後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夫婦仲と親子関係を良くする秘訣(1)不仲の原因を絶対に考えない

2011年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム

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人生には不幸がつきまといます。不孝の最大の原因は親子関係の崩壊です。夫婦関係の破綻です。

親子関係が良くて、夫婦仲さえ良ければ、その他の不幸の原因は解決するものです。少なくともそれ程気にならなくなるものです。

そのようにする秘訣を私は20年程前にアメリカで覚えました。親子関係と夫婦仲を改善する為の訓練会で覚えました。秘訣を習いました。生活の考え方を変える実践的な方法です。宗教とはまったく関係ないと教わりました。その教え通り20年間ほど試して来ましたが、その効果は抜群です。

秘訣はたった一つです。不幸になった原因を考えない。不幸をあるがままに受け止めなさい。仲の悪い相手と仲良くしようとしないで、さりげなく一緒に生活をします。相手に干渉してはいけません。感謝していることを少しだけ言いなさい。

これだけが秘訣です。

一番大切な事は、「不幸になった原因を考えない」ということです。

夫婦仲が悪くなると自分でその原因をあれこれ考え始めます。その行為が決定的に間違っているのです。原因を考えると普通は相手の悪いところを沢山思いつきます。自虐的な人は自分の悪い所をこれでもかと考えます。相手を傷つけます。自分も傷つきます。これこそ不幸の始まりなのです。

原因を考えると、結果的には夫婦仲がますます悪くなり、最悪の場合は破綻という結末まで進みます。

親子関係でも同じことです。怠け者の父を持ったお陰で、貧乏になりロクに学校へも行けなかった。大学を出なかったので一生つらい思いをした人は案外多いものです。この文章の何処が決定的に間違っているのでしょうか?

自分が不幸な人生を送った原因を考えたのが間違いなのです。

事実は上の文章に書いたような因果関係があったのかも知れません。しかしそれを忘れて、何故不幸な人生になったかの原因を考えないようにすることが幸せになる秘訣なのです。

そうする努力をはじめると家庭内の雰囲気が変わってきます。急に夫婦仲や親子の仲を良くしようと焦ってはいけません。さりげなく一緒に生活を続けながら少しずつ自分の生活態度を変えるのです。相手への干渉を減らします。時々は相手に感謝の気持ちを伝えます。それだけで良いのです。驚くほど顕著な効果が現れます。

私自身も人間なので上に書いた事を忘れます。忘れると夫婦仲が途端に悪くなります。育った環境のまったく違う2人の他人が同居するのが夫婦関係なのです。時々、仲悪くなるのは自然な現象です。そのような場合に私は上に書いた事を思い出します。思い出した途端に問題が解消します。

このアメリカでならった幸福になるための秘訣は実は仏教の教えなのです。人生は空(くう)なのです。夫婦仲も親子関係も空なのです。空ではありますが注意深く維持しないと一番危険なものなのです。注意深く維持する秘訣は自分への執着心を捨てることです。

キリスト教国のアメリカではこの教えを一言も仏教の教えとは言いません。あくまでも生活術のノウハウとして教え込みます。

詳しくは、外国体験のいろいろ(46)アメリカの仏教的セミナー という以前の記事に説明してあります。

今日の挿絵は上と下にあります。夫婦関係を象徴するような写真を選びました。新婚の頃は上の写真の花のように甘い関係です。年老いて来ると下のススキの原のような風景が夫婦を温かく包んでいます。秋の末ですがススキの穂が陽に輝き、少し華やかな雰囲気です。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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仙石原のススキが原と湿生花園の位置関係

2011年09月04日 | うんちく・小ネタ

昨日、植物が好きな方々が感動する箱根湿生花園 という記事で箱根の湿生花園をご紹介しました。その場所をご説明したいと思います。

仙石原へは乙女峠から下る道と宮の下から登る道があります。この二つが仙石原の北端で合流して、湖尻へ登る道になる三叉路交差点があります。その交差点から湖尻方向へ100m位行くとラリック美術館が右側にあります。そこから更に500m位登ると右方向(西方向)へ入る脇道があります。仙石原の真ん中を走っている道です。

その脇道を300m位行くと左手に箱根湿生花園の正門があります。広い無料駐車場がありますのでご心配は不要です。花園は丁度、仙石原の一番低い湿地にあります。南西の方向を見上げると小山があり、その小山の裾にススキが原が広がっています。ススキはまだ青々としていて白い穂が一面に広がるのはまだ先のことです。

一番上の写真は湿生花園から見上げたススキが原の写真です。左の小山の裾がススキが原です。二番目の写真はススキの穂の状態を示しています。三番目の写真は花園の西側の外輪山を示しています。

箱根湿生花園の秋は草紅葉が素晴らしいと思います。是非、紅葉の頃にお出掛け下さい。(終わり)

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ご縁があってこのブログをお読み頂いた方々へ、、、

2011年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム

ご縁があって、このブログをお読み下さった方々へ深く感謝しています。それとサイドバーにある推薦したいブログを書いていらっしゃる ちひろさん、鬼家さん、玲さん、オカブさん、Hootaさん、木内さん、mika さんにはブログの書き方を学ばせて頂きました。ご無沙汰していますが、いつも感謝しています。

ところで、今朝掲載しました、趣味としての宗教・・・それは入門方法の一つ という記事の中で、今日は、教会で皆様のご健康と平和をお祈りしてまいります。と書きました。

10時から11時のミサの間に、ご縁があってこのブログをお読み頂いた方々やご指導を頂いた方々のために ご健康と平和を心からお祈りして参りました。

ご報告いたします。下の写真は今日の教会の花です。マリア様の足元のエノコロ草の穂も秋の到来を告げているようです。

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趣味としての宗教・・・それは入門方法の一つ

2011年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム

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宗教的な事を趣味としている人々は案外多いものです。例えば自分は無宗教と思っている人でも何度も鎌倉のお寺を見に行く人がいます。その人にとっては、「お寺を見に行く事」が趣味なのです。

「鎌倉のお寺」を検索すると非常に数多くのお寺が分類整理してあります。美しい写真も豊富にあります。鎌倉のお寺回りをする人に便利な情報です。上の写真はそのネット情報からお借りしました円覚寺の紅葉の写真です。

奈良や京都へ旅する人々も神社仏閣を回ります。多くの人々はお寺を回ると心がなごみます。平和な気持ちになります。その結果、佛教へなじみます。好意を持つようになります。

仏像を見る趣味もあります。座禅を趣味にしている人もいます。そして、写経を趣味にしている人もいます。

このように宗教的な行為を趣味に持つことは決して悪いことではありません。その結果、仏教を信じるようになっても良いのです。それは佛教信者になる為の一つの方法になります。

宗教と人間のかかわり合いを考えると、理論的なことよりも感性的なことが重要なことに気がつきます。私はそれで良いと思っています。難しい仏教学や理解困難な経典の解釈などは信仰心と関係が無いと思います。

私はカトリックの信者です。しかしお寺回りが好きなのです。欧米を旅するとき出来るだけ数多くの教会を回ってみました。見物するのです。田舎の質素な教会は忘れられない光景として心に残っています。日本の教会も回ります。長崎や函館の教会も美しいものです。

そんな事を思い出すと心がなごみます。静かな小川のように、「時間」が流れます。こうして、これから日曜日のミサへ行きます。

今日は、教会で皆様のご健康と平和をお祈りしてまいります。藤山杜人


小金井ラーメン街道の栄枯盛衰・・・らーめん次男坊を訪ねて、、、

2011年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

小金井ラーメン街道を訪問してその記事を掲載したのは3年ほど以前でした。

最近はラーメン店も少なくなり、その変化を悲しみながら通っています。以前と同じように繁盛している店に「らーめん次男坊」というのがあります。3年前にはよく行った店なので懐かしくなり今日のお昼に行ってきました。

トン骨系のタレに細めの麺が調和して美味でした。老人なので半分残そうとしましたが意外にもサッパリ感があってつい終いまで食べてしまいました。焼き豚もジューシーで丁寧な仕事をしています。

長い間、繁盛を続けている店は流石に違うと、心も豊かになって帰宅しました。

ブログに出しますと言ったらご主人と仕事人がニッコリ笑ってくれました。

下に今日撮った3枚の写真と、2008年9月8日に掲載した「小金井ラーメン街道のご案内」という記事を再掲載いたします。3年前にあった店の半分くらいは消えてしまったのでいらっしゃる場合にはHPを検索して、確認してからいらっしゃって下さい。

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小金井ラーメン街道のご案内

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(上の出典:http://www.geocities.jp/ramenjiyuku/fi.ta.koganei.html まんぼう亭)

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東京の小金井で有名なものといえば桜と江戸末期に暴れ回った侠客の小金井小次郎でしょうか。最後は伊豆七島で一番遠い三宅島へ流されました。

ところが数年前から、南北に貫通している「新小金井街道」沿いに15店のラーメン屋が出来、新しい名所になっています。JR武蔵小金井駅北口から「中央大学付属高校、循環」バスに乗り7分くらいで「中大付属高前」で下車するとラーメン屋がたくさん有ります。

写真の順序は、左から右へ、南端の「まんぼう亭」から北端の「横浜屋」までの15店です。名前を南から北方向に順次ご紹介します:

(1)まんぼう亭、(2)大勝軒、(3)香港屋台、(4)まるしゅう、(5)福禄寿、(6)陳さんのタンメン亭、(7)竜王(ロンワン)、

(8)麺や天好、(9)たちばな家、(10)えびす彩館、(11)こたろう、(12)次男坊、(13)豪快、(14)つばき、(15)横浜屋、

この中で大勝軒と「まんぼう亭」だけがJR中央線の南側で、また横浜屋は

北に遠く離れています。バス停「中大付属高校前」付近の南北に集中しています。味について言えば、15店それぞれ工夫を重ねているらしく、それぞれ特徴があり美味、甲乙つけがたいようです。(終わり


寛いで楽しめる列車を大切にするヨーロッパ文化・・・速度だけを重要視する新幹線

2011年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

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上に写真が8枚あります。日本の新幹線の写真が始めにあり、その後にフランスのオリエント急行の写真があります。そして交互に新幹線とオリエント急行の写真が比較しやすいように並べて掲載してあります。

比較して見て頂けると私が何を主張したいか自ずから明らかになると存じます。

日本の最近の文化の特徴は「効率のみの追求」に偏って来ました。一方ヨーロッパ諸国の文化は効率も追求しますが、ゆっくりと人間らしい生活を楽しむことも重要視しています。フランスでは現在でもオリエント急行のようなのんびりした車両がパリとニースの間を往復しているそうです。この傾向は鉄道だけではありません。生活のあらゆる分野で日本は効率だけを追求します。ヨーロパでは、人生の楽しみにゆくりと時間をかけて、悠々と生活をします。どちらが良いというのではなく何か最近の日本は急ぎ過ぎるような気がいたします。

そう言えば日本の以前の列車には食堂車がついていました。ゆっくりと車窓の眺めを楽しみながら食事をしたり、ビールを飲んだことを懐かしく思い出します。

先日、箱根ラリック美術館にあったオリエント急行のサロンカーでケーキとコーヒーを飲みながら、日本が失った大切なものをいろいろと考えてきました。日本にも茶道や華道があり、ゆっくりと寛ぎながら道を極めて行く文化が存在していたのです。

どうもあの高度成長の頃から、そのようなゆとりのある文化が薄れて行ったような気がいたします。豊かな文化とは何か深く考えさせるオリエント急行の車両でした。(終り)


植物が好きな方々が感動する箱根湿生花園

2011年09月03日 | 写真

いろいろな植物をジット眺めていると何故か心が癒されます。熱帯雨林も良いし、紅葉した雑木林も素晴らしいものです。そして湿地に生える小さな草花のいろいろも可愛いものです。植物園と聞くと必ず訪問したくなります。

札幌の北海道大学付属植物園も若い頃から何度も行った懐かしい所です。最近は神代植物公園へ足しげく通っています。ところが先日、箱根に行ったおりに仙石原にある箱根湿生花園に寄り、すっかり魅了されてしまいました。

仙石原のススキ原の下に広がる湿地帯を昔の植生に再現しています。派手な花々はありませんが日本古来のささやかな花々が何気なく咲いて居ます。幅の広い木道が何処までも続いています。秋風が新鮮で、しとやかな雰囲気が心地良いのです。植物が好きな方々なら絶対に感動する所と信じています。下に8月30日に家内が撮った写真をお送りします。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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福島原発事故の総括(3)どんなに大きな地震や大津波が起きても、もう日本人は永久に驚かない

2011年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

今回の大地震と大津波の襲来で、日本民族は絶対に忘れられない歴史的な体験をしました。この体験は子々孫々、永久に伝承されると確信しています。

そして大地震の起きる原因や大津波襲来の経緯を深く理解しました。

その上、大地震や大津波は絶対に予測が出来ない事も理解しました。

さらに地質調査から大津波は500年から1000年に一回は必ず起きていた事も判りました。

予測は出来ないのですが、大地震と大津波は必ず起きます。その心の準備は完全に出来たのです。これこそが日本民族の非常に貴重な財産と信じています。

そこで以下に地震がどのようにして起き、それが何故予測出来ないかという明快な説明をもう一度掲載いたします。3月に掲載した2つの記事を繋ぎ合わせたものです。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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何故、今日の大地震と大津波が起きたのでしょうか?

地震は大陸の地殻(大陸プレート)の下に大洋の底の地殻(海底のプレート)がもぐりこんだために起きると分かっています。堅い海底の地殻が堅い大陸の地殻の下に滑り込むのですから界面はギザギザに割れ、ストレスがある部分に溜まります。それが大きくなり過ぎて突然破壊と断層滑りが地下深くで起きます。当然大きな揺れが起き、それが地表へ伝わって地震となります。そしてそれが海底で起きれば大津波が発生します。

原因がこれほどはっきり分かっているのに地震の予知は殆ど不可能です。大陸プレートと海底のプレートの界面は地下数十キロ以上と深いので局部的なストレスの溜まった場所を探すことが不可能なのです。下の写真の真ん中近辺に横長の四角を描いた所が3ケ所あります。そこが地震の発生源になり易い大陸プレートと海底プレートの境目です。素人の私が描き込んだので正確ではありませんが大体正しいと思います。

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この3ケ所の四角形の下に線が引いてあります。この場所が地震発生場所と示す為の線です。日本列島に沿った海底です。

海底の地殻(海底プレート)がゆっくり動くのは地球の内部で熔けているマントルが流れ動いているからです。太平洋プレートは毎年10cm位西へ動くそうです。

下の写真は太平洋海底プレートとフィリッピン海プレートが西方向へ動いてユーラシア大陸プレートの下に潜りこんでい様子を示しています。潜り込むとき、海底が削り取られ日本列島が出来あがっている様子をご理解下さい。019

今回、三陸沖で大きな地震があり、悲しい事態になりました。つくば市の地質標本館には日本列島の東側で太平洋海底プレートがユーラシア大陸プレートの下にもぐりこんでいる模型の展示があります。上の写真はその一部です。

今回の三陸沖の地すべりは一回だけでなく、近辺の福島沖や茨城沖のストレスの溜まった箇所へ刺激を与え、連続的に地下の地すべりが起きたようです。

地下の岩石が地割れして地すべりする現象は、「脆性破壊」というもので、予測が原則的に不可能です。ストレスが溜まった所は日本列島に沿って太平洋側の海底にあります。誰も何時、地すべりが起きるか予想がつかないのです。

上の説明では、地質学の専門用語を素人の私が分かり易い言葉に変えています。間違いもあると存じます。しかし専門家が、お許し下さいますようにお願い致します。

人間は莫大なお金を使って広い宇宙へロケットや宇宙船を飛ばせています。そんなお金があればもっと、もっと足元の地面の下を研究して地震災害の防止技術を確立したほうが良いと誰でも思います。しかしそれが出来ないのが人間の知恵では出来ない悲しいところです。

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今回の巨大地震・大津波が何故予測出来なかった!!!

3日前に、昨日の巨大連鎖型地震とそれによる大津波が予測出来ていたら人命の被害は非常に少なかった筈です。

地震学者は何をしていたのでしょう?手をこまねいて巨大地震の起きるのを待っていたのです。そして起きてから何故起きたかと賢そうに解説するのです。地震学者はけしからんと怒りたくなります。

地質学のことを考えない人々はこのような感想を持ってしまいます。不平がつのります。しかし、それは素人の考えであり、全く間違った非難です。

昨晩、何故、今日の大地震と大津波が起きたのでしょうか? という記事を掲載しまた。450件ほどのアクセスがありました。

昨日のこの記事で日本の地震は太平洋プレートかフィリッピン海プレートがロシア・中国大陸(ユーラシア)プレートの下へ滑り込んだ時に蓄積された巨大な地下内部応力の爆発的開放によって起きることを説明しました。

地下にある巨大な内部応力の蓄積場所は日本列島の下に連なっています。内部応力が次第に貯まって、周囲の岩盤が耐えきれなくなると大規模な岩盤の割れと再配列が起き、巨大地震になります。海底が盛り上がって津波が起きます。

一回岩盤滑りが起き、振動が発生すると周囲の内部応力の貯まった場所をゆすって、其処でも岩盤滑りが起きます。連鎖型地震とか余震はこうして起きるのです。

以前の阪神大震災は神戸の直下型大地震で、余震はありましたがフィリッピン海プレート前線へ刺激を与えませんでした。連鎖型でなかったのです。

今回は岩手・宮城沖から震源が次第に南に下がりながら大地震が起きています。

さて何故岩盤滑りと再配列が予測出来ないのでしょうか?

それは岩石の物理的な性質による宿命です。滑りと言っても、それは「脆性破壊」による岩石の破壊なのです。

話を分かり易くするために鉄棒を大きな力で引っ張った時、鉄棒が切れる現象を詳しく見てみます。引っ張る力を次第に大きくします。すると初めは鉄棒がゴム紐のように弾性伸びをします。もっと引っ張ると降伏点を越して、粘土が伸びるように塑性変形して細くなって行って、終いには切れてしまします。これは鉄が弾性変形し、終いには塑性変形する物理的な性質を持っているからです。

一方、岩石を棒状に削り、大きな力で引っ張って見ましょう。引っ張る力を次第に大きくして行きます。しかし岩石は弾性伸びをしません。塑性伸びもしません。そしてある力以上になるといきなり割れてしまいます。この現象を脆性割れと言います。

この脆性割れの本質は予測がつかない事です。岩石の内部に存在する小さな割れ目の大きさと分布状態によって割れが早く起きたり、遅く起きたりします。

脆性破壊をする物の身近な例は、ガラスや土器、陶器、瀬戸物などです。

内部に存在する細かな割れ目を内部マイクロ・クラックといいます。この内部マイクロ・クラックの分布状態は岩盤の生成の過程で出来、非常に複雑で、不均質なものなのです。

地震が岩盤の滑りと再配列で起きることは分かっています。しかしその原因が岩盤の脆性破壊である限り絶対に予測がつかないのです。ですから地震学者を非難する事は本質的に間違っているのです。(終り)


陽賜里工房の秋のオープンガーデンのご案内

2011年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

山梨県、北杜市の甲斐駒の麓にある陽賜里工房ガーデンの秋の公開が例年通り開催されます。秋の草花の咲く庭でコーヒーをゆっくり飲んで寛ごうという企画です。ホストは原田聖也さんという男性とその御母上です。

日時:9月17日(土)~20(火)、朝10:00~夕4:00ころまで、ところ:山梨県北杜市武川町山高 3567-556の陽賜里工房ガーデンです。草木染めをやりたい方は事前にご連絡下さい。

連絡先:原田聖也さん、携帯電話:090-4170-0370 E-Mail:t-taraku@t-net.ne.jp

このオープンガーデンには家内と一緒に数回参加しています。前回の春のオープンガーデンの報告記事を以下に掲載いたします。ご参考になれば幸いです。

======花の園の中の喫茶店・・・陽賜里工房というコーヒー店===

戦後に学生時代を過ごした方々にとっては喫茶店という言葉は懐かしいと思います。名曲喫茶とか純喫茶とか歌声喫茶とかいう名前で、コーヒーの香りとともに文化的な場所でした。当時、コーヒーは高価な飲みものだったのです。

それから幾星霜、一昨日は不思議な喫茶店へ行ってきました。陽賜里工房という名前で、春と秋の2回しか開店しません。春の花々、秋の花々に囲まれたコーヒー店です。店主は原田聖也さんという男性で、コーヒーの修業を重ね、特別のコーヒー豆焙煎工場のものを仕入れて使っています。食品衛生法を勉強をし、飲食店開業の資格も取りました。

この喫茶店は北杜市の真原桜並木のはずれにある花の園です。庭全体がなだらかな南向きの斜面になっていて満開の桜の木が2本、ピンクのユキヤナギ、水仙、ヒトリシズカ、イカリソウなどに囲まれて店主手造りの店があります。

花園の一番高い所にはロマンチックなデザインの木造の家があり店主が寝泊まりする場所になっています。お客は勝手に花の園を歩きまわり、花々を鑑賞します。そして花疲れしたら洒落た店に入って香り高いコーヒーを頂きます。

コーヒーを飲む場所には女主人が居て、つれずれの話し相手になってくれます。店の主人のお母さんです。上品な日本語を使う方です。花の園の作り方などのよもやま話です。一昨日は私がカトリックの話をしましたら、ご自分の信仰のバプテスト教会の話を静かにして下さいました。亡くなったご主人はその教会の牧師さんで、ご自分も宣教活動をしながら幼稚園の園長さんもしていたそうです。兎に角、折り目正しい一生を過ごした方なのでお話をしていてもスッキリとした印象です。

バプテスト派という宗派は興味ある宗派のようなので、このブログでいずれご紹介したいと思います。

下にこの花の園の中の喫茶店の写真をお送り致します。

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大震災にめげずに何度でも良い国、日本を作ろう!

2011年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

今回の大震災のような災害は何度も来ると考えられます。その度に日本民族がめげてしまっては困ります。

今日の読売新聞の20ページと21ページの全面を使った広告の写真を以下にご紹介致します。東京の千代田区にある出版会の雄、宝島社が出した広告です。

敗戦後すぐに厚木海軍飛行場に降り立ったマッカーサー司令官の姿です。コーンパイプをくわえ、焦土が広がる日本に降り立ったのです。あたりには、数日前に急いで焼いたゼロ戦の焼け焦げた残骸が残っていました。徹底抗戦を叫んでいたゼロ戦隊がいたのです。最後は説得されましたが。

この写真から日本の死に物狂いの復興が始まったのです。この戦後の日本人の復興への情熱を思い出して東日本大震災も乗り切ろうという意見広告です。戦後の復興を知っている日本人にはジーンとくる力強いメッセージです。感動的な広告なのでご紹介しました。宝島社の社長は日本民族を愛しているのです。(終り)

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福島原発事故の総括(2)原爆168個分のセシウム137飛散と、6ケ月後の福島県と全国の放射能汚染

2011年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

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(左の福島原発の爆発の写真の出典: http://yokotakanko.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/31-682c.html )

前回の、福島原発事故の総括(1)どのような経過で何処が壊れたか? という記事に続いて第二回の今回は6ケ月後の放射能汚染の実態と今後の変化を書いて見たいと思います。

このブログでは福島原発事故以来、原子力発電の功罪や放射能の害について可能なかぎり科学的合理性にしたがって多数の記事を掲載してきました。

それに対して赤ちゃんを持っている母親から時々感情的なコメントを貰いました。

例えば福島から遠方に住んでいても子供を絶対に外で遊ばせていない。外遊びが好きな子供が可哀想で気が狂いそうです。文部科学省の放射線量の測定結果は一切信用できません。すべてウソに決まっています。子供を健康に育てたいので遠方へ引っ越したいのです。夫の転職が心配で、夜も眠れません。

放射能へ対しての恐怖と心配で身をすり減らしている母親が東北6県と茨城、栃木、埼玉、千葉、の各県に何百万人も居るのです。東京でも葛飾区、台東区など東北部の浄水場の水が汚染されて恐怖感が広がった時期もありました。

このように非科学的な恐怖を、始め、私は軽視していました。その無知さを嗤っていた時もありました。

しかし4月、5月と時が流れるに従って私の考えが次第に変わって行ったのです。

「放射能への恐怖感を持った人々が何百万人も住んでいる国は絶対に幸せな国では無い!」。そして「この恐怖感を解消するのは科学的説明でなく、原発を日本から無くす事しか方法が無い」。という考えに変わって来たのです。

福島県に撒き散らされたヨウ素131は半減期が8日と短いので、既に問題ではありません。

しかしセシウム137は半減期が30年と長いので数年間では福島県各地の放射能強さは変化しません。

先月、読売新聞の記事、「放射能の広がり 詳細地図に」を絶賛する  という記事でご紹介した福島県各地の放射能の強弱図は10年、20年と変わらないのです。

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上の図は群馬大学の早川由紀夫教授の作成した図面です。この図をクリックして出て来た図面をもう一度クリックすると大きな拡大図になります。セシウムが積もっている所は飯舘村、浪江町の他に、伊達、福島、二本松、本宮、郡山などもあることが明瞭に分かります。その上、放射能汚染は東北地方や関東地方の一部まで広がっているのです。

先週になって、「福島原発の4つの建屋が爆発して飛び散ったセシウム137の総量は広島型原子爆弾の168個が爆発した時の飛散総量とほぼ同じだ」 という計算結果が新聞に報道されました。

そして、セシウム137は半減期が30年と長いので、上に示した福島県各地の放射能の強弱図は10年、20年と変わらないのです。

このような放射能汚染は日本人にとっては長崎・広島の原爆以来、初めての経験です。想像も出来ないような被害が出るのです。

例えば乾した稲藁にセイシウムが降りかかっていて、それを全国へ牛の飼料として出荷していたのです。食べた牛からセシウム137が検出されて、多くの牛が出荷停止になったのです。出荷停止になる前に流通してしまった牛肉を食べた人も居るのです。

福島原発4基の水素爆発は日本の歴史上永く記憶される大事故でした。大きな悲劇でした。

放射能汚染が福島県に何十年も残り、放射能への恐怖が日本全国に広がったのです。風評被害もいろいろな分野で生じました。

このような放射能の飛散は、原子爆弾と原子力発電は本質的には同じものだという考えを人々の心に焼きつきました。この事は福島原発事故のもたらした大きな社会心理的な変化です。原爆反対が原発反対と一体化してしまったのです。

このような社会的な心理的な変化の後では、政府も電力会社も新しく原発を建設することは無理になりました。

そして、放射能を怖がる人々を少しでも安心させ幸多い生活を過ごして貰う為には政府が一刻も早く、「段階的脱原発の決定」をする事です。

建設以来、40年も経過し老朽化した原発の2ケ所くらいを早急に廃炉にする決定をする事も重要です。菅総理の脱原発宣言を受けて、新しく発足した野田内閣は全員一致団結して現実的な脱原発の推進に急いで着手すべきと信じています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


高い秋の空を撮る

2011年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日の箱根の上空は高く晴れ渡り、秋の白い雲がうっすらとたなびいていました。猛暑の夏も過ぎ、秋が来たと語っているようです。そんな様子を写真に撮りました。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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リゾート地のホテルや旅館の運命は従業員によって決まる!

2011年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

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仕事を止めてからは暇があるので、時々、リゾート地へ車で出かけ、1、2泊して来ます。

ところが行ってみると満員で活気のある所と、部屋も新しくて綺麗なのにガランとしてさびれている所があります。何故、こうも違いが出来てしまうのでしょうか?一緒に泊った家内の意見も聞いて私は一つの確信を持っています。

「従業員のサービスが良い所は設備が悪くても満員になります」という結論です。リゾート地のホテルや旅館の運命は従業員によって決まるのです。

従業員の質については、板前さんやシェフの料理の腕も大変重要です。上にある写真は今回、箱根で2泊したホテルグリーンプラザ強羅です。

このホテルに泊ったのは今週の月曜日と火曜日でした。2日とも平日でしたが満員でした。客層は子供連の若い家族から高齢者の夫婦などいろいろな年齢層が混じっていました。

何故、このホテルが繁盛しているか注意深く観察して見ました。

2つの発見をしました。従業員の接客態度が洗練していて、温かく優しいのです。子供連の若夫婦へも優しく、老人へも暖かく話しかけているのです。

とくに夕食のダイニングでのサービスが抜群でした。注意して見ると黒服のフロア・マネージャーがお客を万遍なく観察しています。ウエイターもウェイトレスもこのマネージャーを見て動いています。用がありそうなお客が居るとすかさずマネージャーが目でウエイターやウェイトレスへ指示を出します。ビールを運んだり空になった食器をさげるタイミングが絶妙なのです。そのサービスぶりは超一流のレストランと同じなのです。ウエイトレスの小さなミスに気付くと素早く丁寧に対応します。

もう一つこのホテルの強みは創作和風料理の板前さんの腕の良さにあります。私は創作和風料理というと尻込みします。独りよがりの、和食なのか西洋料理なのか訳の分からない不味い代物が出て来るからです。

ところがこのホテルグリーンプラザ強羅の料理長黒須明さんは本物でした。創作料理ながら完璧な和食なのです。そして美味なのです。繊細な感覚の独創性に感服します。

感心していたら黒服のマネージャーが寄って来たので名刺を頂きました。運営部サービス課キャプテン、レストラン責任者の岡本賢一さんでした。

私の感想をお伝えして置きました。

尚、ホテルグリーンプラザはチェーンホテルで全国にホテルを経営しています。強羅だけでなく他の場所でも同様にサービスが良いと想像出来ます。

箱根にはもう一つ、ホテルグリーンプラザ箱根という名前のものもあります。

今回泊ったところが感じが良かったのでご参考までにご報告いたしました。

下の写真は創作和風料理と露天風呂の写真です。(終り)

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もう一つのヨーロッパ文化・・・世紀末の退廃美を示す装飾工芸品

2011年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

ヨーロッパ文化と言えば、キリスト教、油絵、クラシック音楽、などを思いつきます。

しかし身近な日用品を美しく飾った工芸技術もヨーロパ文化のもう一つの側面です。ルネ・ラリックは1860年にフランスで生まれ、1945年に死んだ天才的なガラス細工の職人でした。装身具、香水瓶からオリエント急行の壁飾りガラスまで実に多種多様のガラス細工を生涯にわたって作りました。箱根ラリック美術館には彼の一生の工芸品を数多く蒐集して展示してあります。その全てを見て回ると、精緻な細工と美しさに感動します。そして19世紀末のヨーロッパ文化の爛熟と退廃的な雰囲気が身近に感じられるのです。ガレー、ドームのアールヌーボウに共通する感覚です。そして彼の後半の作品はアール・デコなのです。

誤解を恐れずに書くと、その美には病的な影がつきまとっています。私は今まで「世紀末の退廃美」という言葉の意味が判りませんでした。今回初めて理解できました。

その上、工芸品と芸術品との境界があまりはっきり判りませんでした。しかしラリック美術館を見たお陰で、その違いを説明する事が出来るようになりました。

ルネ・ラリックのガラス細工は優れた工芸品で、それと対照的な物は、箱根彫刻の森にあるヘンリー・ムーア、ザッキン、ブールデル、などなどの彫刻は芸術品です。工芸品は美しく作った実用品です。彫刻は実用品ではありません。実用上は何の役にも立たない無駄な存在です。しかし人間に何故か感動を与える存在なのです。

さて下の2枚の写真でルネ・ラリックのガラス細工を説明します。上はオリエント急行のサロン・カーの仕切り壁にある3枚の半透明なガラスの飾り板と天井にある電燈のシェードがラリックの作品です。

下の写真はフォードの初期の乗用車のラジュエーターの止水栓の上を飾ったカーマスコットで、半透明のガラスの飾り物を示しています。

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箱根のラリック美術館には建物の美しい内装や浴室のガラス壁から多数の香水ビン、女性の装身具まであらゆる種類のガラス細工、金細工、宝石細工が徹底的に蒐集され展示されています。コティ香水会社のニューヨーク支店の建物の内外装の映像もあります。ルネ・ラリックの一生の息使いが感じられるのです。

このように一人の職人の作品を網羅した美術館は稀です。感動します。そして彼の作品が世紀末の退廃美を漂わせてるのです。

ヨーロッパは20世紀になるとロシア革命が起き、キリスト教を排除した共産主義国家が出来るのです。そして第一次世界大戦と第二次大戦が起き、大戦争の世紀を迎えたのです。世紀末の文化はその前兆だったのです。

そのような事を考えさせる箱根ラリック美術館です。そしてその近所にある箱根ガラスの森美術館は古代からベネチアガラスに至るまでのヨーロッパのガラス工芸の優れた作品を展示しています。ラリック美術館を理解する上で大変参考になりました。箱根に行ったら、この2つの美術館と箱根彫刻の森美術館をご覧になると面白いと思います。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人