後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ハンガリー語を学んで日本語の美しさ、多様さを理解する

2010年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

ハンガリーに在住している盛田常夫(http://morita.tateyama.hu)さんが編集、発行している季刊誌、「ドナウ河の四季」2011年新春号を送って下さいました。目次を下に示します。

====「ドナウの四季」No.9=====

音楽教育の妙味 石本 裕子                           1
ハンガリー赤泥流出事故の背景と教訓 家田 修               2
大空への挑戦 加藤 詩乃                            4
20年振りの七転八倒 盛田 常夫                        6
留学生自己紹介         粟村 岬 ・ 松永 みなみ           8
緑の丘日本語補習学校 高木 典子 10
2011年のゴルフシ-ズンを迎えるにあたって 宮崎 好文         11
スポーツ行事・運動サークル情報                       12
白組~がんばるぞ~! 竹内 更                        13
ハンガリーのみなさん Köszönöm szépen 安島 昇             13
満喫した南アフリカW杯 盛田 常夫                       14
「ドナウの四季」ホームコンサート                         15
    桑名 一恵 ・ 町田 百合絵 ・ 岩瀬 桐子 ・ 松永 みなみ
    珠玖 加奈子 ・ 香川 真澄 ・ 坂井 圭子

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この目次の中から、「留学生自己紹介」の粟村 岬 さんの文章がみずみずしくて面白かったのでその始めの部分のみご紹介いたします。下の写真はハンガリー観光省のHPのブタペストとドナウ河の風景写真です。

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「愛おしさがきっかけに」:バラシ・インスティテュート:著者、粟村 岬

 ハンガリーという国が自分の生活の一部を占めるようになって7年半が経ちました。

その割合は時期によって大きくなったり小さくなったりしていますが、今も変わらずこの国を愛おしいと思う気持ちは健在です。

旧大阪外国語大学(現:大阪大学)の日本語専攻に入学し、日本語学を専門としながらも、当時の大学のシステム上、外国語を一つ選んで専門的に勉強する機会をいただき、とくに強い思い入れもないまま選んだ言語がハンガリー語でした。きっかけはともあれ、一度学び始めると、この特異だけれど温かみがあり、柔軟性に富み、幅広い表現力をもつハンガリー語の魅力に心を奪われました。

 日本語学の勉強もそこそこに、2004年夏の2カ月弱の短期留学を経て、2005年の夏、1年のハンガリー留学を決めました。ハンガリー語を勉強すればするほど、その言葉の魅力が深く感じられ、またその言葉を使って自分自身がいろいろな人とコミュニケーションを取れていることに、強い喜び

を感じるようになりました。勉強をこんなに楽しいと感じたのは、今までの人生で初めての経験かもしれません。

 ハンガリー語の学習と同時に、留学生活の大きな割合を占めていたのが、ハンガリー人日本語学習者に日本語を教えることでした。高校の日本語の授業にボランティアでサポートをしに行ったり、剣道や空手のトレーニングに通う学生にプライベートで日本語を教えたり、友人の経営する日本語塾で教えたりと、日本語を教える多くの機会に恵まれた一年間でした。普段何気なく使っている母語の日本語ですが、教えてみて初めて気付く日本語の難しさや、美しさ、多様さなど、日々発見と勉強の連続で、とても新鮮で貴重な時間を過ごせました。帰国後に専門である日本語学の研究としっかり向き合えたのも、ここで日本語を教えることで日本語がどういう言語なのか見つめなおす機会になったからだと思います。=====以下省略======

この記事を特にご紹介したのは私自身の体験と合致したからです。1969年、70年とドイツのシュツットガルトに留学するときドイツ語を勉強しました。ドイツ語には特有の美しさや多様な表現力があることに感動したことを思い出したのです。そして同時に日本語の特有の性質が理解出来たのです。英語は1962年にオハイオ州立大学へ留学する時学びましたがドイツ語で感じたような感慨がありませんでした。どうしてでしょうか?英語はあまりいろいろな国々で使用されていて、何処か特有の国の文化を背負っていません。ハンガリー語のように特有の、小さな領域の文化を背負っていると魅力的な言葉に感じるのです。そういう意味では韓国語も似ていると思います。

如何でしょうか?言語に関するちょっとした感想です。ご意見を頂ければ嬉しく思います。(終り)


このブログでは考えて頂きたい問題を提供しています

2010年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

文章を書いたり、読んだりする作業は面倒くさいものです。ですから書きながら楽しい思いをする、そして読んで下さる方々も楽しい、元気がでる、明るい気分になる、そのような記事にしたいと思っています。

その為にはいろいろな方法があります。その一つに何か問題を提供して、読者に楽しみながら考えていただくという方法があります。解答は私も分りません。いや正解の無い問題です。しかし問題の内容が意味深くないといけません。日常茶飯事に関する問題は重要ですが、ありふれた話題なのでなるべく避けています。一例を下にあるお墓の写真で説明します。

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この写真の説明に短い文章を付けます。「外国人の神父さんやシスター達のお墓は何故か質素な木の十字架のお墓が多いのです。故郷に帰らず日本の土になったのです」。それだけの文章をつけます。

読者の方々は、何故、質素な墓なのだろうと考えます。何故、故郷の先祖代々のお墓に帰って眠らないのだろうと考えます。そしてマリゲレータさんとはどんな人だったか検索して調べる人も居るでしょう。あるいはピザにマリゲリータというものもあるからイタリア系の人だったと思う人もいます。

私も検索して見ました。http://blogs.yahoo.co.jp/myyurieru/18282977.html に「マルガルタの黙想会」の事が書いてありました。

しかしどうも、シスター・マリガリータとは別人のような気がします。ですから正解は解りません。と、書くと親切に教えてくれる方がいます。それまで待つことにします。

さてこの写真をみて元気が出るでしょうか?明るい気分になるでしょうか?

それは見る人の考え方次第です。故郷を離れて日本人の為に働いた人が居る。そうだ私ももう少し元気に頑張ろう。そう思える人は幸せです。

楽しかった大学生の頃、親切だったシスターが居た事を思い出した人も居るかも知れません。感謝の気持ちで当時の楽しい思い出を楽しめれば幸運な人です。

一生の間、シスターとは一切縁のない人々も多いものです。私も縁がありません。しかし北海道のトラピストのお菓子をお土産に貰った事がある人々は多いと思います。美味だった事を思い出すと楽しくなります。くれた人を思い出し、感謝します。

たった一枚の写真からいろいろな思いが広がり楽しめます。

このようにいろいろ考えられる記事にしたいと写真や文章を掲載しています。どうぞ来年もこのブログをお楽しみ下さい。大晦日も近づいて来ました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


暖かい温室の中の冬の睡蓮の花の写真をお楽しみ下さい

2010年12月25日 | 写真

一昨日、神代植物公園の温室の中を暖まりながら、熱帯植物の緑豊かな葉を楽しんでいました。ゆっくり歩いて行くと、いろいろな睡蓮が咲いている部屋へ行きました。暖かい温室の中の熱帯植物の匂いをご想像しながら写真をお楽しみ下さい。

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今日は一番の寒い日・・・夏山の花々の写真で温まって下さい!

2010年12月25日 | 写真

もう来週は年末です。大晦日が近づき今年も暮れようとしています。寒い日々が続いています。寒さしのぎに夏山の花々のことを思い出しています。山梨県北杜市の武川町の山林の中の小屋の付近で一昨年の7月に撮ったものです。下の写真はネムノキの花です。大木ですが回りの電柱や電線が邪魔して、満開の大きなネムノキの全体が撮りにくく、カメラアングルに苦労しました。

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下の写真は小屋の付近の雑木林の中に咲いていたウワズミサクラです。花の咲いていないときは地味な葉だけなので雑木林に溶け込んで目立ちません。雑木林にはそのような木も幾つかあります。美しい白い花房を沢山つけるエゴノキもそうです。

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下の写真は野生の藤の花です。野生の藤は他の木に絡まり梢まで登って行きます。それでも足りず、隣の木の梢へ渡り、幹にからまり、枯らしてしまいます。翌年は少し横に這って新しい木の幹を登ります。下の写真は2、3年した野生の藤のように見えます。

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下の写真は山林の中に住み着いている鬼家雅雄さんから鉢ごと頂いたクリンソウです。頂いたときはまだ小さな苗でしたが東京へ持ち帰り庭の樹蔭に置き、水をやり、育てましたところ7月に下の写真のように咲きました。控え目の静かに咲いている様子が日本サクラソウに似ていて可憐です。

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このような夏の花々の写真をもう一度見ていると季節の移ろいの早さに驚きます。

皆様どうぞ楽しい大晦日をお迎え下さい。(終わり)


キリスト教をもっともっと日本化しないと普及しない!

2010年12月25日 | 日記・エッセイ・コラム

(1)キリスト教には厳然とした違和感がある!

キリスト教に対して日本人は違和感を感じています。その理由はキリスト教が日本人にまだ消化されていないからです。

明治維新以前までの佛教、儒教そして神道を背景にした日本の伝統文化と、キリスト教は混然一体となり日本文化の一部として融合していません。

感覚的に分かりやすく言えばキリスト教は水と油のように日本文化と溶け合っていないのです。

私はカトリックなので、ついキリスト教の話をしてしまいます。すると親しい日本人の多くは、「私はヤソは嫌いだ!アジヤやアフリカを植民地にしたような欧米人は嫌いだ!それに西洋文化は物質的で日本の伝統文化の美しい精神性に融合する筈がない!」 と言います。

この感じ方は当然です。キリスト教は欧米の固有の宗教であり我々には関係ないと感じているのです。

私は最近、3つのプロテスタント教会と日本正教会のニコライ堂を訪問しました。それで明確に理解した事があります。それはキリスト教がある国を経由して日本に入ってくると、その国の文化を背負って入ってくるという事実です。一番明確なのはロシア正教として聖ニコライが持ち込んだ正教会は、共産革命以前のロシア文化そのものを背負って来たのです。アメリカ経由のプロテスタントはアメリカの自由主義と平等の文化を背負っています。カトリックは産業革命に遅れたスペインやイタリアのラテン文化を背負いっています。

私の目から鱗が落ちました。このような国々の固有の文化をそぎ落としてそれぞれのキリスト教のみを比較してみたのです。そうすると全ての宗派は全く同じです。イエスの教えを記録した福音書を一番大切にしているのです。ある牧師さんが言いました、「人間が福音書に書いてないことまでイエスの名を使ってするからいけないのです。福音書に書いてないことはしてはいけないのです!」と。

日本人がキリスト教を嫌うのは、ロシア文化や、ラテン文化や、アメリカ文化に違和感を感じているからなのです。それが、「私はヤソが嫌いだ!」という発言になるのです。それならキリスト教に日本固有の文化を融合させて、日本化したキリスト教を作れば日本でも、もっと自然に普及するのです。

(2)ヨーロッパの古い迷信や習俗へ融合したキリスト教

ヨーロッパへキリスト教が普及する前は多神教の原始宗教や迷信が信じられていました。キリスト教はそれらを否定しなで儀式や「まじない」をそのまま踏襲して、その儀式や「まじない」に意味だけをキリスト教の教義に合わせてのです。ヨーロッパには現在でも迷信や俗信がキリスト教と併存して生きているのです。その様子は、「ドイツにある迷信や俗信」という記事でご紹介しました。

明治維新以来、江戸時代まで信じられていた迷信や俗信は徹底的に排斥され合理的な考え方だけを尊重したのです。それが間違いのもとです。

明治政府名は欧米には迷信や俗信が存在しないような教育をして来ました。その結果、多くの日本人は欧米には迷信や俗信が存在しないと思っています。特にキリスト教はそれ以外の信心を禁じていますので迷信は存在しないと思っています。

彼等は日本人と同じように迷信を信じ、俗信を大切にしているのです。俗信を馬鹿にしないでそれを研究するとその国の文化の奥の方が分かるのです。像して下さい。

ヨーロッパのある地方では、(1)死んだ人がヒキガエルになる、(2)樫の木は病を治す、(3)モミの木は神の住居、などの迷信があります。その迷信と併存し、キリスト教が存在しているのです。

(3)福音書だけを守って、日本の伝統文化へ融合した儀式や「おまじない」を大胆に取り入れる。

南米にあるカトリックは原住民の習俗を取り入れています。アメリカの黒人の信ずるキリスト教は黒人霊歌などに代表されるように黒人固有の礼拝式をしています。

日本人だけが欧米の習俗を背負ったキリスト教をそのまま真似をして取り入れています。物真似をしすぎています。これでは「ヤソは嫌いだ!」という人があとを絶ちません。

早急に、革命的にキリスト教は変わる筈はありません。しかし日本人のキリスト教にたいする考え方が少し変わるように祈っています。もっと主体的に取り入れるようになれば良いと思っています。皆様はどのようにお考えでしょうか?

今日も皆さまのご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人


こんな時に日中友好を進めている曹其鏞さんの偉さ!

2010年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム

現在、日中間は感情的な対立をしています。まあ、簡単に言えば憎み合っています。険悪な関係です。こんな時に日中友好を進めている中国人が居るのです。香港在住の実業家の曹其鏞(そうきよう)さんです。

中国の5つの大きな大学へ私財を投げ打って、「日中青年交流センター」を建設する事業を進めています。5つの大学へそれぞれ2億5000万円を寄付し、このセンターを建設するのです。合計12億5000万円の私財を寄付するのです。日中の学生や研究者の交流を支援し、若い世代間の相互理解と友好を促進する事業です。

北京大学、清華大学、浙江大学では寄付の申し出の受け入れを決定しています。この他の復旦大学と上海交通大学では検討中です。

この5つの大学は中国で一番レベルの高いエリート大学です。それらの大学が曹其よう氏の申し出を受け入れるためには、学内に、「日中青年交流センター」を建設する土地を提供し、職員を配置しなければなりません。北京大学、清華大学、浙江大学ではその方針で動き出したのです。

曹其よう氏は昔、日本へ留学していました。お世話になった日本人へ恩返しをしようとしています。その上、北京大学、清華大学、浙江大学、復旦大学、上海交通大学などの卒業生が多数、日本へ留学しています。帰国後、それらの大学で教授になり日中友好に務めている人々も多いのです。また日本からも多くの若者がこれらの大学へ留学しています。

日本と中国との深い交流は根強く続いているのです。曹其よう氏の今回の義挙は日本人の頭を冷静にさせてくれます。中国人は本来恩義を忘れません。政治家の軽挙妄動に惑わされないでもっと長期的に日中間の友好を考えて行くのが良いと信じて居ます。この記事は12月23日の読売新聞の9ページの記事にもとずいています。記して読売新聞へ感謝の意を表します。

(終り)

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窓下の清流、薪ストーブ、野生の猿の群れ

2010年12月24日 | 写真

何度行っても奇蹟を見るように感動する事があります。小屋の窓の下をヤマメが棲んでいる清流が37年間変わらない水音をたてて流れている事です。都会の住宅地に住んでいる私にとっては感動的な事です。いつもその事だけで2時間の運転の疲れが消えてしまいます。そして小屋の中には薪ストーブがパチパチと燃えています。木の燃える懐かしいような香りが部屋の中に流れます。

庭の向こう側の斜面を登り、牧草地へ散歩に行けば、野生の猿の群れが遊んでいます。ボス猿がこちらを睨んでいます。今年は猿と鹿を沢山見ましたがイノシシは出て来ません。例年出て来て悪さをするイノシシが居ないのは有難いのですが、何となく淋しいです。日本の自然は最近、とても原始状態へ還っているようです。森や林へ人間が入らなくなって、野生の動物が増え、自然林へ還っています。

とても善い事と思っていますが、本当に善いことなのでしょうか?写真をご覧頂いてお考え頂ければ嬉しく存じます。

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サンタクロースの住んでいる森と教会の写真をお楽しみください

2010年12月24日 | インポート

サンタクロースのお爺さんはフィンランドの森に住んでいると言われています。手紙を送る方法もあります。その方法は、(サンタクロースはフィンランドの森の中に住んでいます)に書きました。

今日はいよいよクリスマス・イヴですね。今夜、サンタクロースは世界を飛び回って子供たちへ素敵なプレゼントを配ります。

どのような森に住んでいるのでしょうか?写真でご説明いたします。ついでにフィンランドの教会の写真もお送りします。出典はフィンランド政府観光局のHPです。

今日は皆様が素晴らしいクリスマスの夜を過ごされますようにお祈り申し上げます。藤山杜人

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本格的な冬将軍が訪れた南アルプスの写真をお送り致します

2010年12月23日 | 写真

今日は久しぶりに南アルプスの甲斐駒岳の麓の山小屋へ遊びに行って来ました。途中、北岳、間の岳、農鳥岳などの南アルプスの主峰の連山が雪で白く輝いているのが見えました。その前に立っている薬師、観音、地蔵、の鳳凰三山も雪で覆われています。その北西にある甲斐駒岳も雪雲が包んでいました。家内が走り回って構図を考えながら写真を撮りました。

風は寒かったですが、澄んだ新鮮な空気が、都会の汚れた空気の中で生活している者にとっては何よりの贈り物でした。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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冬桜の写真をお送りします

2010年12月23日 | 写真

毎年、12月になると咲く桜花があります。都立野川公園の西の端に生えている冬桜です。今年の写真をお送りいたします。春の桜は爛漫と咲き誇りますが、冬桜は楚々として淋しく咲いています。寒い、寒いと嘆きながら懸命に咲いています。同情しながらお楽しみ下さい。

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寺院仏教へのプロテスト・・・創価学会のユニークさ

2010年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム

私はカトリックの洗礼を受けてから日本人の宗教について強い関心が湧いて来ました。キリスト教と比較しながら観察すると非常に明快に理解される場合が多いのです。

例えばキリスト教には古いカトリックへ反発して多くのプロテスタントの教会が出来ました。そこには信者の上に立って威張っている聖職者は居ません。牧師はいますが、信者と平等な立場です。

そのような仏教の一派を探していましたら創価学会へ行きつきました。

1991年に創価学会は日蓮正宗から破門され寺院仏教から完全な意味で「在家信者団体」へと変化しました。大変信者数の多い大きな集団です。これは日本の寺院中心の仏教の歴史の上で画期的な変化です。

1991年以来、寺院や僧侶とは縁が切れ、純粋にお釈迦様の教えを日蓮の指導通り信じる人々の集合体になったのです。

ですからそのお葬式へ行ってみると袈裟を着た和尚さんは現れません。背広姿の創価学会の役員がお経を読み、導師の役目を務めます。Wikipedeaの「創価学会」の項目から、葬儀の仕方を転載します。

葬儀 :かつては日蓮正宗の僧による葬儀が主流だったが、現在は儀典部など会員を読経の導師とする「友人葬」(「学会葬」「同志葬」とも呼ばれる)の形式で執り行われるのが一般的である。 なお、原則として友人葬への参列では香典は必要ない。また「読経料」「戒名料」などと称する対価を求める僧と違って、友人葬の導師は、謝礼を一切受け取らないものと定められている。

死んだ信徒の中にははお寺の先祖代々の墓に入らないで富士山のそばにある創価学会の墓地へ行く人もいるようです。この事は世襲の住職制度と寺院によってお墓を守るという従来の考え方へ新しい改革を提案することになります。

そのような次第で、私は創価学会をキリスト教のプロテスタント教会と類似の信仰形態として重要視しています。

創価学会の会員は日蓮の指導に従い、法華経を唱え、折伏すれば成仏できると信じているようです。

一時、強引な折伏と寄付の強要で悪い評判が立ち、創価学会を忌み嫌う人が多かった時代もありました。現在ではあまりそのような行為を聞きません。適正な布教活動をしているものと思われます。

折伏は他の宗教では宣教とか布教と言います。特に創価学会に限った事ではありません。しかし折伏という言葉がいけません。他人を折る。他人の信じて居ることを悪いと論破する。そんな事を連想させます。困った言葉の使い方です。宣教や布教は、自分の立派な生活態度で周囲の人々を感動させ感化させる方法が良いとされています。無理に押し付けたり、議論することではありません。

ついでに創価学会で尊敬出来ない事を書きます。それは会長様の国際的活動があまり目立ち過ぎることです。

その上、公明党の並存です。やはり政教分離をしてもらいたいと思います。

貴方は創価学会のことをどのように評価なさっていますか?忌み嫌わずに公正な視点で観察するのも良いと信じています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

Souka_gakkai_honbu1 この写真は東京の信濃町にある創価学会の本部ビルです。


夕闇が水面に少しずつ降りて来る・・・時のうつろいを撮る

2010年12月22日 | インポート

今日も一日平和に暮れて行こうとしています。地球が少しずつ回って夕闇が水面に降りて来ます。こんな静かな夕方へ感謝しながら写真を撮って来ました。近所の野川と貫井弁天の池です。

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国破れて山河あり、城春にして草木深し・・・・

2010年12月22日 | 日記・エッセイ・コラム

唐の長安が、安禄山の反乱で荒廃したありさまを見て杜甫が嘆いて作った詩です。第二次大戦後にこの漢詩が多くの日本人の共感を得て、何度も読まれたのです。新聞が取り上げる、学校ではこの漢詩を教えられたのです。嘆くだけでなく打ちひしがれた人々を鼓舞したのです。アメリカ軍の徹底的な空襲で全国の都市が焼きつくされたのです。しかし山や河のような自然はそのまま残っているではないか!復興に努力し、この国をもう一度蘇らせよう!そのように国民を勇気づけたのです。私もこの漢詩に勇気づけられました。そして日本の復興のために努力しました。その後懐かしくなってこの漢詩をもう一度読んで見ました。年を重ねて読むと意味が随分違います。

敗戦後の日本の復興を応援する意味など無い事に気が付きました。あくまでも玄宗皇帝のころの華やかな長安が荒れて見る影もない。自身も年をとり衰えてしまった。その運命の暗転を見て嘆き、その気持ちを美しい詩としたのです。一個の芸術的な作品です。

「国破れて山河あり」という冒頭の言葉に日本人は共感し、この詩の美しさに慰められたことは事実です。慰められて、少し落ち着いて、今後の国のあり方を考えた人は多かったと思います。そしておもむろに立ち上がったのです。

中国大陸や南洋の島々で終戦を迎えた日本兵にとってこの漢詩は深い印象を与えたのです。やっとの思いで復員船に乗って故国の山を海の上から見たときの喜びの気持ちを表しています。国が破れてもあの緑豊かな山々は出征する前のままあるのです。自分達を温かく迎えてくれたのです。

そのような復員兵が私の新制中学校の先生をしていました。復員してきて船上から故国の緑を見た時この漢詩をつぶやいていたと何度も話していました。

日本がアメリカに負けたのは科学技術が遅れていたからとも教えました。私は迷わず科学者になることを決心しました。その先生とは卒業以来会って居ません。すぐ教員を辞めて、会社へ就職したと風のたよりで聞きました。

「国破れて山河あり、城春にして草木深し」はそれ以来、私の人生のキーワードになりました。

さて皆様には人生のキーワードがありましたでしょうか?お教え頂ければ嬉しく存じます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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春 望 (五言律詩。長安の賊中にあって、春の眺めを述べる。)
 
  国破山河在   国破れて山河在り
  城春草木深   城春にして草木深し
  感時花濺涙   時に感じては花にも涙を濺ぎ
  恨別鳥驚心   別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
  烽火連三月   烽火 三月に連なり
  家書抵万金   家書 万金に抵る
  白頭掻更短   白頭 掻けば更に短く
  渾欲不勝簪   渾て簪に勝えざらんと欲す

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宗教的訓練を受ける偶然に会える幸運さ!

2010年12月21日 | 日記・エッセイ・コラム

宗教は社会習俗です。生活の合間に挟まれた宗教的訓練がその宗教を子孫へ伝えます。その訓練を受けるチャンスに会えた人々は幸運です。そんな偶然の運命が私にとって重要だったのです。

私の祖父は曹洞宗の住職でした。そのあとを父の弟がついで住職になりました。父は学者という職業を終えた後、やはり曹洞宗の住職になりました。その後をついで弟が住職をしています。小さい時から般若心経や観音経を意味も分からず、袈裟を着て唱えていました。その宗教的訓練のお陰でカトリックの洗礼を受ける幸運に巡り合えました。

ところで曹洞宗の本山は福井県の永平寺です。2,3度参拝のために家内と一緒に行きました。一つの山の斜面に僧堂が配置くしてあり、その全てが回廊で繋がっているのです。寺院全体が小宇宙です。特に感動したのは階段です。幅が広く、傾斜が神秘的な雰囲気をかもしだしています。その廊下に私は住み込んでみたくなりましす。お釈迦さまのみ手の中に住み込むような気分になる事でしょう。

このブログはカトリックの神父さまも時々ご覧になって頂いています。しかし一度だって佛教の事は書いてはいけませんという注意を受けたことがありません。それがカトリックの素晴らしさです。

そんな事は別にして永平寺の階段の写真をお送り致します。出典は永平寺のHPです。つまらに事を書いてしまって恐縮です。おやすみなさい。

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