼拝やミサのお出でになるのを歓迎いたします。子供連れの方々のために夕方の早い時間に礼拝式やミサがあり、その後、午後7時と9時にも同じような礼拝式やミサがあります。25日の午前中もあります。

教会によって時間が違いますので確認してお出かけ下さい。「聖しこの夜・・・」や「もろびとこぞりて・・・」などの歌をご一緒に歌い、楽しいひと時をお過ごしください。

ハウステンボスのクリスマスツリーの写真をお送りいたします。出典はWikipedeaの「ツリスマスツリー」の項目です。

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高尾山の裏山の冬

2010年12月19日 | 写真

東京の西のはずれの高尾山はミシュランに関連して話題になり、急に人が増えました。ケーブルカーやリフトのある表の登山道は雑踏の賑わいです。しかし高尾山の裏側は人影まばらの寂しい冬の山です。新鮮な空気が静かに流れているだけです。いつも裏の日影沢に車を入れて、山の中腹まで登ります。車の駐車場が林のあちこちにあって気楽に散策できます。昨日撮った冬山の写真をお送りします。山稜につらなる雑木林の梢が青空に透けていて冬らしい景観を作っています。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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仏教の常識(2)ルターの宗教改革と13世紀の佛教改革

2010年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム

マルチン・ルターが1519年、ローマ法王へカトリックの腐敗や堕落を訴えたのが「宗教改革」の始まりでした。日本人なら全員が学校で習って、暗記しています。ところが仏教の一大改革が鎌倉時代に起きたことは習いません。戦後の日教組が宗教教育に反対し、仏教や神道を学校で教えなかったからです。私はこのような不公平な欧米崇拝の風潮に大きな怒りを感じています。全ては比較しながら、平等な立場で考えるこのと重要性を学校では教えません。

それ故に、自分で考えることが一層重要になります。西洋に「宗教改革」があったなら日本にもあった筈だと私は考えました。この仮定を調べて見ました。

やっぱり鎌倉時代に「宗教改革」があり多くの宗派が出来あがったのです。佛教の常識(1)では下記のように全国のお寺の数を示しました。

浄土真宗系・・・21487
曹洞宗系・・・14680
真言宗系・・・12701
浄土宗系・・・8336
日蓮宗系・・・7466
臨済宗系・・・5758
天台宗系・・・4257
黄檗宗・・・462
時宗・・・411
融通念仏宗・・・358
奈良仏教系

このうち、浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)、臨済宗(栄西)、曹洞宗(道元)、時宗(一遍)、法華宗(日蓮宗、日蓮)は全て鎌倉時代に新しく出来たのです。

この佛教改革は「国家の為の佛教」から「大衆、個人の救済の為の宗教」へと大きな変換を遂げたのです。これを「宗教改革」と言わないわけにはいきません。

このように公正に観察すると西洋の「宗教改革」の内容と日本の「宗教改革」の内様が非常に違うことも解ります。

次回は何故このような違いが存在するかを少し考えながら、曹洞宗(道元)の教えを少し見て行きましょう。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。

藤山杜人


冬の陽が斜めに射す谷川を写しに行きました

2010年12月18日 | 写真

自然の林の中を散策したいと思い、小仏峠へ続く旧甲州街道から日影沢へ入り、高尾山の裏を少し登ってきました。ただ漫然と歩かないで、テーマを決めて写真を取りながら歩きました。冬の弱弱しい午後の陽が斜めに射し込んでいる谷川を撮影のテーマに決め、家内に撮って貰いました。私は先にちこち歩いて構図を決めます。

この谷川は高尾山の北斜面の水を集め、高尾の町を流れ下り浅川になります。浅川はさらに八王子市の真ん中を流れ、高幡不動の傍を流れ関戸大橋の下で多摩川へ合流し、東京湾へ流れて行きます。晴天でした。山かげの道の冷たい空気は甘いような新鮮さに溢れていました。心地良い谷川の音が響いています。

そんな様子をご想像しながら写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終り)

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毎日、毎日、何も考えないで無為に過ごすことの幸せ

2010年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム

仕事をしなくて良い年齢になりました。最初は何かしたり、考えたりして暇な時間をまぎらせていました。しかし次第に、何もしないのが一番幸せなのだと感じる様になりました。ただ静かに自然のたたずまいを見て時を過ごすのです。天気が悪い日は写真で結構です。何も考えないで素直に見るだけです。何故かとても贅沢な時間が流れて行くような気がします。

実例を3つ示します。下に岩の上に繁っている樹木の写真があります。何も考えずにこの樹木を見つめます。心が何故か豊かになります。写真の取り方が下手だなどと考えてはいけません。

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その次はカモメが湖岸で舞うように飛んでいる写真です。クリックして拡大して見ます。何故飛んでいるのか考えてはいけません。鴎が飛んでいる自然な風景をじっと見ます。ボンヤリ見ます。それだけです。無為な時間が流れて行きます。

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病気になって家から出られない。私もいずれそのようになるでしょう。そうしたら庭の一本一本の小さな草木をボンヤリ見て時を過ごします。下の写真は紅葉したドーダンです。庭に一本しかありません。じっと見ていると昨年の紅葉の様子を思い出します。なんとなく思い出すのです。そして無為の時間が静かに流れて行くます。

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こんな風に毎日を過ごしています。私は趣味をいくつか持っていますが、結局は自然を見て、なんとなくボンヤリ見ている事に行きつきました。

皆様も自然を見ていると何故か気分が良くなり幸福感が湧いてくると思います。

つまらないことに思いわずらない。そして無為の時間が流れて行くのを楽しむのです。

今日も皆様が幸せな感じを持ちながら過ごせるようにお祈り申し上げます。藤山杜人


添い遂げる白鳥夫婦と家族愛の風景

2010年12月17日 | 写真

霞ヶ浦で白鳥を毎年見ていて気が付きました。鶴と同じように夫婦は何年も添い遂げます。その上、夫婦で毎年2羽くらいの子供を育てます。その親子4羽は次の年も一緒に暮らしています。体は親も子も同じ大きさですが何時も寄り添うように暮らしています。

下の写真はそのような4人家族の白鳥が数家族、群れをつくって遥々シベリアから飛んで来たのです。春になると又シベリアへ帰ります。
白鳥は頭が良くて私が優しい言葉をかけるとこちらを向いて寄ってきます。写真を撮るからポーズを取って下さいと言うと、それらしく家族仲の良い様子をしてくれます。それに比較してカモメは頭がいま一つです。餌を貰えるか否かしか考えて居ません。オオーと大きな声をかけると驚いて一斉に飛び上がります。白鳥は私がカモメをからかっている事を知っていて、そ知らぬ顔をしています。白鳥やカモメの反応が面白くて1時間も遊んでしまいまた。鴨類やカイツブリは野生が強くて私のそばに寄って来ません。警戒心が強すぎます。遊び相手になってくれません。下に白鳥の家族の写真をお送りいたします。

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仏教に関する常識(1)日本にあるお寺の数

2010年12月17日 | インポート

日本は仏教国と言われています。しかし現在の日本人は佛教の事を学校で習いません。従ってお寺に特に関係ない人々以外は仏教について案外知っていない事が多いと思います。私はカトリックの信者です。そのせいか仏教の事が少し理解出来るようになりました。キリスト教と比較しながら考えると成程と思う事が沢山あります。

例えば、お経は、キリスト教の旧約聖書と新約聖書に対応します。お釈迦様の教えを伝えるのが、お経です。福音書はイエス様の教えを書いたものです。しかしその成立の仕方が非常に違います。そのように比較しながら考えて行くと簡単に理解できます。

そこで今回から仏教の常識をキリスト教と比較しながら書いていたいと思います。

始めは簡単な話です。お寺の数とキリスト教の教会の数を比べてみます。

日本の仏教の大きな宗派は、浄土真宗、曹洞宗、真言宗、浄土宗、日蓮宗、臨済宗、天台宗の7つです。それらの宗派別のお寺の数を以下に示します。

(出典:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210106697

浄土真宗系・・21487
曹洞宗系・・・14680
真言宗系・・・12701
浄土宗系・・・8336
日蓮宗系・・・7466
臨済宗系・・・5758
天台宗系・・・4257
黄檗宗・・・462
時宗・・・411
融通念仏宗・・・358
奈良仏教系・・・294
(10年ぐらい前の資料ですが、現在もそれほど変化はないと思います。)

日本には総合計、66210のお寺があるのです。

すごい数です。日本が佛教国と言われるのはこのお寺の数の多さを見ると成程と納得します。

さてキリスト教の教会の数はどの位でしょうか?いろいろな統計がありますが、プロテスタント系、カトリック、正教会、その他を含めても数千以下と言われています。

仏教の寺院の十分の一くらいでしょうか。数だけでなく仏教の寺院の敷地面積や建物の豪華さと比べて教会の方は小さくて、建物も質素です。

皆さまの近所にお寺は幾つもあると思います。しかしキリスト教の教会はそれほど多くはありません。こんな常識的な知識を今後シリーズ記事として書いて行きたいと思います。間違ったことも書くと思いますが、いろいろご指導下さいます様に御願い申し上げます。(続く)


失はれし時を求めて(4)1970年前後に日本人の人生観が激変しました

2010年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム

1970年前後に何があったでしょうか?60年安保闘争に続いて70年安保闘争もありました。しかしもっと騒然としていたのは日本中に広がっていたベトナム戦争の反対運動でした。その上、1966年から始まった中国の文化大革命がフランスへ飛び火し、アメリカへ広がり、日本の学校で革命が起きていたのです。全国の大学は革マルや中核派や民青という革命勢力の分派によって占領され、教授たちはキャンパスへ入れなかったのです。東京大学も学生に占領され、1969年には入学試験が中止になったのです。日本の社会に存続していた全ての伝統的な権威が否定されるという風潮だったのです。私はその頃、教官をしていましたので、大学紛争の前後で学生の価値観が急変化したのを目の前で見て居ました。大学紛争後の学生は一切の伝統的な権威を認めなくなったのです。そのような学生が会社へ就職して行き、会社の伝統的な人間関係を無視するようになったのは当然です。

それとほぼ同じ頃、田中角栄さんの「日本列島改造論」という本が出て、国中の土地が売買されたのです。東京の人々が争って北海道の原野を買ったのです。私が山梨の甲斐駒の麓の土地を買って山小屋を作ったのも1973年でした。

大学紛争は学生だけの騒動でしたが、大学の権威が地に落ちるのを見て、多くの社会人は伝統的な考え方に疑問を持ち始めたのです。先祖代々の墓を大切にする。生まれ育った土地を自分の本籍地として大切にする。本籍はあくまでもふるさとに置いておく。そのような考え方が揺らぎ出したのです。

自分のお墓は都会に作る。故郷へは行き来しないようになる。山奥や離島に住んでいる人々は自分の家を捨て、生活のし易い都会へ躊躇せずに出てしまうのです。

1970頃まで存続して来た日本社会の縦社会が崩れ、横社会へ変わってしまったのです。江戸時代から明治維新を経て、第二次大戦後の1970年頃まで、日本人は山奥でも離れ島でも営々と住み続けていたのです。生活が苦しくともそれが立派な人生と信じていたのです。先祖が切り開いた土地を捨てるのは罪悪行為と思い込んでいたのです。だからこそ1970年頃までは過疎地や廃村が出来なかったのです。

どのような人生が理想的な人生なのかという人生観が激変したのです。その結果、良いことも沢山起きました。皆なが平等で自由を楽しめるようになったのです。しかし良い事には必ず悪い事が付いています。権威や伝統の価値を無視すればとかく我儘で、傲慢な人間になり易いのです。その結果、不登校が増え、フリーターが増え、ホームレスが増えたのです。横社会は秩序が乱れやすい本質を持っています。縦社会の秩序で躍進してきた大会社が倒産しそうになります。日本の経済成長は再びあるとは思えません。日本全体が崩れゆくような不吉な雰囲気があります。

さてこれからの日本はどうすれば良いのでしょうか?皆様のご意見を頂ければ嬉しく存じます。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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