2年前の9月に玄奘三蔵法師の遺骨の一部が埼玉県の慈恩寺にあることを知りました。私は長い間、玄奘三蔵法師を尊敬していましたので、その遺骨については特別の想いがあります。いろいろ考察した結果その遺骨は偽物と思います。しかし玄奘三蔵法師の遺骨についての私の想いから数編の記事をこのブログに掲載いたしまた。それ以来、私はその記事の事を時々、懐かしく思い出しています。そして多くの仏教徒にとっても興味深い記事だったと信じています。ブログの古い記事はなかなか読めないと思いますのでに玄奘三蔵法師の遺骨に関する記事を3つだけ選んで再び掲載することに致しました。ご興味を持って頂ければ嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます、藤山杜人
「日本の全仏教徒のために海を渡ってきた玄奘三蔵法師の遺骨にお参りして来ました」
この遺骨の科学的考察は次回の記事に掲載しますが、題と以下の記事は宗教的記事としてお読み頂ければ嬉しく思います。
三蔵法師の頂骨が昭和17年に偶然に南京で発見されました。お骨の入っていた石棺に、「宋時代の天聖5年(1027年)に、演化大師が西安から南京へ持って来た」と刻んであったのです。その頂骨の一部が昭和19年に南京政府から日本へ寄贈されたのです。そして日本の仏教界の為に海を渡って来ました。
玄奘三蔵法師が遠くインドへ旅したように死後にも旅をして日本へやって来てくれたのです。その遺骨は現在、埼玉県の岩槻の慈恩寺が守っています。昨日、お参りして来ました。慈恩寺の第50世住職の大嶋見道師と第51世住職の大嶋見順師の2代の住職が心を配り慈恩寺から少し離れた場所に玄奘塔を建て、その根元に遺骨を奉安しました。この遺骨は慈恩寺だけの所有物ではなく、日本の全仏教徒の為に眠っているのです。その為に見順住職は日本仏教連合会と相談をしながら、お寺とは独立した場所に13重の塔を建て玄奘三蔵法師のお墓にしたのです。更にその後、遺骨は日本仏教連合会の決定にしたがって、台湾の玄奘寺と奈良の薬師寺へ分骨されました。
慈恩寺へ行けば第51世住職の大嶋見順師にお会い出来ると楽しみにして参上しましたが、残念にも2年前に亡くなっていました。奥様と第52世住職の方としばしお話をした後に玄奘三蔵法師のお墓へお参りに行きました。午前中は教会のミサへ行き、午後に家内と一緒に行きました。
13重の玄奘塔は広々した田畑の中にありました。参道には店も無く、人気の無い淋しい野原が夏の名残の日差しの中に輝いているだけです。
下の写真が玄奘塔の入口の門です。思わず合掌し、中国の西安から、遠方の埼玉県まではるばる来てくれた三蔵法師の温かい慈悲の心へ深い感謝の言葉をつぶやきました。
下の写真は13重の塔で東武鉄道の根津社長が昭和22年に寄進した見事な石塔です。この塔の基部に高さ8cm、直径7cmの水晶の壺に入れた玄奘三蔵法師の遺骨が埋めてあります。
下の写真は長安にある玄奘三蔵法師のインドへの旅姿の絵画を忠実に模した大きなブロンズ像です。
下の写真は玄奘塔のある周囲の風景です。場所は、http://www.jionji.com/ に御座います。
お参りして豊かな気持ちになりました。
しかし参詣人が誰も居ないのが淋しいです。多くの日本人は玄奘三蔵法師の遺骨がここに有ることを知らないのです。複雑な思いです。次の記事でその原因を少し考えて見ます。皆様はこの状態をどのようにお考えでしょうか?(続く)